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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:うちのお寺の仏様について)

うちのお寺の仏様について

このQ&Aのポイント
  • うちのお寺の仏様について疑問があります。菩提寺の本堂には観音様があり、その周りには護摩壇や経机があります。お地蔵さんが祀られている右隅には檀家のお骨が納められています。天台宗のお寺なので御本尊は特に決まっていませんが、他のお寺ではお不動さんが御本尊の場合もあるそうです。法華経や阿弥陀経にお不動様が出てくるかどうか疑問です。もし大日様を御本尊にすることも考えられるのでしょうか。また、お地蔵さんが選ばれた理由やお位牌やお骨が納められる場所には何か意味があるのでしょうか。
  • 天台宗の菩提寺であるうちのお寺の仏様について、疑問が浮かんできました。菩提寺の本堂には観音様が祀られており、その周りには護摩壇や経机が配置されています。また、本堂の右隅にはお地蔵さんが御厨子に祀られており、お骨や位牌が納められています。天台宗のお寺では御本尊は特に決まっていないそうですが、他のお寺ではお不動さんが御本尊の場合もあるそうです。法華経や阿弥陀経にお不動様の登場があるのかどうか気になります。もし大日様を御本尊にすることも考えられるのでしょうか。さらに、お地蔵さんが選ばれた理由や位牌やお骨が納められる場所には何か意味があるのでしょうか。
  • うちのお寺は天台宗の小さなお寺であり、そこでは観音様が御本尊として祀られています。本堂には護摩壇や経机があり、お地蔵さんが御厨子に祀られています。お骨や位牌も丁寧に保管されています。天台宗のお寺では特に御本尊が決まっていないようですが、他のお寺ではお不動さんが御本尊の場合もあるそうです。法華経や阿弥陀経にお不動様が登場するかどうか疑問です。もし大日様を御本尊にすることも考えられるのでしょうか。また、お地蔵さんが選ばれた理由やお骨や位牌が祀られる場所の意味についても興味があります。

質問者が選んだベストアンサー

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  • michael-m
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回答No.3

仏教を開いたお釈迦様は当初何も祀りませんでした。ひたすら壁に向かって教えを復唱(読経)することを実践していたのです。お経はキリスト教のような祈りではなく、人間の生きる術、天然自然の仕組みを解いている教科書です。達磨大師も壁に向かって何年間も修行をしたことは有名ですね。 しかし弟子が「何か目標とするものがなければ集中できません」とお釈迦様に言うと、お釈迦様は壁に○を書きました。達磨大師の掛け軸として「○」がある場合がありますがこれもその意味があります。 この○の中心をじっと見つめて修行しているとその中に宇宙が見えるとも言われています。 その後様々な教えが優秀な弟子や僧によって作られました。 そのつどその教えを象徴するものが生まれました。それが仏像です。仏像はその姿を見る事によって教えを読み解くための象徴なんです。大日如来は世界の仕組みについて、観音像は観音行についてというようにです。 コレは逆に一つの教えを重視する場合はいいですけど、根本の釈迦の教えを学ぶ場合には邪魔にもなります。 なので天台宗では本尊を特定しないという事になるわけです。 もう一つ仏様はそのつど仏が教えを実行する際の変化(へんげ)だと考えられています。 判りやすく言えば仏は最近流行の変形ロボの元祖なんです。 つまり仏陀があまねく天を照らす際には大日如来の姿で、救済のためには観音様の姿で、冥府に迷える魂を救うためには地蔵の姿でということです。 ということで判りやすいお話では地蔵は子供を救いますけど、冥府の魂の救済者ということなので亡くなった人を救済するのでイインです。この世の救済は観音様となります。(絶対的なものじゃありません) このほかにも地蔵さんが観音様の化身だとか、実は閻魔様の化身だという解釈もあるんですよ。 天台宗は中国で生まれましたが、日本に伝わる仏教全体の形を持っているので、何のお経を唱えようと失礼でも何でもありません。根本ですから。 真言も題目も念仏もおまじないではありません。感嘆に言えば、教科書を音読しているのです。 更にそお内容を短く纏めたキーワード。それがお題目やお念仏だと考えて置いてください。

Tallis
質問者

お礼

御返事遅くなりました; 確かに本尊を特定しない場合御仏の教えを広く理解出来るかもしれません。 特定されてしまうとその仏様意外無関心になりがちというのも理解できます。 仏様は様々な姿に変えるという話は分かりやすく辻褄が合います。 冥府の魂を救済する意味で御堂のお地蔵さんの横にお骨が安置されているのですね。 よくよく考えたら弥勒さんが現れになるまでの間衆生をお救い下さる偉大な存在でしたね。

その他の回答 (2)

回答No.2

良く仏教の勉強をされていると思います。仏様の事を如来といいます。大日如来、釈迦如来、薬師如来、阿弥陀如来が代表的なものですが世の中には3000位の仏様が存在するようです。お寺様は必ずしもご本尊を祀ってはいません、もともと本山があり仏様の一歩手前の観音様を拝むこともあるようです。私は曹洞宗の檀家ですが、お寺には釈迦如来、大日如来、阿弥陀如来、薬師如来が祀られています。般若心経を読めば分かると思いますが、宇宙はガスによって構成されています、新しい命が生まれ、一方では古いものは無くなるのです、この輪廻を繰り返しているのです。ご質問者様への回答には程遠いと思いますが、仏教は一部の新興宗教を除いては平等に心開いています。

Tallis
質問者

お礼

曹洞宗も様々な如来を祀っているそうですね。 仏様の捉え方が天台宗に似ているのでしょうね。 仏様の世界は上下関係が明確ですが実は平等であり互いが意識のネットワークによって 繋がっているのかもしれませんね。そもそもお釈迦様は人は皆平等と言ったのですから 仏様の世界も実はそのような気もしていました。

  • organic33
  • ベストアンサー率36% (615/1664)
回答No.1

その家その家に歴史があり、その寺その寺に歴史があります。 今、いろんな宗教で「これが当宗派のやり方」と言っている寺もありますが、ほとんどの寺は長い歴史があり、その中に神仏分離令や人別帳の基を寺がにない、別の寺の檀家でも近隣の寺にも出入りしている場合など、有ります。 さらに、寺が宗派を変わったり、火事などで全焼して、寺を再建出来ない場合など、丸ごと他の寺にお願いしたりする事もありました。 ですので、その寺のご本尊様はそういう謂われがあって今に至ってますので、それはそれで認めて手を合わせましょう。 日本は八百萬の神々の国です。その中にはブッダも含まれますし、アラーも含まれますし、イエスも含まれます。さらにはマリア観音等もあります。 寺の中にあるお地蔵さんはそれはそれで謂われの有るものかと思います。 お地蔵さんを作る理由として子供さんが亡くなったからと言うのもあるかと思います。それも、寺を一軒寄付出来るほどの総代さんのお孫さんが亡くなったりした時に、お地蔵さんを御厨子に入れて供養する場合があります。たっぷりお布施を上げたのでしょう。 その場合のお地蔵さんはまさに子供そのものの形だと思います。 今、お地蔵さんというと、後光を背負っているような、体型の後ろに光り輝いている部分の付いた舟形地蔵がほとんどになっていますので、あの形は室内には似合いません。 神仏分離が薄らいで、寺の境内に稲荷神社や山の神を祀るようになってから、仏教様式の物は本堂や衆寮に鎮座するようになりました。石で出来ていようと、木で出来ていようと。 地蔵様は閻魔様です。ですので、本堂でにっこり微笑んで睨みを利かせるのは何ら違和感はないです。 墓地の入り口の六地蔵も閻魔大王です。あの世に行った時、まず最初に我々を値踏みするのがお地蔵さん(閻魔様)です。 何でも有りの大乗仏教、言い換えると何も無くても良い宗教ですので、おおらかに構えましょう。 決して小乗仏教、原理主義に走らないように。 ちなみに、私らの町内会の庵寺はご本尊様が千手観音、脇に控えるのがお釈迦様。別棟のお堂に大日如来です。 仏教の教義ではこれが上とか下とか言う坊主は誰もいません。 ここはここの信仰の形です。

Tallis
質問者

お礼

確かに何でもありでよく何も無くてもよいと言えそうですね。 観音様が御本尊で脇侍がお釈迦様というのは珍しいです。 それでも教義的に間違っていると言わないというのはそれはそれでよしとされている 何よりの証拠ですね。

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