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池田屋事件の発端となった謀略
池田屋事件の発端は、1864年6月5日、新選組に捕らえられた桝屋喜右衛門こと古高俊太郎の自白に始まります。 告白内容は実に過激で、長州の尊攘派が、風の日を選んで御所と中川宮に放火して、馳せ参じる京都守護職を襲撃し、騒ぎに乗じて捕らえられた同士を救出し、かつ禁裏の天皇を奪い長州への連れて行くというものだったそうです。 「NHKそのとき歴史が動いた」でも同じ内容が放送されていました。 質問は、本当にそんなおそろしい謀略があったのかということです。 風の日に火を放てば京都の町中が炎上します。死者は数しれず、民衆の心は離れてゆきます。 ましてや天皇を奪おうとするなんて過激すぎます。 それを実行してただで済むはずもなく、長州藩でも天皇を連れてこられても対応に困ったことでしょう。 この謀略はどこまで歴史的事実なのでしょうか? 大げさに宣伝されているだけでしょうか。 詳しいかた教えてください。
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池田屋事件前の謀略は、誇張が含まれていると思います。 なぜならば新撰組にとって名を上げる千載一遇のチャンスだからです。 少しでも意味合いを大きくしようするのは十分考えられること。 個人的な想像 「天皇を奪い、長州に連れて行く」 これは間違えないかと。後の蛤御門の変でも同じことを考えていたはずです。 天皇さえ手に入れておけば何かするにしても、「勅諭によって事を行う」と大義名分を持つことが出来る。 「風の強い日の火をつける」 これも陽動として間違えないかと。 ただし規模はどの程度を考えていたのか。 本当に京都を焼け野原にするまで考えていたのか? 陽動作戦はあったと思われるが、規模の関しては誇張が入っていそう。 「会津公の襲撃」 長州系が幕末時に何度も考えていそうなことです。 しかし、この時にそこまで分けられる戦力があったとも思えません。 数人で鉄砲による襲撃でも考えていたのかもしれませんが。 長州が完全に自暴自棄になったのは、このあとの蛤御門の変の時ではないかと。
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- take000
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No.4です。 桂小五郎は止める側だったのではないでしょうか? 少なくとも「陽動の火付け・天皇を奪う」の計画はあったのは間違えなさそう。いずれも過激極まりない。 それには同調できず、何とか思い留まらせようとしていたのが桂。 桂小五郎という人物は表立った過激行動を好まず、むしろ陰の策略家といった印象ですね。 (鳥羽・伏見の時は主戦派でしたが・・・) 古高俊太郎は拷問を受けての自白ですからね。 呻くように「京の町」「火」「帝」「長州」「奪う」など単語をぽつぽつと漏らしただけなのかも。 新撰組も謀略の大まかな事が分かったくらいだったのかもしれませんね。
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ありがとうございます。 >桂小五郎は止める側だったのではないでしょうか? そういえば、桂小五郎は過激派のイメージがないですね。 >新撰組も謀略の大まかな事が分かったくらいだったのかもしれませんね。 集合場所が特定できずに捜索していたことから、詳細は聞き出せなかったのでしょう。
- seyber
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お返事ありがとうございます。 謀略を実行してしまった例に226事件があります。 天皇の命令が出たと嘘を付いて、内閣の大臣邸宅を 次々襲撃させ、ほとんどの大臣を銃撃し、殺したのです。 (実行の後に天皇に直訴状を出し、勅許をもらおうとしたのです。これさえあれば合法なのです。) しかし、昭和天皇は側近の物が殺害された事を知ると 激怒し、国賊を朕(私)が成敗する。馬と近衛兵を用意しろと言い出しました。 直訴状は読まれもしなかったようです。 (この時点で226は失敗したのです。) 勅許が出ると大佐は確信していたそうです。^^; 世の中、色々いますね。^^ 騙されて動いた兵、幹部は銃殺でした。
お礼
ありがとうございます。 2.26事件のときも宮城占拠計画があったそうですね。 >実行の後に天皇に直訴状を出し、勅許をもらおうとしたのです 天皇を馬鹿にしたような発想ですね。何でも自分の思い通りになると思っているんでしょ。 長州の尊攘浪士の謀略は事前に発覚してしまったわけですから、もっとつたない計画だったのかもしれません。
- seyber
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当時、天皇は絶対であり、天皇に倒幕令を出させれば勝ちだったのです。 目的は、天皇の勅許です。 これさえ出れば、攘夷も倒幕も思いのままです。 この当時、天子様(天皇)の拉致など考えもしないので成功する確率は極めて高かったはずです。 当時の強風時の火事は一度燃え出すと大火になるので 火事に気は行きます。更に火災の壁も出来上がります。 (この事から考えると、信憑性は高いのです。) ですから、民衆の事など全く考えていなかったはずです。 もちろん、民衆の命などどうでも良い人間が日本を救うなど出来るはずがありませんね。^^ NO,1さんも言っておられですが、一発逆転の秘策と言う所ではないでしょうか? 余談ですか、剣豪で有名な侍を捕まえる時、捕り方が一斉に、 火事だ火事だ火事だー!!! こう怒鳴ると剣豪は、刀も持たずに慌てて着物一枚で丸腰で外に出てきたそうです。^0^ すぐお縄に付きました。 当時の火事はもの凄い威力はあったようです。
お礼
ありがとうございます。 このときの天皇は孝明天皇で、他人のいいなりになる人物とも思えないのですが。 いずれにせよ、せっぱつまった結果の陰謀だったというわけですね。 >この当時、天子様(天皇)の拉致など考えもしないので成功する確率は極めて高かったはずです。 天皇の警護が薄いとは考えてみなかったのですが、本能寺の信長を考え合わせると、手薄だったのかもしれません。 案外勝算のあった計画だったわけですね。
- Zephyranthes
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当時の長州は外国との戦争で惨敗したりして落ち目だったので、ここで一発というヤケクソじみた思考パターンにはまっていたように思われます。 それにあの時代は殺すか殺されるかでピリピリしている時代だったので、民心なんて構っちゃいられないというのが正直なところでしょうね。
お礼
ありがとうございます。 「いくらヤケクソじみた思考パターン」があっとしても、常識を超えているように思えます。 罪のない庶民が何人も焼け死に家を失うことになるでしょうし、また天皇の身に何かあったらどうするのでしょうか? 多方面から検討して多くの人の賛同を得ることができるとは思えないのです。 むしろ、この謀略がでっちあげと考えるほうがすっきりするくらいです。
お礼
ありがとうございます。 >池田屋事件前の謀略は、誇張が含まれていると思います。 >なぜならば新撰組にとって名を上げる千載一遇のチャンスだからです。 そうなんです。古高俊太郎はひどい拷問にかけられていますから、新撰組の意図どおりにしゃべらされた可能性もあります。 あるいは会津藩に報告するときに大げさに言い、事件後も武勲を誇張して触れ回った可能性もあります。 長州側としては世間に知られては困る内容ですから、沈黙を守るしかなったのではと。 ただこの謀略は実利肌の桂小五郎も加わっていましたから、荒唐無稽なものでなかったと思われます。