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「うた」の意味の変遷
「うた」といえば昔は和歌のことを指していましたが、現在のように音楽のことを指すようになったのはいつからですか。
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- staratras
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No.1です。回答の末文に大きな誤り(誤記)がありました。失礼しました。 誤:「うた」が「詠む和歌」から「うたう唄」の意味により多く使われるようになる過渡期というか転換点はこの時代あたり(もっと広く言えば江戸時代の終わりから明治にかけて)ではなかったと思います。 正:「うた」が「詠む和歌」から「うたう唄」の意味により多く使われるようになる過渡期というか転換点はこの時代あたり(もっと広く言えば江戸時代の終わりから明治にかけて)だったのではないか と思います。
- staratras
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うた(歌謡)の本質にかかわる興味深いご質問ですね。 まず明らかなことは、古代にもいわゆる和歌の範疇には収まり切れない「うた(歌謡)」が存在して、これは「詠む」のではなく「うたう」ものだったという事実です。「日本書紀」の102番の歌には「拝みて 仕へ奉らむ 歌附きまつる」という表現があり、古語辞典の「歌」(声を出し、節をつけ、拍子をとって、自分の感情を表現する詞)の用例に挙げられています。古代歌謡の中には、五音・七音を基本単位とする和歌のリズムからはずれ、かけ言葉や囃し言葉が入っているものもあり、これを「うた」とするならば、「古代から「うた」にはいわゆる和歌とそれ以外の酒宴の歌や民謡など、現代の「うた」により近いものとの両方があった」と言えるでしょう。 江戸時代になると、後者の「うた」・「歌をうたう」ことはさらに普及しています。式亭三馬の「浮世風呂」では銭湯の女湯で歌を大声を張り上げてうたっていた山出しの下女が「これこれ何を唄ふのだナ 女湯の中で唄をうたふものが 何国(どこ)にあるものか」と叱られる場面があります。下女がうたっていたのは「銚子のなき節」という下総地方の唄でもちろん和歌ではありません。 しかし同じ「浮世風呂」の女湯でも文学好きの教養ある女性2人(かも子・けり子)の会話で、けり子が「この間はお哥(うた)はいかがでござります」とかも子に聞いている「うた」は当然和歌のことです。またけり子は「あまり本哥(ほんか)でたいくついたす時はなぐさみがてら俳諧哥(滑稽味を帯びた和歌)をいたしますが…」とも言っています。本哥とは和歌のことで、この時代でも教養のある人にとっては「うた」とは本来和歌のことだったことがわかります。 この時代には「うた」という言葉が「和歌」と「唄」という両方の意味で使われていたことになります。これをまとめると、「うた」が「詠む和歌」から「うたう唄」の意味により多く使われるようになる過渡期というか転換点はこの時代あたり(もっと広く言えば江戸時代の終わりから明治にかけて)ではなかったと思います。