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池田屋襲撃
1864年7月8日、京都池田屋に集結した、長州を主犯とした不逞な輩は、徳川慶喜、松平容保の暗殺、孝明天皇の拉致をくわだてた密談をしています、そこへ新撰組が乗り込み戦闘が始まります、数時間の戦闘後、ほとんどの不逞輩は成敗され、残った者は捕縛され詰問される事になります、新撰組が戦闘らしき戦闘を発揮した瞬間でした、成敗しなければならない相手はもっといたのですが、取りあえずこの時は池田屋に集結した者だけを成敗しました、この事で明治維新は10年遅れたと言いますが、果たして池田屋襲撃よりも、もっと大物を成敗すべきだったと思うのですが、どう思われますか。
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新撰組は京都の警備役なので当時京都にいなかった大物を成敗することは不可能 よって池田屋襲撃は正解といえる でもこれって1864年ですよね? 明治になったのは1868年でわずか4年後です 明治まで10年もかかっていませんが?
お礼
新撰組は京都の警備役ではありましたが、京都守護職の手のまわらない事案は新撰組に委任していました、確かに池田屋襲撃は成功しました、しかし残党狩りに近い事案より、もっと大物を成敗、捕縛すべきだったと思います、そして函館戦争にて蝦夷共和国が崩壊したのが1869年、明治2年のことですが、ほんとうに近代の世の中になったと感じられたのは1875年頃からです、ありがとうございました。