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自らの意思で自由を制限するという、高次の自由

自由というと、一般的に解放をあらわしますが、 目的の実現のために、悪しき規範や慣例には背を向け、 好い規範や慣例にはあえて従うということを、 高次の自由、自由の止揚と呼ぶ例をご存知ないでしょうか? あるいは、真に自由な人、芸術家は、解放と自発的な制限を同時にする、といった言い回しなどをご存知ないでしょうか? また、正しい目的を選択し、それを実現することが最高の自由だ、 自由は目的ではなくて、それを実現するための手段である、 といった表現はないでしょうか。 そうしたことについて言及している書物があれば是非教えてください。 また上に書いたことが自己矛盾を来たしているなら知らせてください。

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  • hhituji
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回答No.2

直接の答えは知らないのですが、参考までに記させていただきます。 私はクリスチャンなのですが、クリスチャン神学ではまさに自由をそのようにとらえています。 クリスチャン以外の人がキリスト教に感じる疑問でよく出てくるのが、 「なぜ神は全知全能であるはずなのに、こんなに罪ばっかり犯す不完全な人間を創造したのか?全知全能の神が創ったのなら、この世は理想郷になっているはずではないのか」 というものです。 これに対する答えが、 「神は人間に完全な自由を与えた(自由意志)からである。善も悪も選べるから自由なのであって、善しか選べないような存在は自由意志をもっているとはいえない。神は、人間が自分の力で善を選び取る世界が何よりすばらしい世界だと考え、それを創造したのだ」 というものです。 すなわち、自由を自ら制限するという考えはキリスト教神学では2000年近く一般的な考えではありました。 そして、キリスト教神学に大きな影響を受けた哲学者、例えばカント等の著書を見ると質問者様の探しているような記述、思想が見つかるかもしれません。 もしかしたら少し外れているかもしれませんが、参考までに。

volarevolo
質問者

お礼

丁寧に説明していただいてありがとうございます。

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その他の回答 (2)

  • szizou
  • ベストアンサー率37% (9/24)
回答No.3

”何からの自由”ではなく、 ただ自由という状態があるそうです。 クリシュナムルティという思想家の本がお勧めです。

volarevolo
質問者

お礼

色々本を出されてますね。 時間が出来たら読んでみます。 教えてくれてありがとうございます。

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回答No.1

>自由というと、一般的に解放をあらわしますが、 普通、自由とは、何かを始められる能力ですね。 解放には、すでに何かの規制・制約があります、 従って、解放されるかされないかの、選択になります。 ただ、自由な存在は、言葉で表現できますが、 私には理解できません。 ご質問には、無学ながら、聞いたことも有りません。 人間の目的は、未来のそのつど変わっていくような気がします。 ほんの少し暇になりましたので、お役に立たない、回答、失礼しました。

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