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旅順と特攻の関係
武田邦彦さんが特攻は犬死ではないとして 子供のころ旅順にいた話をされていました。 彼らが守ってくれたから自分がいるとおっしゃっていました。 旅順と特攻はどういう関係がありますか。 すいません、近代史は無知なもので。
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特攻が犬死ではないは異論が無いのですが、旅順はそもそも特攻してません。 特攻とは何ぞやと考えると、一般的には自爆攻撃、つまり攻撃そのものが自死であり攻撃と同時に自分の生還を期さない攻撃と解されると思います。 旅順攻撃はただの激戦であり厳しい損耗率ではあったでしょうが、敵を倒し自分も生き残るのがベストで、はじめから全滅するつもりでの攻撃は行っておりません。武田氏が歴史に無知なだけで旅順と特攻は関係ないといえるでしょう。 特攻の意義や特攻が無駄でなかった論拠にされるのは硫黄島です。 硫黄島での日本軍の激烈な抵抗をもとにアメリカ軍は本土進攻の損耗率の予想を立て、日本本土侵攻をあきらめたと言われています。この特攻を伴った抵抗がその後の歴史を左右したという意味で特攻は無駄ではなかったといわれています、旅順は関係ないです。そもそも特攻という単語さえ旅順当時はありません。
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- eroero4649
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Wikipediaでは武田邦彦さんは東京都出身となっていますが、いわゆる引揚者なのかな。1943年生まれですから、その可能性はありますね。 近代史に無知であるなら説明すれば、旅順は1943年当時は日本の傀儡国家である満州国の領土だったのです。だから当時は満州国には多くの日本人が住んでいました。敗戦と共に、満州にいた日本人は命からがら日本に引き揚げてきました。大変に苦難な道のりだったといいます。多くの人が命を落としましたし、中国残留孤児が生まれることにもなりました。 旅順と特攻は直接は関係ないです。子供のころ旅順にいたから特攻が云々というのは、その発言を知らないのでどういう文脈でいったのか分かりません。43年生まれなら、軍国少年でもないしな。43年生まれで敗戦は45年だから、仮に旅順生まれでも中国の記憶はあまりないのではないかなと思います。ただ、Wikipediaによれば東京生まれとありますけどね。戦後は1972年まで日本と中華人民共和国の間に国交はなかったので、日本から中国に移住していたというのはないはずです。
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丁寧な回答を下さりありがとうございました。 特攻と旅順についてぐぐってはみたのですが、でてきませんでした。 やはり直接の関係はないのですね。 なるほど、旅順は1943年当時は満州国の領土であり 武田氏はそこから引き揚げてこられたと。 >仮に旅順生まれでも中国の記憶はあまりないのではないかなと思います。 ですね。 なんでも数学者であるお父様がそこで戦争のための計算をされていたとかで ご自身でも「なんでそこに自分がいたのかな」とおっしゃっていました。 2歳くらいの記憶、自分にはないですね。 いちばん古い記憶は幼稚園に行く前の4歳くらいの記憶です。 まあ、頭のいい方だということかもしれませんね。
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お礼
丁寧な回答をありがとうございました。 >旅順はそもそも特攻してません。 ですね。調べてもでてきませんでした。 > 旅順攻撃はただの激戦であり厳しい損耗率ではあったでしょうが、 なるほど、旅順攻撃というのがあったのですね。 調べてみます。 硫黄島についても教えてくださってありがとうございました。 それにしても2歳くらいのことを覚えているもんでしょうかね。 思い出したといって泣いておられましたが。