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俳句の文法について
句会に入ってます。 以下のことについて教えて頂けたらと思います。質問しましたがうやむやになってしまいました。 「…どこかで人は寂しかりけり」 末尾の...かりけり」はこれでいいでしょうか? 教えていただけたらと思います。
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形容詞「寂し」の連用形「寂しかり」+詠嘆の助動詞「けり」の終止形で文法的な問題はありません。 「…どこかで人は寂しかりけり」(…どこかで人は寂しいのだなあ) 意味もちゃんと通じます。 ただ、俳句としては2文字の字あまりになるところが難点です。 俳句のとりな 「文法上最もおかしやすい誤りとは」 https://ameblo.jp/originalk/entry-12515821502.html は、文法上「寂しかりけり」が正しいとしつつ、字あまり回避のため「寂しかり」とするようすすめています。 宮地伸一「歌言葉考言学」抄 遠かり――カリ活用につき https://www.shin-araragi.jp/zakki_bn/bn_07/zakki0705.htm によれば、明治以降の短歌にカリ活用終止形の使用はさほど珍しくないそうで、「寂しかり」終止形の使用例が わが見つる大和はつひに寂しかり(尾上柴舟) つきつめておもへば歌は寂しかり(斉藤茂吉) 祭太鼓しきりに打ちてさびしかり(前登志夫) など複数紹介されています。
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- Nakay702
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以下のとおりお答えします。 >句会に入ってます。 以下のことについて教えて頂けたらと思います。質問しましたがうやむやになってしまいました。 「…どこかで人は寂しかりけり」 末尾の...かりけり」はこれでいいでしょうか? 教えていただけたらと思います。 ⇒小学生の頃ですので、うろ覚えですが、こんな詩があったように思います。 「カラマツの林を出でて カラマツの林に入りぬ カラマツは淋しかりけり 旅ゆくは淋しかりけり」 島崎藤村か誰かの詩の一部だったでしょうか。 とにかく、ここに「かりけり」が出てきます。 「カラマツは淋しいなあ/淋しかったなあ 旅ゆくは淋しいなあ/淋しかったなあ」といった意味合いでしょうね。つまり、この「けり」を付加する意味は、ただ「淋しい」というのでなく、「淋しいなあ」というような詠嘆の効果を添えるためだろうと思います。 この伝で、お題の「…どこかで人は寂しかりけり」を解釈すると、「…どこかで人は寂しがっているのだなあ」となって、一見よさそうにも感じますが、「どこかで」の不確定性と「かりけり」の断定感とがしっくりなじまない感じがなくもありませんね。 しかし、「どこかで人は」が実は、例えば、「宮中でわたしの恋するあの方が」とか、「ここでわたしは」などを暗に指しているとすれば、別段何らの不和感もなくなるように思います。あるいは、「…」の部分が、例えば、「秋の夜半(やわ)どこかで人は寂しかりけり」のようになっているとすれば、これまた、「どこかで」を「どこにいても」というように読み替えることができそうにも思えてきます。「秋の夜半どきというものは、どこにいても人は寂しいものだなあ」といった解釈ができるのではないか、と考える次第です。 すみません。以上、私の推測です。 主観的な「妄想」を駆使して、個人的な考えを述べさせていただきました。
- sutorama
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しみじみとした感嘆の表現で、けりは「違いない」とかになるかと思いますが、「どこかで」が想像を馳せているとしたら、少し表現が合わない気がします どこかで人は寂しいに違いない・・・って、おかしく感じます
お礼
よくわかりました。普段耳慣れた使い方でないと、へんに思えてしまうので、ちゃんと文法も勉強しないと、と思います。 分りやすい文法の本(実作に役立つ本などご存知でしたらおしえていただけませんか?)
補足
リンクを貼って もらったのに本を紹介してください‥などと言ったのは間違いでした。 とても参考になりました。有難うございました。