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【漢倭奴国王印】

天明4年(1784年)、志賀島で発見された金印ですが、同様の物が中国その他周辺諸国でも発見されているのですか。 Webの情報(できれば画像)があれば教えてください。 よろしくお願いします。

質問者が選んだベストアンサー

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  • notnot
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回答No.1

「漢委奴国王」ですね。 Googleで、「金印 site:cn」で画像検索すると中国サイトの画像が出ます。 銀印、銅印などもあったはず。持ち手の動物も色々。 中国が属国に、そのランクに応じて与えた物です。

kouki-koureisya
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。この金印は、江戸時代に作られたというニセモノ説があります。私は、ずっとホンモノだと思っていたのですが、ニセモノ説にも一理あります。そこで、漢代の同じような物(デザイン、大きさなど)がどこかで出土しておれば、自分としてはホンモノ説に立とうと思い、質問しました。「金印 site:cn」で画像検索すると、1981年に中国江蘇省で住民が拾った金印「廣陵王璽」がズバリ該当することが分かりました。お陰様で疑問は解消しました。

その他の回答 (2)

  • pri_tama
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回答No.3

漢印には、以下の様な種類がある様です。  皇帝:[璽]白玉印虎鈕  皇后:[璽]王印金印虎鈕  皇太子:[章]黄金印亀鈕  丞相・大将軍:[章]黄金印亀鈕  百官「二千石」:[章]銀印亀鈕  百官「千石」「六百石」「四百石」:[印]銅印鼻鈕  諸侯王:[璽]黄金印橐駝鈕(らくだ)  列侯:[印]黄金印亀鈕  印譜として古今の篆刻家等が収集した印影を書籍化しています。    https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%B0%E8%AD%9C  これらの印は、本来は何かあった場合(国が亡んだり、中国の王朝が変わった際等)、中国の王朝に返却しなければ成らないので現物が残っているのはそう多くなかったと思います。  添付した画像は、「漢委奴国王」(国宝)「廣陵王璽」「滇王之印」に成ります。

kouki-koureisya
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。なるほど、現存している物が数個しかないのは、こんな理由があったのですね。実際には、国が大混乱に陥ると、「印」の返却どころではなかったでしょうね。

  • oska2
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回答No.2

>天明4年(1784年)、志賀島で発見された金印ですが 田畑を耕していた農民が見つけた金印ですね。 >同様の物が中国その他周辺諸国でも発見されているのですか。 中国では、見つかっていません。 また、中国の周辺国でも公式には見つかっていません。 公式に「見つかった!」と言えば、直ぐに「この国は、中国固有の領土だ!」と人民解放軍がやってきますからね。 ※「南シナ海は、2000年前から中国が支配していた」ので、今でも中国固有の領土だ!(習近平皇帝陛下談話) 余談ですが・・・。 文科省では、魏志倭人伝しか信用していませんよね。 が、唐記には「倭国は、漢倭奴国である」との記載があります。 ※これが本当なら、漢倭奴国は九州に存在しましたから邪馬台国は九州。 その後、大国の倭国は(近畿地方の)小国の日下(ひのもと)国を武力で併合。国号も奪い、忌み嫌っていた倭国名から日本国を名乗る様になった。 これが、日本書紀の「神武東征」らしいです。^^;

kouki-koureisya
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。#1様のヒントで調べると同じような物が見つかっているようです。

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