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日本史ついて
日本史の登場人物を調べて、その人の考え方や人生を知ることは、何の意味があるのでしょうか??社会人になる上で役立つことはありますか? また、この人のことを調べると人生観が変わる!という人物などいましたら、教えていただきたいです。
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- aeromakki
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役に立ちますよ。 先を考えるためになります。 徳川斉昭という水戸藩主がいました。 賢君とされていましたが、安政の大地震で藤田東湖や戸田忠太夫らのブレーンが死去した後の斉昭は、実にパッとしない。 逆に、ブレーンがいれば何とかなるというのを誰かが考えたらしく、学校の成績がお世辞にも良くなかった某A元首相のケースは、いまだに森喜朗の跡継ぎ状態らしいので、怖い怖い。 森氏も「鮫の脳味噌」と筋肉馬鹿ぶりについて揶揄されてましたが、憎まれっ子世に憚る、なかなか死なない。 藤田東湖もどきが背後にいる某A元首相もまだ院政を敷こうと頑張ってますが、 ブレーンやってる輩は国を危うくしてきたわけだから、天罰下ればいいのに! 安政の大地震のように、圧死しろ、と思うな〜。 等という悪口がいいか悪いかは置いておいて、 この程度のことを考えられるのは、藤田東湖の死後の徳川斉昭の評判を知ってないと無理です。 つまり、日本史にはご教訓が溢れているのに、学ばないのは損ですよ? 私は理系だったので、高校で日本史の授業は一切取ってないんですがね。 だから、中学以後は総て独学ですね。
- staratras
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ご質問の趣旨は「研究者以外の学生にとっての意義」だと理解しました。「社会人になる上で役立つこと」があるかどうかは、「誰を調べたか」よりも「どのようにして調べたか」「どのようにその人物と向き合ったか」によるところが大きいように感じます。 回答者は学生時代に、戦前・戦中に中国通として活躍し、敗戦直後に病死したジャーナリストである橘樸(たちばな・しらき)という人物のことを調べたことがあります。その当時(昭和50年代初め)には、世間的にはすでにほとんど忘れられた人物になっていましたが、古本屋で著作集を入手して読み、国会図書館などで彼が執筆した新聞や雑誌の記事に目を通していくにつれて、次第に自分の頭の中に思想の変遷を含めて彼の人物像が浮かんでくるようになりました。これは他人が書いた伝記を読んだのとは異なる初めての経験でした。 その後(インターネットが普及する前です)、別に歴史関係でも研究職でもない職業につきましたが、仕事上で大事な相手と初めて会う前には、その人にどんな著作があるかを知っておき、もしあれば一つくらいは読むという習慣となったことは良かったと、今となっては思っています。
- もこ猫ミクにゃん(@miku-chi)
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日本史の個人のことを調べるというのは「趣味」になりますよね。 大学などでやれば「研究」ですが。 小説やドラマなどをより楽しむための知識になる場合もありますが、通説とは異なる新発見や説を知ると「んんんんん?」と素直に楽しめなくなることも。 まあ、創作だからね。とおおらかな気持ちで観るのが正解なんでしょうけど。 「人生観が変わる」というのはその歴史上の人物の考え方と言うよりも伝記を書いた人の考え方の方に影響を受けていると思います。 一部の人は日記などを遺していますけど、やはり伝記っぽい小説かな?と。 坂本龍馬や源義経なんてほぼ小説の創作とも言えますし。 織田信長の「信長記」も誇張が多いとか。 比叡山の焼き討ちとか実は僧侶の失火だった説もありますし。 歴史や人物の研究することは「数少ない資料から真偽を見極める」訓練になるのかな?と。
- nururian
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世の中には実生活に直接意味がない学問がゴマンとあります。いや、学問のほとんどが実生活には直接意味がないものかもしれません。 宇宙の起源や太陽系外のことを知ったところで我々の生活は全く変わりません。 地震のメカニズムを知ったところで、地震が防げるわけでも予知できるわけでもなく、たとえ大地震を予知できてもそれを生かせるか疑わしいです。 恐竜の化石を発掘して調べたところで我々の生活には1mmも影響は与えません。 こういう学問は、実生活ではなく、人間の知的好奇心を刺激して満足感を与え、情操を豊かにするのです。