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終戦直前、東京からモスクワへの「クーリエ便」。
連合国との和平交渉をソ連に懇願するにしてもタダでは頼めないので、日本は、「ポーツマス条約と日ソ基本条約を廃棄して、日露戦争前の情況に復帰せしむる」といった譲歩案を東京駐在のソ連・マリク大使に提示したそうです。 もともとソ連としては、急ぐ必要のない事案なので、東京のソ連大使館は、その譲歩案を「クーリエ便」で本国へ送ったと日本の外務省職員に言ったそうです。 ここで言う「クーリエ便」とは、どんなモノなんでしょうか。 どんな手段やルートを使ったのでしょうか。 そもそも、クーリエ便で送ったというのは、ホントでしょうか。 なお、ソ連は、譲歩案の概略を国際電報で知らせていたそうです。 よろしくお願いいたします。
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>ここで言う「クーリエ便」とは、どんなモノなんでしょうか。 外交関係に関するウィーン条約 第二十七条で規定されている、身体の不可侵を保証(いかなる方法によつてもこれを抑留し又は拘禁する事が出来ない。)された外交伝書使によって外交封印袋(当事者以外は、開き又は留置することができない。)を介して運ばれる機密文書の運搬方法(飛行機等を使用)に成ります。
お礼
ご回答ありがとうございます。 そのような規定が、敗色濃厚な日本で運用されていたと言うことですね。