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カミュの「反抗」とは何だと思いますか?
カミュの不条理に対する「反抗」は具体的にどういう意味だと思いますか? カミュの言う「不条理を明晰な意識のもとで見つめ続ける態度」とは具体的にどのような態度でしょうか? 暴力には反対し、諦念の気持ちや諦観視することとも違うそうですが、冷笑的に見るのとも違いますよね?
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- Nakay702
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回答No.1
以下のとおりお答えします。 >カミュの不条理に対する「反抗」は具体的にどういう意味だと思いますか? カミュの言う「不条理を明晰な意識のもとで見つめ続ける態度」とは具体的にどのような態度でしょうか? 暴力には反対し、諦念の気持ちや諦観視することとも違うそうですが、冷笑的に見るのとも違いますよね? ⇒カミュの不条理に対する「反抗」、それは次のように言うことができるでしょう。 過去の実存主義者たちは不条理を認めながら最期の瞬間には神に救いを求めたが、カミュはこのことを称して「人間精神の尊厳に対する裏切り」であると難詰した。それで彼は、『シジフォスの神話』を著して、真の実存主義とは、「不条理を直視しながら絶望することなく」刻々を生きるギリシャ神話のシジフォスの姿にほかならないとした。続く著作の『異邦人』は、この哲学を不条理の文体で表現した小説として世界の注目を浴びた。 ということで、カミュの「反抗」とは、不条理に対する反抗というよりは、不条理を唱えながら最後は神にすがるという、安直で情けない似非実存主義者や妄信的な世相に対する反抗と言えるだろう。それゆえカミュは、みずからを実存主義者と名のることはしなかった。