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昔の、無縁仏は寺に投げ込まれたあと、
昔の、無縁仏は寺に投げ込まれたあと、 荼毘せずに埋めてたんですか?それなら、腐敗臭とか、半端なかったのではないでしょうか。
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補足を頂戴しました。 補足に 「確かに筵に包んで流していたとかありますが」 とありますが、寡聞にして知りません。 江戸時代には川に流れている遺体は放置されていました。 岸に流れ着いた場合は、その川岸の村(住人)が埋葬することが義務付けられていました。 川岸の住人としては面倒ですので、遺体を竿などで突いて川の流れに戻していました。 尚、天明3年(1721年)に浅間山が噴火した際に犠牲者が現在の江戸川に多数流れてきました。 この時に善養寺の住職が哀れんで小岩村の住人を指揮して埋葬して供養しました。 これを記念して13回忌の際に石碑を建てました。 現在も江戸川河畔の善養寺に残っています。 参考 浅間山噴火犠牲者供養碑(善養寺)|東京都江戸川区の歴史 http://tokyoedogawa.blog.shinobi.jp/東小岩/浅間山噴火犠牲者供養碑(善養寺)
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- ichikawa2017
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わざわざお礼を頂戴しました。 お礼に 「家畜の餌など悲劇的すぎます。」 とありますが、遺体を喰っていたのは家畜ではなく野犬つまり野良犬ですので誤解なきように願います。 尚、明治維新の時に吉田松陰が小塚原で斬首されて遺体が放置されていました。 これを後に初代の総理大臣になる伊藤博文が夜分に盗み出して埋葬しました。 博文は後々までこのことを手柄話として話していました。
お礼
勉強に、なりました。
- oska2
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>無縁仏は寺に投げ込まれたあと、荼毘せずに埋めてたんですか? 無縁仏と一言で言っても、色々あります。 遊郭の遊女の場合。 寺院巡礼中の修行僧・巡礼者。 無宿者。 犯罪者。 江戸時代の多くは「土葬」です。 上級国民は、火葬の場合が多い。 仏教思想で「死ぬと、魂は肉体から離れる」のですね。 ですから、地中深くに穴を掘り(遺体を入れた)木製の棺桶を埋めます。 >腐敗臭とか、半端なかったのではないでしょうか。 江戸時代の墓穴の深さは、今の各都道府県条例と同じで「約2メートル」です。 2メートルだと、遺体が腐敗しても臭いはありません。 ※地中のバクテリアが、遺体を分解。土饅頭は、凸状態から凹状態になる。 今でも、山間部・島しょ部では土葬が行われていますよ。 変わった風習では、遺体の土葬墓(捨て墓)と一般的な石の墓(生き墓)の両墓制度も残っています。 ※魂が抜けた肉体は、捨てる。魂は、お墓で祀る。 余談ですが・・・。 日本以外のキリスト教・イスラム教葬儀では、今でも土葬が一般的です。
お礼
凹むのはウミガメの孵化みたいですね。老衰なら分解は早いでしょうが、若いならなかなか解けないですよね。再開発などで切り開かれた場合、土葬下遺体は掘り起こされますよ。お寺の敷地には、骨格が埋まってるから不気味なんでしょうかね。
- ichikawa2017
- ベストアンサー率54% (452/836)
投げ込み寺=無縁仏ではありませんのでご注意下さい。 投げ込み寺に捨てられる遺体は無縁仏の一部です。 寺に投げ込む無縁仏というのは吉原などの遊郭の遊女でした。 通称投げ込み寺と言われる寺は全国の遊郭の近くに必ずありました。 江戸時代は戸籍制度が整っていて戸籍から除外された人間が亡くなった場合には埋葬する遺族がいませんでした。 このような場合は多くは同じ町内や長屋の人達が近くの寺に頼んで埋葬していました。 埋葬だけで以降の回忌供養はしませんでした。このような仏が無縁仏です。 遊郭で遊女として働く際には親族が戸籍から除外していました。 詰まり遊女には戸籍がありませんでした。 戸籍がありませんので亡くなれば遊郭の主人が遺体を近くの投げ込み寺へ投げ込ませました。 投げ込み寺には大きな穴が掘ってあって、ここへ遺体を放り込みました。 後は土をかけるだけですが左程異臭はしなかったでしょう。 小塚原など刑場で処刑された人間を埋葬することは禁止されていました。 小塚原などの刑場内に放置されていて野犬の餌などになっていました。 埋めませんので相当異臭はあったと思われます。 この状況を哀れんで大きなお地蔵様の像が造られました。 現在も南千住の駅前に首切り地蔵としてあります。 この首切り地蔵のある回向院の境内に当時の小塚原の様子が掲載されています。 尚、平安時代などに京都で庶民が死ぬと遺体は鴨川の河原に捨てられました。 飢饉の歳などには京都市内の異臭が烈しいことが公家の日記などに書き残されています。
お礼
家畜の餌など悲劇的すぎます。でも罪人だから、罪のあり方によってはありかもですね。
補足
確かに筵に包んで流していたとかありますが、本当にしていたんでしょうか。家族なら、木に引っ掛かったまま流れないと痛ましいとおもいます。
- t_ohta
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明治初期で火葬率は30%くらいと言われていますから、近代になるまで多くは遺体をそのまま埋める土葬でした。 カトリック信者の多い米国や欧州では今でも60~70%が土葬らしいですよ。 なので、土葬自体は珍しいモノではありません。 地中深くに埋めれば匂いなどは殆ど無いでしょう。
お礼
アメリカでも13人埋めていた事件ありましたね。深く埋めても夏場などは異臭がする気が。特に未成仏とか。そう考えると火葬になったら墓を掘り起こして燃やしたんでしょうか?。
- rokutaro36
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無縁仏とは、遺体のことではありません。 「仏」の名前が示すように、埋葬された遺体、または、その墓のことを言います。 投げ込み寺に放置された遺体は、寺が葬ります。 昔ならば、土葬にしたでしょう。 腐敗臭を防止するために、墓は深く掘る、同じ場所に埋葬しないなどの対策が取られたと思います。 その後、「無縁仏」となります。
お礼
敷地内に埋めるのでしたら、かなり精神的疲労するのではないでしょうか。
お礼
参考になりました。川が海に続いていたのですね。