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避病舎について
関東地区の避病舎のあった所在地の住所を調べてます。 明治10年頃(?)にコレラの流行があり、その対策(?)として「避病舎(隔離病舎)」が大正初期にかけて建設されたようです。 ネットでも少し検索かけたのですが、該当地区のものはほとんどありません・・・? さらに地元の図書館でも資料が見つかりません・・・? 保健所等に問い合わせても、古い資料は当然でしょうが残存してませんでした。 これらに関する資料あるいは調査におけるヒント等がお分かりでしたら、ご教示ください。
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http://www.yanesen.net/presentationcopy/1315/ これによれば明治時代に駒込病院が避病舎であり http://www.byouin.metro.tokyo.jp/shoukai/jigyou/14jigyougaiyou04.pdf (PDFですから、いきなりダウンロードになります。 注意してください) ここに都立病院の変遷があり、上記で書いた旧都立病院が「避病舎(隔離病舎)」であったと思われますので、何か参考になると思います。 関西ですと白塚小学校の資料などに http://www.res-edu.ed.jp/siratuka/sirasyo/hyakunensi/taisyo/hyaku2.htm と、あったりします。
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肺結核は府下野方町の東京市療養所。 伝染病院は駒込、大久保。 これは昭和4年のものです。 精神病疾は府下松沢村の松沢病院(世田谷です)。 青山の青山脳病院、田端の東京脳病院、西ヶ原の王子脳病院、そして戸山脳病院というのもありましたが、ここは同年に焼失、その際に患者を鍵をかけて閉じ込めて多数焼死させて問題になりました。現在は民家が立ち並ぶ場所です。
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nekosimaさん、アドバイスありがとうございます。 >伝染病院は駒込、大久保 98Kinさん紹介の「都立病院の沿革」によると、 ・駒込、大久保、墨東 に避病院が建設され、その後に ・広尾、豊島、荏原 に隔離病舎が建設されたようですね・・・? 今後とも宜しくお願いします。
明治30年3月の「伝染病予防法」制定前までは臨時に作って取り壊してましたから、それ以降ですね。 病院も移転をしてますから、手っ取り早く旧病院が大正時代にどこにあったか尋ねたらいかがでしょうか。 例えば旧本所病院なら都立墨東病院に尋ねてみたり、旧東京市立築地施療病院なら築地のガンセンター(昔は海軍医学校があったような)の近くにありましたから。 旧世田谷村立隔離病舎は荏原病院、旧豊島病院は現豊島病院、府立広尾病院は現都立広尾病院。
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98kinさん、アドバイスありがとうございます。 >臨時に作って取り壊してましたから この情報で1つ疑問が解決出来そうです。 あるところで、書物に付随してある年表(完全なものではない?)で急に ・避病院増築 との記載が明治25年に記載があり、「伝染病予防法」の制定時期とのズレの解釈が不明でした。 >病院も移転をしてますから 上記地域では少なくとも1回は移転しているのは判っているのですが、ひょっとして2回以上移転している可能性も出てきました・・・? >大正時代にどこにあったか尋ねたらいかがでしょうか。 少なくとも昭和に入っての病院情報があるので、その病院に問い合わせてみようかと考えていましたが、何か書類(書物)での記載を優先的に探したいと思ってます。 今後とも宜しくお願いします。
補足
98kinさん、再度アドバイスありがとうございます。 特に「都立病院の沿革」は参考になります。 駒込病院と豊島病院の流れが参考になりそうです。