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日中戦争、中国(蔣介石政権)への和平工作。
泥沼化した日中戦争で、日本は、度々和平への道を模索してきたそうです。 小磯内閣期に、中国側交渉仲介者の繆斌(みょうひん)が来日したそうですが、繆の信憑性をめぐって閣内対立が起きて、工作は中止になったそうです。 繆斌(みょうひん)とは何者ですか。 日本側の誰が、中国のどこで、繆斌(みょうひん)に接触したのですか。 よろしくお願いいたします。 情報源:「終戦工作」山川出版社 http://www.historist.jp/word_j_shi/entry/034312/
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>繆斌(みょうひん)とは何者ですか。 国民党中央委員⇒親日団体新民会副会長(日本軍の傀儡団体)⇒立法院副院長⇒蒋介石の命により処刑される。 >日本側の誰が、中国のどこで、繆斌(みょうひん)に接触したのですか。 中国の華北地域です。 余談ですが・・・。 日中戦争では、ドイツ軍が中国を資金・軍事支援を行っていました。 日独伊三国同盟関係にあっても、「まさか?ドイツ軍が?」が歴史にあったのですね。 太平洋戦争終戦では、昭和天皇が早期講和に大反対していますよね。 近衛内閣時に「沖縄戦が始まる前に、早期講和を!」と天皇に進言しました。 が、「朕は同意しない。陸海軍が、既に沖縄戦の準備をしている。こ近衛は弱腰だ」 沖縄戦で敗北すると・・・。 「もう戦う船(戦艦)は、ないのか?」 この一声で、戦艦大和の沖縄特攻作戦が決まりました。 既に海軍は、大和を不沈砲台として帝都を守る作戦だったのですがね。 広島に原爆が落ちると・・・。 「連合国の無条件降伏勧告には、国体(天皇制)維持を認めているのか?」 長崎に原爆投下。 令和になって、やっと闇が見えてきました!?
お礼
ご回答ありがとうございます。 親日団体新民会副会長ということで、よく分かりました。 それなら日本へ連れてくる前に、どんな人物かよく分かっていたはず。 連れてきてから、繆の信憑性をめぐって閣内対立が起きるとは、政府の慌てぶり、場当たり的な対応の様子が目に見えて、面白いです。