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旅順と特攻の関係
武田邦彦さんが特攻は犬死ではないとして 子供のころ旅順にいた話をされていました。 彼らが守ってくれたから自分がいるとおっしゃっていました。 旅順と特攻はどういう関係がありますか。 すいません、近代史は無知なもので。
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特攻が犬死ではないは異論が無いのですが、旅順はそもそも特攻してません。 特攻とは何ぞやと考えると、一般的には自爆攻撃、つまり攻撃そのものが自死であり攻撃と同時に自分の生還を期さない攻撃と解されると思います。 旅順攻撃はただの激戦であり厳しい損耗率ではあったでしょうが、敵を倒し自分も生き残るのがベストで、はじめから全滅するつもりでの攻撃は行っておりません。武田氏が歴史に無知なだけで旅順と特攻は関係ないといえるでしょう。 特攻の意義や特攻が無駄でなかった論拠にされるのは硫黄島です。 硫黄島での日本軍の激烈な抵抗をもとにアメリカ軍は本土進攻の損耗率の予想を立て、日本本土侵攻をあきらめたと言われています。この特攻を伴った抵抗がその後の歴史を左右したという意味で特攻は無駄ではなかったといわれています、旅順は関係ないです。そもそも特攻という単語さえ旅順当時はありません。
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- SPS700
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>>あなたは武田氏のファンですね いいえ。
- SPS700
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#3です。初めのご質問に帰ります。度々申し訳ありませんがこれが最後です。 >>旅順と特攻はどういう関係がありますか。すいません、近代史は無知なもので。 ここに答えがあるのにようやく気付きました。武田邦彦さんは1943年生まれですから、日露戦争を直接体験していらっしゃらないことは質問者さんと同じです。 質問者さんの「やはり武田氏、日露戦争とごっちゃにしてないでしょうかね」という言葉に「特攻」は大東亜戦争になって初めて作られた新しい物というお考えが伺えます。 しかし国のために命を捧げるという精神は『万葉集』の昔から大伴家持の「海行かば」(下記)でもわかるように、古くから日本人にある精神です。 http://www.hayashi-hideomi.com/series/3423.html 武田さんは、別に近代史の発明としてではなく、こういう古代から今までの長い歴史のつながりの中に、特攻を置いてみているのではないでしょうか。 https://www.amazon.co.jp/%E3%80%8C%E6%B5%B7%E8%A1%8C%E3%81%8B%E3%81%B0%E3%80%8D%E3%82%92%E6%AD%8C%E3%81%A3%E3%81%9F%E3%81%93%E3%81%A8%E3%81%8C%E3%81%82%E3%82%8A%E3%81%BE%E3%81%99%E3%81%8B%E2%80%95%E8%BB%8D%E6%AD%8C%E3%81%AB%E8%BE%BC%E3%82%81%E3%82%89%E3%82%8C%E3%81%9F%E8%BF%91%E4%BB%A3%E6%97%A5%E6%9C%AC%E4%BA%BA%E3%81%AE%E3%81%93%E3%81%93%E3%82%8D-%E5%B0%8F%E5%B7%9D-%E5%AF%9B%E5%A4%A7/dp/4901032844
補足
あなたは武田氏のファンですね。 もちろん、あなたの様にも考えられることはすでに書きました。 武田氏が生きているのは特攻ががんばってくれたから、ともいえます 特攻がいたから私たちがあるともいえるのです。 しかし、一言も日露戦争で旅順で特攻があったことを話さず、ご自身が旅順にいたことを話し、「彼らがいなかったら私はいなかった」といった場合、 普通に聞いたら旅順を特攻隊が守り、そのおかげで自分は生きていると思いそうなものです。 実際勘違いしたような書き込みをいくつか読みました。 武田氏が勘違いしていないのであれば、説明不足というより仕方がないですね。 「旅順に私はいたことがあります。 私が生まれる前、日露戦争で旅順特攻があったことを思うと 私の命があるのは特攻のおかげだとしみじみ思いました。」 まあ、こんな感じの文章なら勘違いすることはなさそうですけどね。 大伴氏は天皇家に武力で使える家柄でしたっけ。 それでそういう歌を詠んだのでしょうが、彼はどちらかというと反体制派ですね。 長岡京の造宮使・藤原種次暗殺事件の首謀者とされ、当事すでに死亡していたにもかかわらず死体が掘り出されて流罪となっています。
- SPS700
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#3です。補足です。 >>やはり武田氏、日露戦争とごっちゃにしてないでしょうかね。 ああ、これで質問者さんのお考えが武田氏と違う点がわかりました。「すいません、近代史は無知なもので。」とも整合性があります。 武田氏は、日本はずっと昔から今まで繋がっている、という歴史観。質問者さんは「近代史」は前後とは別のもので「ごっちゃに」できないという歴史観、のようですね。
補足
>武田氏は、日本はずっと昔から今まで繋がっている、という歴史観。 そうとれなくもないんですが 「僕は昔旅順にいた。特攻隊がいなかったら僕はいなかった」と発言されています。 最初からこれを書いておいたらよかったですね。すいません。 もちろん歴史には連続性はありますよ。 でも日露戦争で特攻隊が旅順で命を落としたことと、武田氏が旅順で死んでいたかもしれないことは 結び付けようと思えばできなくもないけど、ちょっと無理くりっぽいですね。 彼が2歳くらいのときに旅順で戦いがあり、特攻隊が守ってくれたおかげで自分の命がある 彼が日露戦争と混同した結果、そう考えていると思ったほうがしっくりきますね。 断言はできませんが。 記憶というのは、あとから作られて、真実と思いこんだりすることがよくあるようです。 私は高校のクラスメートに中学のときにあった出来事を話したことがあります。 何年もたって、そのクラスメートは、その出来事を、実際に自分が横にいて見た出来事だったと 勘違いしていました。 人間の記憶力ってそのくらいのものです。 ですから勘違いしていたとしても、別に武田氏を責める気持ちもありませんが。 あと、これは歴史の知識があるなしの問題ではなく、状況をどう判断するかという問題ですね。
- SPS700
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#3です。補足です。 下記で、ロシアと日本が旅順で衝突した経緯が話されています。 https://www.youtube.com/watch?v=zcsdI5ez7XI その関連で#3の2であげた歌の1:00 あたりから下記の歌詞があり、それが武田先生がおっしゃっている内容です。 https://www.youtube.com/watch?v=qy_nHbb73q8 「乃木大将は厳かに 御恵み深き大君の 大詔伝ふれば 彼畏みて謝しまつる」という意味は、 露帝のヨーロッパ式では敗軍の将を蔑み、剣を取り上げ死刑にするが、それを避け、武将に対する相当の敬意を払うようにとの明治天皇からの指示があり、 死刑にしないばかりか、帯剣を許すという、ロシアでは前代未聞の厚遇が与えられ、敗軍の将ステッセルは、その寛大さに感謝したことを指しています。 こうして極東の有色人種の日本は、小国ながら、ヨーロッパの白人種にない武士の情けを持つ国である。 ということを知らしめる、いわば日本が国際社会に出る重要な転機が、決死の日本兵によって旅順で得られたということだと思います。
お礼
ありがとうございます。 やはり武田氏、日露戦争とごっちゃにしてないでしょうかね。
- eroero4649
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#1です。他の方とも「犬死に」についての話があったので、ちょっと戻ってきました。 戦争における「犬死に」ってなんなんでしょうね。 一般的に特攻といわれる神風特別攻撃隊の体当たり攻撃が始まったのは、1944年のフィリピン戦からです。始まった理由が「通常の攻撃方法では米軍の激しすぎる対空砲火をかいくぐって爆弾を当てることができなくなったから」です。フィリピン戦に先立つマリアナ海戦で、日本軍は自分たちの目論むベストタイミングで攻撃をしたにもかかわらず、米軍に文字通りに一指も触れることができなかったのです。 それでも体当たりってのは確実に死にますから、海軍もかなり迷った。迷ったけど他に方法も思い浮かばずに「とりあえず試しでやってみよう」となったのです。ところがこれが予想以上に大戦果をあげてしまったのです。そうなるともうこの麻薬の虜になってしまうんですね。外道だ外道だといいながら、だらだらと続けてしまうことになるのです。そうこうするうちに感覚もマヒしてきてきたんですね。 特攻の本質は、膨大な仕事量を人海戦術の長時間労働でこなそうとする現代日本の仕事のやり方と同じですよ。何かと話題の給付金なんかそうですよね。ITで自動化、省力化するはずだったのに、フタを開けてみたらWeb申請したものをわざわざ紙にプリントアウトしてそれを人間がいちいち手作業でチェックするなんてことをやっています。誰も「それを自動化できるプログラムを作ろう」とはならない。 フィリピン戦では、30万人を超える日本軍将兵が亡くなりました。しかしこのうち「戦って死んだ人」ってのがいったい何人いたか。確実に、半分もいません。私は多くても2割くらいだと思います。あとの人たちは、餓死か病死です(一般的に6割くらいが餓死と病死といわれていますが、私は戦いの規模を考えると4割も直接戦闘による死者が出たとは思えません)。フィリピン戦の地獄は「野火」などで有名ですよね。人肉食もあったといいます。 同じようなこと(戦闘による死者より餓死や病死のほうがはるかに多い)は、ガダルカナルでもインパールでもパプアニューギニアでも起きました。 では一方の米軍は、戦争に勝ったくらいですから犬死にはなかったのか。 太平洋戦争の激戦地のひとつであったペリリュー島の戦いで、米軍の海兵隊師団はほぼ全滅扱いになる大損害を受けました。しかしペリリュー島は戦争の帰趨に影響を与えるような重要な島ではありませんでした。飛行場を確保するために上陸作戦が行われましたが、作戦が行われたときには事実上その飛行場は戦略的に重要ではありませんでした。 もうひとつ、太平洋戦域で米軍が甚大な損害を受けた戦場が硫黄島です。硫黄島は爆撃機の緊急着陸地として上陸作戦が行われましたが、結局硫黄島に緊急着陸したB29は延べでも数十機に過ぎません。それによって百名を超える米軍機搭乗員の命が救われたかもしれませんが、その代わりに2万人を超える死傷者を出しました。 日本では特攻が「やるべきだったかどうか」の議論になりますが、アメリカで議論になるのがドイツ本土爆撃です。米軍はドイツ本土爆撃でひどい場合は爆撃機の半分が撃ち落されるような大損害を被りました。ドイツ本土爆撃による米軍の死者は2万人を超えます。ちなみに日本軍の特攻作戦の戦死者が約2千人です。 そこまでやっていながら、ドイツの軍需生産のピークは1944年でした。実はあんまりドイツの生産能力に損害を与えていないのです。なにせ1万メートルからの高高度爆撃ですから、当たらんのです。米軍パイロットたちは「我々はドイツ農業に対して大攻勢をかけた」と自らを皮肉りました。 戦争における「犬死に」って、なんなんでしょうね。というか、戦争で「意味のある死」などというものがそもそも存在するのでしょうか。
お礼
ありがとうございます。 「犬死に」とはなにか、というのは主観であり、当然個人によって意見が異なります。 武田氏は「特攻の人は幸せだった」と言っていました。 それで私は特攻の方の遺書や、生還された方の手記を調べてみました。 その結果わかったのは武田氏が「特攻の人は幸せだった」というのは、単に彼がそう思い込みたいだけ、ということでした。 そもそもその人が幸福だったかどうかは、その人がどう感じていたのか、で決まるものであり 第三者が想像で判断するものではないです。 武田氏は手記を調べるというようなこともしていなかったようで、手記については何もいいませんでした。 手記に記されていたのは、次のような内容です。 (1)行きたくない。代わってくれといわれた。 ⓶厳しい訓練を受けて来たので敵機を撃ち落とす自信はあった。特攻を命じられることはそれを否定されているようで屈辱的だった。 (3)若い者にばかり特攻が命じられる。偉そうにしているベテランが行くべきだ。 (4)生還したら叱られた。 この中で私が一番心を動かされたのは(2)です。 彼らは自信があったのに、無能なんだから特攻するしかない、というような空気を作られ、 くやしさとやるせなさの中でなくなったんだと思います。 もちろん戦争で亡くなった人はみなさんお気の毒なんですよ。 特攻だけ特別ということはありません。 しかし、望んで特攻をやった人はそう多くはないのではないでしょうか。
- SPS700
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#3です。度々すみません。元のご質問に帰ります。 >>旅順と特攻はどういう関係がありますか。 旅順はロシア領で、それまで日本は取るに足りない極東の小国で、戦争をすれば一捻りで潰せるとロシアがバカにしていた国です。 難攻不落と豪語していた203高地を日本軍の捨て身の(=特攻の)攻撃でロシアから奪い取って勝ち、日本海海戦の勝利と共に、列強に名を連ねることになった、 というわけです。 また東大攻撃は東大に行った人しかできないと思いますがそれをおやりになったのは(下記)のように外からも見る目をお持ちだからでしょう。 https://www.youtube.com/watch?v=NJjpYEvZxHs 外から見る目があって初めて日本の良さがわかるという点では2歳で満州に渡り少年期を過ごした『男はつらいよ』の山田洋次、世界的という点では満州国奉天生まれの小澤征爾などがいます。
お礼
ありがとございます。 >難攻不落と豪語していた203高地を日本軍の捨て身の(=特攻の)攻撃でロシアから奪い取って勝ち、 武田氏はこれがあったので「特攻がなかったら僕は生きていなかった」といっておられたのかもしれませんが これって、日露戦争ですよね? 武田氏勘違いされているんでしょうか?
- SPS700
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#3です、補足です。 >>武田氏のお父様の御勤め先が南満州鉄道でしたか? ちょっと記憶が曖昧ですのでまちがっているかも。 お父さんは数学者で工学院大学名誉教授の武田楠雄さん、訳書には、『技術者のための微分積分学』(ジョン・ペリー 著、武田楠雄 翻訳 森北出版1959年)、著書には『維新と科学』(岩波新書1972年)などがあります。 プサンからの国際列車や「あじあ」に触れたのは、東海道線、関釜連絡船の時間が合わせてあって、東京から満州へは同じ国のように行けたことです。 旅順攻撃には203個地の占領に多くの日本兵の命が払われ(=後の特攻隊)始めて敵将に同等の礼儀を尽くしてロシア皇帝を印象付けたと言っておられます。
お礼
ありがとうございます。 確かにお王様は数学者でいらっしゃいます。 ファンの方に聞いたのですが、戦争で必要な計算をするために満州に行っておられたと。 その計算の依頼をしたのが南満州鉄道ということだったかもしれません。 ウィキにも武田楠雄氏のことは書いていなかったので、確認しようがありませんでしたが。 >東京から満州へは同じ国のように行けたことです。 なるほど、そうなんですね。 >旅順攻撃には203個地の占領に多くの日本兵の命が払われ(=後の特攻隊) 武田氏はこのことをおっしゃっているのかもしれませんね。
- SPS700
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#3です。補足です。 ちょっと気付いたのは、旅順のような外からの目もお持ちなので、日本の知識階級の盲点を突く、発言もできるのだと思います。 https://www.youtube.com/watch?v=i1m7cuopax4
- SPS700
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旅順と特攻はどういう関係がありますか。 とてもいいいご質問だとおもいます。まずお答えする前に準備をいくつか、 (い)当時国のために命を捧げることは靖国神社に神と祀られることで、非常に名誉なことだとされ。爆弾三勇士、真珠湾攻撃で亡くなった九軍神が例です。 https://www.youtube.com/watch?v=5jZa4aa1KgE (ろ)旅順は日露戦争の際、203高地を多くの日本兵士の犠牲を払って占領し、陸の勝利を得た乃木将軍が敵将ステッセルと水師営で会談した歴戦の地です。 https://www.youtube.com/watch?v=qy_nHbb73q8 (は)関東軍の関係者は「日本に米軍が上陸したら天皇陛下を新京にお迎えし(中略)徹底抗戦するのだ」と言ったそうです。『満州脱出』(中公新769)p.4。 (に)新京(今の長春)は1944年まで、釡山発新京行き123等、寝台車食堂車付き国際列車「のぞみ」が運行(片道29時間5分、29時間50分)されていました。 (ほ)特急「あじあ」はハルピン・新京・大連を結び、大連と旅順工大などのあった学術都市は、目と鼻です。 thttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%82%E3%81%98%E3%81%82_(%E5%88%97%E8%BB%8A こういうことから旅順が、日本の一部のようになっていた(1940年代)のは、日露戦争の時に命を捨てた日本の軍人のおかげである、というお考えかと思います。
お礼
丁寧な回答をありがとうございました。 >(ろ)旅順は日露戦争の際、203高地を多くの日本兵士の犠牲を払って占領し、陸の勝利を得た乃木将軍が敵将ステッセルと水師営で会談した歴戦の地です。 そういえば、武田氏,乃木将軍のことをよく話しておられますね。 >新京(今の長春)は1944年まで、釡山発新京行き123等、寝台車食堂車付き国際列車「のぞみ」が運行(片道29時間5分、29時間50分)されていました。 > (ほ)特急「あじあ」はハルピン・新京・大連を結び、大連と旅順工大などのあった学術都市は、目と鼻です。 武田氏のお父様の御勤め先が南満州鉄道でしたか? ちょっと記憶が曖昧ですのでまちがっているかも。 大変参考になりました。
- kappa1zoku
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武田邦彦さんは、さんまが司会をしている「ホンマでっか!TV」に出演していたのを見たことがあります。 番組内の発言だけを見たら、周囲を忖度せずにずばりというので頼もしくみていました。 ただ、彼の本を読むと、その印象とは全然違って、とても論理的なものではないと感じました。 いわゆる日本の戦争は正しかったという主張です。 というのも、彼が出会った戦後の民主教育というものの欺瞞性が許せなかったというものです。 戦後の教育は、アメリカGHQの主導による教科書の塗りつぶしから始まりました。 つい昨日までは正しかったことが、もうすべて否定すべきものとして語られるのです。 そのことが理由なのか、日本は侵略戦争を中国・アジアに仕掛けてはいないという主張をしています。 当時の中国政府(蒋介石率いる)が中国全土を支配下に置いていた訳ではないから、日本は中国に「侵攻」しただけだという理屈です。 ところが、蒋介石の政府は、すでにその頃、日本に大使館を置いていたのです。 南京虐殺も、中国兵が市民に紛れて都市ゲリラのようなことをしていたから、相手が市民なのか中国兵なのか区別ができなかったので、結果として大量の市民が犠牲になったのだという論理です。 テレビでの彼の理路整然とした意見にいつも感服をしていたのですが、彼の本を読んでびっくりしました。 「特攻は犬死ではない」という言葉は、何も語っていません。 これは「兵隊さんは、日本のために頑張りました」という言葉と同じものです。 歴史の中で、何を見るのか。 僕が勧める本を書きます。 『持たざる国への道ーあの戦争と大日本帝国の破綻』松元崇著、中公文庫。 この本は、当時の日本の経済力と当時の政治情勢を確認することによって、戦争に踏み込んでいく軍部の独走の実態を明らかにするものです。 五・一五事件から二・二六事件までの流れの中で、政治家の誰もが首相になることを辞退したことなど、自由な発言をすることさえ躊躇するようになっていたのが実はずい分と前からだということに驚きます。 戦争をドンパチすることだと思う人は、特攻などの戦術に妙な感情を持つのでしょうが、特攻という戦術が脚光を浴びるのは、過激なイスラム教徒による再演によってです。 特攻が犬死ではないとするなら、アメリカが言う原子爆弾が多くの犠牲者が出るのを食い止めたとする論理には勝てないように思います。 歴史を冷静にみること、それ以外に道はありません。
お礼
丁寧な回答をありがとうございました。 >とても論理的なものではないと感じました。 そうですね~、正直私もそう思います。 有名なのは煙草のグラフですよね。 https://www.gohongi-clinic.com/k_blog/667/ 歴史においても、日本には身分制度なかったとか、奴隷いなかったとか、えっ?と思うような発言をよくされています。 自説に都合の悪いことはスルーしているみたいな。 それでも歴史に詳しくない人は信じてしまうようで、結構ファンもいますね。 > 「特攻は犬死ではない」という言葉は、何も語っていません。 そうですね、そうは言ってなかったと思います。 「特攻で死んだ人は幸福な人生だった」とかそういう意味のことを言っていました。 本の紹介ありがとうございます。 ぜひ読んでみたいと思います。 d 戦争をドンパチすることだと思う人は、特攻などの戦術に妙な感情を持つのでしょうが、特攻という戦術が脚光を浴びるのは、過激なイスラム教徒による再演によってです。 >特攻が犬死ではないとするなら、アメリカが言う原子爆弾が多くの犠牲者が出るのを食い止めたとする論理には勝てないように思います。 なるほど!おっしゃるとおりですね。ありがとうございました。
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お礼
丁寧な回答をありがとうございました。 >旅順はそもそも特攻してません。 ですね。調べてもでてきませんでした。 > 旅順攻撃はただの激戦であり厳しい損耗率ではあったでしょうが、 なるほど、旅順攻撃というのがあったのですね。 調べてみます。 硫黄島についても教えてくださってありがとうございました。 それにしても2歳くらいのことを覚えているもんでしょうかね。 思い出したといって泣いておられましたが。