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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:終戦前。日本政府・軍部内にいたアメリカのスパイ。)

終戦前の日本政府・軍部にいたアメリカのスパイとは?

このQ&Aのポイント
  • 終戦前、日本政府・軍部内にアメリカの協力者(スパイ)が存在しましたか?
  • もし存在した場合、そのスパイはどのような方法で米国に情報を伝えたのでしょうか?
  • また、暗号無線を使って情報を伝えるためにはどのような手段が必要だったのでしょうか?

質問者が選んだベストアンサー

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  • eroero4649
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回答No.3

1 そりゃいたでしょうが、スパイってのは身分がバレちゃ意味がないですから、誰だったんですかと聞かれてあの人ですと答えられたらその人はスパイ失格ですよね・笑。 当然、アメリカ政府や軍部に日本のスパイもいたことでしょう。でもそれが誰だったのかは知ることはできません。 日本側の資料で、アメリカのサンフランシスコに滞在する日本のスパイがアメリカ軍の情報をかなり正確に伝えていたことが判明しています。「海兵隊が出港した。目的地はガダルカナル」という情報も送っていたそうですよ。しかし、このスパイの正体が誰だったのかは今になるも分かっていません。 2 情報を連絡する方法はいろいろとあります。古典的なやり方が「新聞広告を使う」ですね。 実際に使われた暗号ですが、ドイツにいるイギリスのスパイが送った暗号が「丸太が上昇。少なくとも2ポイント」というものだったそうです。 丸太が戦艦ビスマルクを意味しており、上昇とは作戦のために出撃したこと、少なくとも2ポイントというのは少なくとも2隻は参加しているという意味になります。 連絡の手段にしてもバレたら何の意味もないですから、我々が思いもつかない意外な方法が色々と使われているのでしょうね。 私は自衛隊の百里基地(茨城空港)に戦闘機を見学しに行ったことがありますが、そこに集まっていた戦闘機マニアのおじさんたちの中に、マニアのフリをした某国のスパイも密かに混ざっているのだろうなあと思って静かにワクワクしていましたよ・笑。

kouki-koureisya
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 スパイは誰?という質問自体が的外れってわけですね。 私はスパイ、あるいは協力者でした、と告白すれば、戦後何年たとうとも売国奴のそしりは免れませんから、告白するバカはいないということですね。 見つかったスパイは、日本ではゾルゲだけですか。 質問した、ソ連との交渉話が米国に筒抜けの話自体、真偽のほどは私には不明ですが、ありそうな話と思っています。 情報伝達に新聞広告を使う方法が実際にあったのですね。 面白い話です。 以前、ヤクザが服役中の仲間に元気な顔を見せるため、大相撲中継を利用して、正面マス席に陣取っているという話を思い出しました。

その他の回答 (3)

  • eroero4649
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回答No.4

#3です。 スパイというのは、基本的にWスパイというものなのだそうです。つまり自国の情報を売り渡して、相手の情報を得るのです。相手の情報だけを一方的に得るというのは映画みたいに秘密工作員が潜入して情報を盗み出しでもしない限り不可能です。 とある産業スパイ事件で自社の秘密情報をライバル会社に売っていた役員の人が捕まりました。それで、部下の人たちが「あの人はいつもライバル会社の秘密情報を知っていて、いつもみんなで『あんな情報をどこから仕入れているんだろうね』と思っていたんです」とコメントしていたんですね。 つまりその人は、自社の秘密情報をライバル社に売ることで、ライバル社の秘密情報を得ていたのです。そうです、本来なら、その彼にライバル社の機密情報を売ったライバル社のやつがいたはずなのです。しかもその売られた機密情報とバランスがとれる機密情報にコミットできる「偉い立場の人」のはずです。 オウム真理教が地下鉄サリン事件を起こしたのは、オウム真理教に対する強制捜査が近いことを知ったからです。 おかしいですね、なぜオウム真理教は警察の捜査が近いことを知ったのでしょうか。どう考えても警察の少なくとも末端ではないレベルにオウムのスパイがいないと知るはずがないですよね。 そして一説によると、公安警察はオウムがサリン事件を起こすことも知っていたといわれています。知っていてあえて事件を起こさせた。それで公安がどんなメリットを得たのかというと、その後日本の警察は刑事警察ではなく公安警察がメインとなったというのが一番のメリットでしょう。実は当時、ソ連などの崩壊によって左翼活動家の活動が一気に低下して公安警察は「存続の危機」にも立たされていたのです。公安にとってはサリン事件はまさに自分たちの存在を強める起死回生の手段だったのです。 地下鉄サリン事件は、オウムでもごく一部の信者だけが知っていたトップシークレットでした。どうやら実は教祖である麻原彰晃も事前に「やる」とは知らされていなかったようです。そのくらいのトップシークレットにコミットできる公安のスパイがいたのです。そして、その情報と見返りに手に入れていたのが警察の重要な情報なのでしょう。いったい、それは誰だったのでしょうね。上祐ごときの小物ではないことは明らかでしょう。彼はペラペラ喋るからスパイ向きではありません。 著述家としてマスコミにもよく出てくる佐藤優氏はかつて外務省の職員で「外務省のラスプーチン」の異名をとるほどに当時のソ連に深くコミットメントしていました。彼の偉業の中で一番有名なのが、ソ連でクーデターが発生したときにいち早くゴルバチョフ大統領の安否情報を手に入れたことです。CIAより早く、日本経由でその情報を知った当時のブッシュ(シニア)大統領が「アメイジング!」といったといわれています。 それほどまでに深く、ふかーくソ連内部にコミットメントできた彼。それはとりもなおさずソ連にとって「使える男」だったからに他なりません。だからこそ、彼に重要な情報も与えたのでしょう。 私は彼に対して「いったい、どんな日本の機密情報をソ連に売ったんですか?」と思っています・笑。いやもう相当エグい情報を渡したんだろうなと。 世界中の紛争地のようなところも多数訪れ、様々なルポルタージュ記事や「ゴルゴ13」の原作なども書いた作家の船戸与一さんがインタビュー記事で「スパイは爬虫類の目をしているんだよ」といっていました。佐藤さんの写真などを見る度に「まさになー」と思っています。 私も社会人でいろんな仕事をしていて、気づいたことがあります。 情報って、基本的にギブアンドテイクです。「A社って今、こういうことをやってるみたいですよ」とB社の人にいうと、面白いことにさしてしつこく詮索しなくてもB社の人が「実はウチは今、こんなことを考えていまして」と教えてくれるんです。そうすると、面白いように情報が集まるのです。そして「eroeroさんところに行くと何か情報が手に入る」という評判も手に入れることができるのです。 そしてもうひとつ、不思議なことに秘密を守れば守るほど、なぜか秘密を知ることになるのです。例えばAさんから「実は私、不倫をしているの」と聞いたときにそのことは絶対に喋らないと、なぜかBさんのプライバシーも知ることになるのです。これがなぜなのかは、今でも分からないです。「あの人は漏らされたら困る情報は喋らない」という信頼感がそうさせるのかなとも思います。 とにかくね、情報というのはとてつもなく重要なのですが、それが分かっている日本人はとても少ないなと感じますね。だってさ、カードゲームで相手の手札が分かっていれば、自分がいくらゴミ手でも絶対勝てるじゃないですか・笑。

kouki-koureisya
質問者

お礼

再度のご回答ありがとうございます。 なるほど!と頷く話がいっぱいです。 産業スパイのニュースが時々出てきますが、Wスパイの話が多いですね。 「公安」は、自身の存続をかけて共産党やオームの残骸を追っかけているが、オーム以後、どんな業績を上げたのか、とんと耳にしません。 20年ほど前、雑誌の連載で佐藤優氏のエッセイを読みましたが、スパイと言えば聞こえが悪いが、「インテリジェンス」と言えば知的に感じます。 北方領土返還交渉のその場にいた彼の話は、臨場感に溢れ、外交の面白みを感じました。

  • SPS700
  • ベストアンサー率46% (15297/33016)
回答No.2

 #1です。間違いの訂正などです。 1。盗まれた手紙の著者は、ポーでした。 2。「肉を切らせて〜」は、下記のように英語版がありました。  https://biz.trans-suite.jp/20773 3。「スパイがいたとして、どんな方法で米国に情報を伝えたのですか。」と言うご質問ですが  当時は下関から連絡船があり、着くと釡山(=プサン)発「ペキン行き」『大陸』と「新京(今の瀋陽)行き」の『ひかり』の123等国際列車が出ていました。当時の満州国にはハルビンなどの国際都市があり、ソ連に通じていました。  日本人は日本人には厳しく外国人には優しいので、憲兵は日本人には厳しかったですが、あちらさんにとっては日本はスパイ天国でした。

  • SPS700
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回答No.1

1。終戦前、日本政府・軍部内にアメリカの協力者(スパイ)がいましたか。いたとすれば、誰ですか。  僕はその頃ティーンエージャーだったので、よくは知りませんので、これは憶測にすぎませんが、一人や二人ではなかったのだろうと思います。 2.スパイがいたとして、どんな方法で米国に情報を伝えたのですか。 暗号無線で送信するしかないと思いますが、暗号は、しょっちゅう更新されますから、そんな暗号表を持っていたことになりますね。  僕は在米で、ナバホのコードトーカー(Navajo Code Talkers)によって日本の暗号が解読されたことは1950年代にもう公表されていました。これはフィリッピン戦線でのことになっていました。  最近アメリカで出た本には無名の女子大生隊が密かに暗号を解読しホワイトハウスにも極秘裏に出入りして日本の連合艦隊が真珠湾に出港する前から暗号は読まれていたようです。  ただ読めていたと公表すると効き目がありませんから、今まで黙っていたようです。アンブローズ・ビアスの『盗まれた手紙(Purloined Letter)の国ですから肉を切らせて骨を断ち、骨を切らせて髄を絶つ、なんちゃって。  

kouki-koureisya
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 スパイの話は、面白いですね。 アッと驚くような、まさかそんな事あったの、というような話に出あえます。 「Navajo Code Talkers」の話がまさにこれです。 日本政府か軍部には、複数の協力者がいたのでしょうが、スパイの世界は闇の中ですね。。

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