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早稲田商学部 2017 英文和訳
- 私たちは人々が何を覚えているかを知るために人々を確認したいのではなく、誰であるかを知るために人々を確認したいのです。
- 私たちは人を、その人が何を記憶できるかではなくてその人が誰であるかによって認証したいのです。
- forを目的のようなニュアンスになるように訳すべきか、理由を表すと捉えるべきか検討してください。
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以下のとおりお答えします。 >We want to identify people for who they are, not for what they can remember. この一文和訳について質問なのですが、 僕は、「私たちは人々が何を覚えているかを知るために人々を確認したいのではなく、誰であるかを知るために人々を確認したいのです。」 として、forを目的のようなニュアンスになるように訳したのですが、解答では、「私たちは人を、その人が何を記憶できるかではなくてその人が誰であるかによって認証したいのです。」 として、forは理由を表すと捉える と書かれていました。 僕の答案の添削をしていただきたいです。 ⇒お訳の「私たちは人々が何を覚えているかを知るために人々を確認したいのではなく、誰であるかを知るために人々を確認したいのです。」でもいいと思います。(ただし、canの意味を生かすべく、「何を覚えているかを」の部分は「何を覚えることができるかを」のように変更するといいでしょう。) なぜ、「どちらでもいい」というような曖昧なことを申したかと言いますと、文脈・前後関係が分かりませんので、「状況によっては、どちらの訳文になることもある」という意味を表したかったからです。確かに、前置詞forは、「目的」(~するために)を表すことも、「理由」(~するので)を表すこともありますね*。実はこの後者(理由)は、本文に即して見る限り「動機的目的」(~しようとして)というのと同じような意味になる、と言えます。微妙な問題ですね。 *(注)英語以外の西欧語には、このような意味を表すのに、別々の(ただしよく似た)2つの前置詞を使い分ける言語があります。例えば、フランス語やスペイン語です。英語のfor(~するために、~しょうとして)に当たる前置詞として、フランス語ではparとpour、スペイン語ではparaとporという2つずつの前置詞を使い分けます。ところが、面白いことに、どちらの場合も、しばしば混同が起ったり、どちらを使ってもよさそうな場合があるようなのです。偶然か必然かは分かりませんが、英語に限らずフランス語やスペイン語でも(もしかしたら日本語でも)、このあたりの区分は微妙な違いで、混乱が起こりやすいのが実情なのかも知れませんね。
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- Nebusoku3
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We want to identify people for who they are,not for what they can remember. 私たちはその人たちがどのような種類の人達であるかを知りたいのであって、彼らが何を記憶しているかを知りたいわけではありません。 の方が自然な感じがしますが、参考にならなければすみません。
お礼
他の方の意見をいただけるだけでとても参考になります! ありがとうございます!!
- widey
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>We want to identify people for who they are, not for what they can remember. 「私たちは、その人が本人であるということの確認をしたいのであって、その人の記憶力の能力の確認をしたいのではないのです。」 (販売時にパスワードよりも顔認証の出来るアプリを顧客が使えるようにして検査しているのはそのためです。) 以上、参考になれば嬉しいです。
お礼
ありがとうございます! 理解できました!!
お礼
とても詳しくありがとうございます! いつも助かってます!!!