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鳥居の起源

ウィキペディアには諸説あるが不明とされた鳥居の起源ですがそれでも起源を聞いてみたいと思います。  海外にはまずみかけません。 横浜中華街の入口四方には、ほぼ鳥居に同一の門があるのですが、あれは鳥居でしょうか。台湾や香港には中華街で見かける形式は市場を通る街路の端にあるようですが、いわゆる鳥居はありません。 大宗教の発祥がおよそ海外でも仏教や神の伝来と無関係のようです。日本だけにあるようです。そして鳥居に八百万の神を示すなら、宇賀神や弁天やスサノオやそれぞれが、別方式に作りそうなものです。  なんで形状が統一されているのでしょう。   厳島神社の鳥居には平氏の時代には平氏専用の貿易港の目印の役割がありそうです。厳島神社というけれど、あそこは船と荷役をする倉庫として有用な実用性があったとみうけます。平氏の時代に浅瀬に社が必要な宗教というのもほかに例がない以上、あそこは実用の港で、宗教の場ではなかったのだろうと思うのです。  でもあの鳥居の背丈では貿易用の大型船にとって、潜り抜けることのできない障害物になるでしょう。アンカーの縄を結ぶ杭などの実用としてあるのでしょうか。  平氏が朝鮮人、渡来人とするのなら、朝鮮に鳥居が多いはずですが、まったくありません。  昔は願掛けに寺社へお百度参りというのがあり、鳥居をくぐる回数を数えるのだとしたら、鳥居が多重に立てられるのは、それなりの意味があったかもしれません。  でもお百度参りの神社でもない神社に多重の鳥居があるのはなぜでしょう。巡回できる方向に多重の鳥居がないのはなぜでしょう。伏見神社や東北の青森県高山稲荷神社などに多重の鳥居があります。その鳥居は巡回と無関係そうです。高山稲荷は百という量よりはるかに多く数1000のかずの鳥居群かと思います。  ところで高山稲荷はついでに言うと恐山と同じくらいなにか神妙霊妙な雰囲気が周囲にありました。水が窪地よりも高い谷に湧き出ています。

みんなの回答

回答No.2

>海外にはまずみかけません。 神域と俗域との境界や村落の境界などに門を設けるというのは世界中にいくらでも例があります。 門の形式が簡素なものか複雑なものかというだけの違いです。 このような門を設けるという意識は共通しています。 >横浜中華街の入口四方には、ほぼ鳥居に同一の門があるのですが、あれは鳥居でしょうか。 牌坊とよばれるものです。 鳥居のルーツの一つとして挙げられている古くからある中国の門です。 中華街すなわち街区の入り口を示します。 >大宗教の発祥がおよそ海外でも仏教や神の伝来と無関係のようです。 鳥居は神域と俗域を区別する役割を持った門の一種ですので、デザインはいろいろありますが神社仏閣などには必ず設けられています。 仏教関係ではストゥーバの入口に設けられたトーラナーと呼ばれる門があります。 二本の柱に複数の横木を渡したデザインです。 サンスクリット語のトラーナーが鳥居の語源ではないかという説もあります。 >そして鳥居に八百万の神を示すなら 神を示しているのではなく神域の境界を表します。 >なんで形状が統一されているのでしょう。 二本の柱に横木を渡すという意味であれば冠木門など一般の門にも見られるデザインです。 現在の神社の鳥居も詳細に見ればいろいろなデザインがあります。 潜り抜ける空間も中央部だけではなく左右にも設けられているものもあります。 つまり、統一されている訳ではなく分祀した際に元の神社と同一のものを設けた結果同じデザインのものが沢山あるということになっています。 ご質問にある高山稲荷も伏見稲荷を勧請したものです。 伏見稲荷の千本鳥居を継承しています。 >厳島神社の鳥居には平氏の時代には平氏専用の貿易港の目印の役割がありそうです。 このような目的で使われたことはありません。 孤立した島を荷役に利用するのは恐ろしく非効率です。 都から遠い厳島に荷下ろしをするメリットはどこにもありません。 陸上輸送と直結した河口部などに設けられます。 現に清盛は、現在の神戸港の前身の大和田泊を整備したり厳島よりも陸地に近い音戸の瀬戸を掘削したりしています。 >平氏の時代に浅瀬に社が必要な宗教というのもほかに例がない以上、あそこは実用の港で、宗教の場ではなかったのだろうと思うのです。 島そのものがご神体です。 現在見られる神社のような建物はこのご神体を遥拝する拝殿として設けられたものです。 平安時代には河川や湖沼での舟遊びという習慣がありました。 船に乗って神社へお参りするという発想はトッピなものではありませんでした。 平清盛は南宋との交易で財をなしました。 この交易船からの遥拝や小舟による参拝のために海上からも入れるレイアウトにしました。 現在も初夏の大潮の晩に船による祭礼が行われています。 箱根芦ノ湖の九頭竜神社も湖上から参拝するように水上に鳥居が設けられています。 >あの鳥居の背丈では貿易用の大型船にとって、潜り抜けることのできない障害物になるでしょう。 厳島神社の鳥居の下は水深があまりありませんので、高さよりも喫水の面で大型船は元々入港することを前提にしていません。 満潮時に中型船が航行する程度です。 和船というのは洋式帆船とは異なり、帆柱も舵も脱着できる構造を持っていました。 係留時に台風などの突風による被害を避けるには帆柱を寝かせておける構造になっていました。 帆を使わなくても航行できるように船側に櫓が設けられていました。 >平氏が朝鮮人、渡来人とするのなら 平氏は朝鮮人でも渡来人でもありません。 桓武天皇の直系の子孫である高望王が臣籍に降下して平の苗字を拝領したのが平氏一族の始まりです。 高望王は臣籍降下後ただちに上総に赴任しました。 以降一族は関東南部の東京湾岸一帯にひろまりました。 平家物語などの印象から平氏は西国のような印象がありますが本来の平氏は関東が本拠地です。 この一部が京都へ上り伊勢を領地としたのが清盛の一族の始まりです。 壇ノ浦で滅亡したのは清盛の伊勢平氏であって本来の平氏は滅亡してはいませんでした。 鎌倉幕府を引き継いだ北条氏も平氏の末裔です。 >朝鮮に鳥居が多いはずですが、まったくありません。 朝鮮にも、俗界と神域の境界にある屋根がない門という意味では紅箭門というものがあります。 日本の鳥居とよく似た形をしています。 >昔は願掛けに寺社へお百度参りというのがあり、鳥居をくぐる回数を数えるのだとしたら お百度参りは拝殿と鳥居の内側の間すなわち神域内で行われます。 いちいち鳥居の外へ出るということはやりません。 一般には境内(神域内)にお百度石と呼ばれる目印の石碑があってここと拝殿を往復します。 >神社に多重の鳥居があるのはなぜでしょう。 稲荷神社での習慣です。 他の系統の八幡や伊勢、厳島、熊野などでは見受けられません。 伏見稲荷が発祥の地です。 冥界への通り道など諸説ありますが正確には不明です。 稲荷は本来は農耕の神でしたが商売の神様となって庶民の信仰を集めました。 願いが通るという意味で数多くの人が鳥居を寄進するようになりました。 多数の鳥居を設ける習慣があったことから寄進を受け入れて鳥居の列を長くしていきました。 >高山稲荷は百という量よりはるかに多く数1000のかずの鳥居群かと思います。 稲荷神社の多数の鳥居の発祥の地である伏見稲荷でも千本鳥居と呼ばれるようにお百度参りの数とは無関係です。 >水が窪地よりも高い谷に湧き出ています。 水源地でしょう。 高台の窪地に湧水があって水源地となっている地方は沢山あります。 水源地は農耕にとって必要不可欠ですので無暗に人が立ち入らないように神社を設けて神域としているケースは沢山あります。 農耕の神である稲荷明神を祀っているというのは大いにあり得ます。 高山稲荷の境内にも水源を守る水神である龍神を祀っている龍神社があります。

masaban
質問者

お礼

gokaiotuarigatou.kaitoudesarani,nazogafukamarimasita.

  • fujic-1990
  • ベストアンサー率55% (4505/8062)
回答No.1

 枯れ木の賑わい程度の話ですが、以前、戦前の中国の山の中の少数民族の写真(モノクロ写真に、いかにも古げな衣装の人々が写る)に、「村の入口」というコメント付きで鳥居が写っているのを見ました。  ご丁寧に、鳥居の上段(長いほう)の横棒に、3羽だったかと思いますが、見た感じ鳩くらいの木製の鳥が据えられていました。  日本の「鳥居」の「鳥」は「ニワトリ」だそうですが、私個人としてはあの少数民族の門が「鳥居」の起源だろうと思っています。 > 百度参りの神社でもない神社に多重の鳥居があるのはなぜでしょう  伏見稲荷の鳥居は、願掛けしたり、願掛けして願いがかなったりしたときに、寄進されたものだそうです。あの鳥居の柱の裏側に、寄進者の名前が書かれています。  おいなり様は商売の神様なので、企業からの寄進が多いですね。  新潟県にも宝徳稲荷だったかな、はっきり思い出せませんが稲荷神社で、鳥居がたくさんあるお稲荷様はありますし、私は知りませんが「高山稲荷」も同じ原因で、鳥居が増えたのではないでしょうか。  ブラタモリという番組での話だったと思いますが、伏見稲荷は鳥居の寄進者が多くて、たくさんの鳥居を設置できるように参道が直角に曲がっているそうです。  また、まったくの余談ですが、外人さんの多くは、鳥居の裏に書かれた「株」という字が好きなようです。別なテレビ番組でやってました。

masaban
質問者

お礼

ご回答ありがとう。たとえば村境の門が鳥居ですか。高いところなら実際の鳥も止まり木にしますね。構造として柱2本を丈夫に立てるなら梁がいるので、形も自然と鳥居型になるかもしれません。  水平両端の反りはアジアの屋根に多いけど、靖国神社では由緒歴史が全くないことが反映しているのか、反りが全くなくて、シンプルな横棒になっている。 高山稲荷には行ったとき、全国の稲荷の鳥居のお古4000本近くを集めて並べたという説明看板を見たような気がします。でも高山稲荷で見た鳥居にお古は見当たらず、同じ大きさの規格が揃った塗りも真新しい鳥居でした。  寄進で増える伏見神社の鳥居、たしかに寄進名があった覚えがあります。東京や千葉だと、神社の周りの石づくりの柵に寄進名がよく入っています。石のほうが展示寿命が長いですね。

masaban
質問者

補足

関東の鳥居に寄進者名の入ったのはただのひとつも見た覚えがありません。