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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:谷口正煕は徳川家重の御書院番にはなっていないのか?)
谷口正煕は徳川家重の御書院番にはなっていないのか?
このQ&Aのポイント
- 「谷口 正煕(まさひろ)」という人物は、10代将軍・徳川家治の御書院番のみにはなりましたが、9代将軍・徳川家重の御書院番にはなっていないのでしょうか?
- 「谷口 正煕(まさひろ)」という人物は、明和六年十月二十二日御書院番に列しましたが、9代将軍・徳川家重の御書院番にはなっていないようです。
- 「谷口 正煕(まさひろ)」という人物は、10代将軍・徳川家治の御書院番にはなりましたが、9代将軍・徳川家重の御書院番にはなっていないようです。
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徳川家重の将軍在任期間は延享2年(1745)11月2日~宝暦10年(1760)4月1日。 徳川家治の将軍在任期間は宝暦10年(1760)9月2日~天明6年(1786)9月8日。 谷口 正煕の御書院番在任期間は明和6年(1769)10月22日~安永2年(1773)12月28日。 家治の書院番にはなったが、家重の書院番にはなっていません。 正煕が家督を継いだのは宝暦10年12月28日となっていますから、家重が将軍のときは、まだ部屋住みの身です。 禄高数千石の上級旗本で父が番頭や奉行などを務めているような家の跡継ぎは、父が隠居する前から書院番士などの役職につくことができましたが、禄高500石の谷口家のような一般的な旗本の家の場合、跡継ぎは当主である父が隠居して家督を継ぐまで役職につけません。
お礼
御回答ありがとうございました。 よくわかりました。