徳川(一橋)宗尹の幼名について
一橋徳川家(御三卿の一つ)の初代当主であった、徳川 宗尹(とくがわ むねただ)の幼名が、"小四郎"ではなくて、"小五郎"であった理由は、"小四郎"だと、島原の乱の時の"天草 四郎(あまくさ しろう)"の"四郎"に"小"の字を付けた名前になってしまうからでしょうか?
一橋徳川家(御三卿の一つ)の初代当主・徳川 宗尹(とくがわ むねただ)は、徳川家重の夭折した同母弟を入れると、五男と見る事もできますが、
その夭折した徳川家重の同母弟を入れた場合、徳川(田安)宗武は三男とみる事になりますが、徳川(田安)宗武の幼名は"小次郎"です。
また、同じく、その夭折した徳川家重の同母弟を入れた場合、徳川(一橋)宗尹の同母兄は四男になりますが、徳川(一橋)宗尹の同母兄の幼名は"源三"です。
この事から、『徳川(田安)宗武(幼名は"小次郎")と、徳川(一橋)宗尹の同母兄・"源三"に関しては、夭折した徳川家重の同母弟をカウントせずに、順番を数えて、幼名を付けていた。』様に思われます。
しかし、徳川(一橋)宗尹の幼名が"小五郎"である、という事は、この徳川(一橋)宗尹の幼名を付けるに当たっては、夭折した徳川家重の同母弟をカウントに入れていた事になります。
これは、徳川(一橋)宗尹の幼名を"小四郎"にすると、天草四郎の"四郎"に"小"の字を付けた幼名になってしまうからでしょうか?
それで、夭折した徳川家重の同母弟をカウントに入れて五男という事にして、幼名を"小五郎"にしたのでしょうか?
そう思われるかどうかを教えてください。
お礼
御回答ありがとうございました。