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メアリ1世が弾圧したのは

イギリスのメアリ1世は旧教を信仰し、新教徒を弾圧したと学びました。 質問1.ここでいう新教とはピューリタンのことで、イギリス国教会派は含まないのですか?もしそうなら、何故国教会派は弾圧しなかったんですか? 次に、国教会は「教義面はプロテスタント、儀礼面等は旧教」とのことですが、 質問2.ここでいうプロテスタントとはピューリタン(カルヴァン派)のことですね?プロテスタントと言えばルター派も含まれるのに、何故こんな紛らわしい表記をするのでしょう?

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  • ベストアンサー
  • nacam
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回答No.2

1番の方も書かれていますが、メアリ1世の時代には、ピューリタンはまだいません。 ピューリタンが出現するのは、スチュート朝がイングランドの王位を継いだ後です。 スチュアート朝がイングランド王位についたことにより、スコットランドとイングランドの一体化が進み、イギリス国教会とスコットランドの長老派(カルビン派)の統合がすすみ、その中から出現します。 メアリ1世が弾圧したのは、イギリス国教会です。 ただし、この当時は、完全には国教会は成立しておらず、教皇に従わないカトリックといった感じでした。 メアリ1世の母親は、「カトリック両王」とも言われるアラゴン王フェルナンドと、カスティジャ女王イサベラの間の子カタリーナで、父イングランド王ヘンリー8世が、男の子ができない事を理由に、離婚した女性です。 この離婚が、教皇に許可されなかったため、イギリス国教会が創られます。 母親の不遇、夫が反プロテスタントの最先方のスペイン王フェリペ2世であった事から、国教会の弾圧を進め、後にブラッディマリー(血のマリー)の蔑称を付けられます。 ブラッディマリーの蔑称は、カタリーナが離婚される原因となったヘンリー8世の再婚者アン・ブーリンの子エリザベス1世が即位の後、メアリーの行為を誇張して呼んだのだと思われます。 エリザベス1世は、メアリ1世により弾圧の対象となり、カトリックに激しい敵意を持ち、イギリス国教会をカトリックとは別のものに造り替えます。 という事で、 >質問1.ここでいう新教とはピューリタンのことで、イギリス国教会派は含まないのですか?もしそうなら、何故国教会派は弾圧しなかったんですか? これは誤りで、メアリ1世は、国教会を弾圧しました。 >質問2.ここでいうプロテスタントとはピューリタン(カルヴァン派)のことですね?プロテスタントと言えばルター派も含まれるのに、何故こんな紛らわしい表記をするのでしょう? この質問も勘違いされています。 当時の国教会は、教義面も儀礼面でもカトリックとの差が有りませんでした。 当時の国教会は、教皇の権威を認めないカトリック程度の存在でした。 教義面での差が出てくるのは、エリザベス1世の時代です。 後に、その差があまりにも小さいため、それに不満を持った人々が、より改革を求めたのが、ピューリタン諸派と言われる人々です。 主なピューリタンには、「バプテスト」(アメリカ最大のプロテスタント、ブッシュ大統領も属する。日本では関東学院、西南学院を運営)、「会衆派」(ピューリタンとして最初にアメリカに渡ったプリグリムファザーズの人々、日本では同志社大学を運営)、「クエーカー」(アメリカで良心的兵役拒否が認められている宗派) またメアリ1世の時代には、カルビン派は、ほとんどイングランドに入っていません。 カルビン派が入ってくるのは、スコットランドのスチュアート朝がイングランドの王を兼ねたために、スコットランドのカルビン派(長老派)が入ってきてからです。 また、ルター派は、ドイツや北欧諸国の王家の保護下により成立したため、当時のイングランドには、ほとんど入ってきていません。 最も「長老派」が確立するのは、ピューリタン革命直前に、「会衆派」と分離してからですが。

yuta27
質問者

お礼

ありがとうございます。大変参考になりました。では、当時ではなく現在の国教会派は、教義上プロテスタントの影響を受けているというのは正しいですね?書物によって、イギリス国教会をプロテスタントに含める解釈と、含めない解釈がありますが、「含まれないけど、影響は受けている」と考えればいいのですね。

その他の回答 (3)

  • bender
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回答No.4

>「イングランドにおけるカルヴァン派」のことをピューリタンと > 呼ぶのではないのですか? 僕は、それは、おおよそ適当な表現だと思います。英語の wikipedia のピューリタンに関する記事にも、ピューリタンの特徴としてカルバン主義が挙げられています(Terminologyの項目の2段落一行目)。ただ、ピューリタンという語が、英国国教会の在りように反対する人達を指す語として使われ始めたのは1564年とあるので(以下)、少なくとも、メアリ1世が死んだ1558年より後の人達を指すときに使われるのではないでしょうか。 ピューリタンについて(英語wikipedia) http://en.wikipedia.org/wiki/Puritan ピューリタンの語源 http://www.etymonline.com/index.php?term=Puritan メアリ1世について http://en.wikipedia.org/wiki/Mary_I_of_England また、ピューリタンの中から、長老派(Presbyterian)と会衆派(Congregationalist)にわかれた人達がいる、と一般にいわれているように思います(さきの wikipediaのピューリタンの記事内で、Historyの項目の4段落1行目)。 ところで、バプテストの中でも、改革バプテストのようにカルビン主義の人達もいます。 因みに、ブッシュ大統領(息子)はバプテストではなくメソジストです。 > 次に、国教会は「教義面はプロテスタント、儀礼面等は旧教」との > ことですが、... 何故こんな紛らわしい表記をするのでしょう? 教義が「ローマカトリック的ではない(=プロテスタント)」ということを指摘しているのであって、それが実際には何派であるかを問題にしているのではないからだと思います。短い割には適当な表現だと思います。 > 「カルヴァン派を中心とする宗派」みたいに修正すべきですよね。 ピューリタンは「宗派」ではないので、これは適切な表現ではありません。

  • nacam
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回答No.3

2番です。 >「イングランドにおけるカルヴァン派」のことをピューリタンと呼ぶのではないのですか? これは違います。 ピューリタンは、カルビン派の影響を受けた国教会から分派した人達です。 国教会とスコットランドのカルビン派の教義が交じり合い、そしてウエストミンスター教義を認めるか認めないかで、長老派と会衆派とに分裂します。 この会衆派がピューリタンの中心となります。 その他に、バプテスト、クエーカーなどが国教会から分派し、ピューリタンを形成します。 長老派は、ピューリタンとは言いません。 会衆派は、カルビン主義を唱えますが、バプテストやクエーカーは、唱えません。 後に国教会から分派するメソジストは、ピューリタンとはされませんが、ピューリタン諸派と、かなり近い考え方の分派です。 イングランドのカルビン派(長老派プレスビテリアン)が弾圧されるのは、チャールズ1世の時代です。 >現在の国教会派は、教義上プロテスタントの影響を受けているというのは正しいですね? 正しいです。現在では、プロテスタントとして扱われます。 ただし、一部の人達(ピューリタン諸派やメソジスト、ペンテコステ、ホーリネス、などからすれば、国教会(聖公会)は、カトリックと大差無いと見ます。

yuta27
質問者

お礼

ありがとうございます。現在の高校教科書では、「ピューリタンは、イングランドにおけるカルヴァン派の呼称」となっています。「カルヴァン派を中心とする宗派」みたいに修正すべきですよね。

回答No.1

英国国教会の正式な発足は、メアリ1世の後のエリザベス1世の時代だから。 歴史的には、この後、17世紀になってから英国国教会の中からピューリタンが出てくるのでメアリ1世はピューリタンは弾圧してないよ。 カルヴァン派は弾圧した。これは、カルヴァン派がフランス、オランダ、イギリスに広がったから。ルター派はデンマーク、ノルウェー、スウェーデンに広まったけど、あまり西進しなかった。

yuta27
質問者

補足

ピューリタンはまだなく、カルヴァン派を弾圧したとのお答えですが、もともと「イングランドにおけるカルヴァン派」のことをピューリタンと呼ぶのではないのですか?お答えのカルヴァン派とは例えば「スコットランドのカルヴァン派(プレスビテリアン)」らで、イングランドに来ていた人たちのことなのでしょうか?

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