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ウーマンリブについて
ウーマンリブがもたらしたものとして 子連れデモなどがありますが、その論点の概要を説明した上でその意義についてあらためてかんがえるとどのような考えになりますか?
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>ウーマンリブがもたらしたものとして 子連れデモなどがありますが、その論点の概要を説明した上でその意義についてあらためてかんがえるとどのような考えになりますか? ⇒遠大なテーマですので、長くなる割りには不十分な回答になるかもしれませんが、一応以下のとおりお答えします。 いくつかの項目に分けて、順を追って見ていきます。 ①「ウーマン・リブ」(Women's Lib) とは: 「ウーマン・リブ」とは、1960年代後半から1970年代前半にかけて、おもにヨーロッパ、アメリカ、日本などで起こった「女性解放運動」で、英語のフルスペリングはWomen's Liberation Movement、略してWomen's Libとなる。(日本語の「ウーマンリブ」を英語表記すると、Woman Libとなりますが、これはいわゆる和製英語の1つ。) ②先行運動「アファーマティブ・アクション」(Affirmative Action): アファーマティブ・アクション「差別撤廃運動」は、1960年代半ばにアメリカで、時のジョンソン大統領が職業における積極的な差別是正措置を求めたことが起源とされます。社会的・構造的な差別によって不利益を被っている者に対し、一定の範囲で特別の機会を提供することにより、実質的な機会均等を実現することを目的とする措置のことを言い、性別や人種などにおける弱者(マイノリティ)に対する差別を、歴史的経緯や社会環境を考慮しつつ救済していこうとする取り組みと行動を表す。歴史的に差別を受けてきたマイノリティの代表例としては、有色人種、少数民族、女性、障害者などがあげられる。一方、日本においては、この「アファーマティブ・アクション」という言葉は特に、女性労働者に対する改善措置を示す言葉として使われる場合が多いように思われる。 ③ウーマン・リブの起り: この女性解放運動の発端は、1960年代後半、米国の公民権運動やベトナム反戦運動において、女性の運動家が仲間の男性の性差別的な運営と衝突し、それまでの運動を飛び出して独自の組織をつくり始めたことに起因する。やがて他の国々においても、女性解放を目標に掲げた組織やネットワークが次々と誕生した。日本でも安保闘争を背景として1970年に女性だけの独立した運動が生まれた。ウーマン・リブの動きは、第三世界の解放、黒人解放など、同性愛者など抑圧されたグループの解放と呼応しながら世界的に連帯し、1975年メキシコで開かれた国連の第1回世界女性会議において運動は頂点に達した。 ④日本におけるウーマン・リブの活動: 日本のウーマン・リブ活動男は、女平等を推進するべく、1999年(平成11年)に制定・施行された「男女共同参画基本法」により、「社会のあらゆる分野において、2020年までに、指導的地位に女性が占める割合が少なくとも30%程度になるようにする」といった目標を定めており、それに関連した取り組みが各分野で積極的に実行されている。具体例としては、大学入試における女性優遇入試(女子特別枠)や、雇用における女性優遇採用などで、地方の役所、大学、企業などで実践されている。日本政府は、政策目標として、2020年までに指導的地位に女性が占める割合が少なくとも30%となることを努力目標として提言しているが、安易な数値目標は逆に採用や昇進における女性優遇を招くのではないかとの指摘もある。日本のポジティブ・アクション(Positive Action)*は諸外国における同等の政策とは異なり、民間企業を対象とする傾向が強く、個人の能力差がはっきりと出る傾向にある企業において、仕事の能力が劣る人間が女性というだけで昇進を獲得するという事態になれば、現場での軋轢は避けられないのではないかとの懸念も存在する。また女性志願者が少ない職種にも同様に適用される場合の難しさも指摘されている。背景の1つとして、女子学生を大学入試において差別する傾向が依然として残っていることが挙げられ、例えば、2018年には医学部入試での女性差別が発覚している。 *日本では、アファーマティブ・アクションの中で、特に女性に対する積極的改善措置のことを「ポジティブ・アクション」と呼び、厚生労働省が中心となって女性の活躍や男女格差解消の活動を推進している。 ⑤ウーマンリブの問題点(反対意見): このような性による優遇措置については、日本のみならず世界各国で反対の声が存在する。日本では「男女の平等は、社会の意識や慣習が変化し、女性が能力を十分に発揮できるようになれば自然に達成される」、アメリカでは「自由な競争を妨げ、社会や企業の活力を損なう恐れがある」・「女性が優遇される結果、同じ能力を持つ男性が差別される」、スウェーデンでは「男女の平等は、社会の意識や慣習が変化し、女性が能力を十分に発揮できるようになれば自然に達成される」・「女性が優遇される結果、同じ能力を持つ男性が差別される」、ドイツでは、「女性が優遇される結果、同じ能力を持つ男性が差別されるから」・「男女の平等は、社会の意識や慣習が変化し、女性が能力を十分に発揮できるようになれば自然に達成される」などを理由とした反対の声が出ている、という。 ⑥ウーマン・リブの経緯と展望: ウーマン・リブの前身はフェミニズムがその原点ともいわれ、19世紀後半から20世紀前半にかけて起こった女性参政権運動を第一波フェミニズム、ウーマン・リブを第二波フェミニズムと呼ぶこともある。この運動の発端となったアメリカではベトナム反戦運動や公民権運動に連動する形で、性による役割分担に不満を持った高学歴主婦や女子学生を中心に「男女は社会的には平等・対等であって、生まれつきの肌の色や性別による差別や区別の壁を取り払うべきだ」という考えのもとで開始され、1979年、国連総会において女子差別撤廃条約が採択されるなどその後の男女平等社会の推進に大きく貢献した。 日本でも1970年(昭和45年)11月14日に第一回ウーマンリブ大会が開催され、男女雇用機会均等法の制定に大きな役割を果たした。ウーマン・リブの運動家は、これまでのフェミニズム運動における女性の権利要求に加えて、女性の意識や個人的な人間関係にまで立ち入り、目に見えにくい形で女性を抑圧してきた権力構造を分析し、そこからの解放を目指した。新しい運動方法を模索して、女性だけの共同生活を営んだり、個人の体験を少人数グループで共有して意識を高め合う活動(コンシャスネス・レイジング)を行ったりした。また、ここで生まれた新しい現状認識から、これまで重要視されることの少なかった要求――避妊の自由、中絶の自己決定権、託児所の充実、性暴力の根絶、レズビアンに対する差別撤廃など――を広く社会に訴えた。より広義には、優生保護法、ピル解禁、生ということも殖技術の発展などに対する現実的な批判が行われるとともに、女性の性表現に関する独自の言葉と認識とが編み出されていった。ウーマン・リブの掲げた問題点は、1976年から1985年に至るまでの「国連女性の10年」の過程で、一般の主婦層をあむ多くの人々に受け継がれ、現在もその解放に向け、さまざまな形で運動が続けられている。また、女性学、男性学、ジェンダー研究などもようやく研究分野として認められつつあり、歴史、文化、などあらゆる分野において、これまで自明とされてきたことの見直しが試みられている。とはいえ、いかなる問題についても、所説紛々、賛否両論が入り乱れて、簡単に合意形成が成立しないという状況はしばしばであるが、遅々としてでも、着実に前進していくという希望的観測はあり得るだろうと思われる。