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鳥居元忠

伏見城で散った鳥居元忠は忠臣だと想いますか?バ○だと想いますか?

質問者が選んだベストアンサー

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  • oska2
  • ベストアンサー率44% (2301/5116)
回答No.4

>伏見城で散った鳥居元忠は忠臣だと想いますか?バ○だと想いますか? 今の価値観と、当時の価値観は異なりますからね。 今の価値観だとバ〇と多くの方が考えても、当時の価値観だと義務と考える方も多かったでしよう。 当時は、家意識と主従関係が優先しましたよね。 上司がアンポンタンでも、上司の命令は絶対です。 家康の場合は、部下が反対意見を出しても聞く事があった様です。 が、最終的に決定した事は全力で家康の命に従うのが三河系武士でした。 それだけ、家康・松平(徳川)家に対する忠誠心が有ったのでしよう。 「私が、松平(徳川)家を守る」 当時は、今と違って「転職者は信用できない時代」でした。 転職が一般的になった時代だと、「この家(会社)は駄目だ」と感じた時点で退職しますがね。^^; まぁ、伏見城の戦いは「会社の創業期」に似ています。 「私も頑張らないと」 鳥居元忠も、同様の考えだったのだと思いますね。

noname#257017
質問者

お礼

ご回答ありがとうございました

その他の回答 (3)

  • ithi
  • ベストアンサー率20% (1972/9601)
回答No.3

Nietzscheisdeadさん、こんばんは。 武士の主従関係は「御恩」と「奉公」で成り立っています。家康のために命を捧げて奉公した元忠の息子忠政は出羽山形城主となり、22万石の大大名になりました。だから、決して彼の死は無駄ではなかったのです。詳細は下記のURLを参照してください。 鳥居忠政 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%B3%A5%E5%B1%85%E5%BF%A0%E6%94%BF

noname#257017
質問者

お礼

そういう主従の関係って今でもあるところにはあるんでしょうかね ありがとうございました

回答No.2

鳥居家の傍系に居る者です。当時の価値観で、考えないと理解が難しいと思います。京都の宝泉院を訪れる度に、喝入れされたように思われます。

noname#257017
質問者

お礼

鳥居家の傍系ということ、驚きました 当時の価値観で考えないと駄目ですよね 有り難うございました

noname#257017
質問者

補足

社長から意味不明の割の合わない指示を受けました。 鳥居元忠がバ○なら、社長の指示を無視しようかと思い、 また、鳥居元忠が忠臣なら社長の指示に従おうかと思い、 どうですかね?

  • gunsin
  • ベストアンサー率32% (416/1291)
回答No.1

武士は、主君の命令には死ぬ事が解っていても従います。 死んだ場合は、主君は、何らかの形で死んだ武士の家系を存続する 様に計らいます。 武士は自分の家系の存続が第一義なのです。

noname#257017
質問者

お礼

バ○とかそういう事じゃないんですね ありがとうございました

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