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自殺は生への抵抗であり、自由な選択なのでしょうか?

ストア派からすると「自殺は人間の自由の最高の表現である」そうですが 自殺をすることは、否応なしに生まれた人間の、不自由に対しての抵抗であり、能動的で自由な選択だと本当に言えるのでしょうか?

みんなの回答

  • kurinal2
  • ベストアンサー率27% (23/84)
回答No.3

reo187286様、おはようございます。 「全ての価値を、0にする」というのが、自殺ではないでしょうか。

  • g27anato
  • ベストアンサー率29% (1166/3945)
回答No.2

さて、如何なものか…。 そのような言い分は、 死を選ばずに未だ此の世にしがみついてる者の言い分であるからして、 …どこまで信じて良いものやら。 死も自由な選択肢の一つではあるが、 好き好んで死を選んだ者は、いまだ出会ったことが無い。 此の世の不都合に堪えきれず、致し方なく世を捨てる選択をしたようにしか見えない者ばかり。 (例えば周囲との断絶や周囲からの圧力による)忍耐強要のような状況が、「自由な選択」を放棄させたようにしか見えない。 …「死を以て訴えるしかない」という選択なら時には有るようだが、 それとて自由意思ではなく、最終的な選択肢が一つしか無くなった結果としか思えないのだ。

  • Nakay702
  • ベストアンサー率79% (10005/12514)
回答No.1

以下のとおりお答えします。 >ストア派からすると「自殺は人間の自由の最高の表現である」そうですが 自殺をすることは、否応なしに生まれた人間の、不自由に対しての抵抗であり、能動的で自由な選択だと本当に言えるのでしょうか? ⇒「自然に従って生き、運命を甘受する」というのがストア派の掲げる教説ですね。ですから、「自殺は人間の自由の最高の表現である」というのは、「もし自死することが運命だというなら、それも厭わない」ということの別表現と言えるのではないでしょうか。 さて、「自殺をすることは、不自由に対しての抵抗」かとのお尋ねですが、私にはそうは思えません。むしろそれは、「(抵抗どころか)逃亡である、生からの逃亡である」と思います。また、「自殺をすることは、能動的で自由な選択だと本当に言えるか」とのお尋ねですが、ある意味、自由(ないし勝手?)かも知れませんが、全然能動的ではなく、むしろ受動的で「追い詰められた挙句の消去法的受け入れ」と考えるしかないような気がします。

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