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杜若についての質問|江戸時代の名画ひきよす杜若との関係について
- 江戸時代の名画ひきよす杜若について質問されました。杜若の名画を根津美術館で展示していると話したら、進行係の女性が激高し、このような句は作ってはいけないと怒りました。
- 質問者は参加している俳句の会で最近入会した新参者ですが、先輩たちは多くの句が選ばれる中、質問者は1から3句しか選ばれません。質問者は自分の趣味である絵についての句が作句により出来てしまい、退会するつもりです。
- 質問の要旨は、この句がいけない句なのかどうかです。
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質問者が選んだベストアンサー
激高するほど「いけない」ということはないと思いますが、はっきり申して、あまり良い句ととも思えません、あくまでも私のセンスではということですが。 俳句は、・・・ 言い方はそれぞれですが、今回の質問者さんの句との絡み出言えば、それを味わう人によて、情景がさまざまに解釈され想像の翼が広がるようなものであってほしいと思うのです。 広がった末の話を詠み手が聞いて、「なるほどそういう味わい方もあるか」と思えれば最高かと。 わかり易いかなと思う例で言うと、有名な、「古池や」の句です。 実際の句は、江戸の小さな庭(庭とも言えないほどの庭)の水たまりみたいな池で読まれたらしい(話を聞いてびっくり、行って見て再びびっくり)のですが、現実を離れて「句」として読むと 苔むした岩が突き出た古池、どろりとした水、ボチョンとくぐもった音がしただけではなく、その後のシーンとした静けさや、所々日差しが差し込んでいるが薄暗い森、朽ちかけた神社、そんなさまざまな、五感を刺激する情景が浮かんできます。 私はこういう句が好きです。 俳句にはそういう想像上の情景の広がり・膨らみがほしいのですが、「尾形光琳の」と言われると、現物つまり絵の持つイメージ以外にはイメージが膨らみません。逆に、「尾形光琳の」と言われないとなんのことか、情景が(言葉だけからは)浮かんできません。 言いにくいですが、そのような句を高く評価することはできません。私は、です。 例えば某お茶缶に書かれた俳句なんて、私にはほとんどがなんの感動も与えてくれません。あれでも良しとする人はいるわけですから、好きに詠めばいいんだろうと思います。 どんな俳句でも激高して価値を否定するほどのことはなかろうと、思いますよ(それは俳句でなくて川柳でしょ、現代短歌でしょ、というのはあります)。
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- SPS700
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初うんこ 年越し蕎麦よ さようなら(作者僕) と言うのをここに出して「下品だ」と叱られた者です。その会に出して進行係の女性の顔を見るんでしたね。 燕子花図と書いて、何と読むのだろうと調べたら、何と「かきつばたのず」これではご質問に答える□が無いのでこの当たりで、、、 でもお作りの句は上品で良い句だと思います。
お礼
少し気持ちが楽になりました。 ありがとうございました。
お礼
ありがとうございました。 大変よく判りました。。。といってもすぐに句作に生かせるかせるほどのちからがあるかはわかりませんが、少なくとも何でよくないか判りました。(もともと選ばれなかった句の説明なのでしたが。)正直。あの芭蕉の句がどうしてよいかもよく判らなかったのですが説明してもらいわかりました自分が好きかどうかは別にして。 このような句会にさんかしつずけるかどうかは、句作の意欲がわくかどうかとかの女性を上手く(平静)にかわせるかのところで考えてみたいと思うようになりました。