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性の自認って何?
- セクシャルマイノリティーが社会的な性別区分に合わないと認識すること
- 性自認は生物学的な機能の一つであり、生殖に有利な方向に進化した可能性がある
- セクシャルマイノリティーへの差別や偏見が問題となっており、世界的に性別適合手術を必要とせず性別変更を認める考え方が広まっている
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私は「正常」とか「普通」とか「障害」等の言葉が嫌いです。 また、そのような単語を多用する方々とは距離を置いて生きてきました。 人間皆、長所や短所があります。 得意な事、不得意な事、価値観は千差万別。 それらを認識した上で、如何に人生を有意義に過ごすか・・・。 単純に「それだけ」の事だと、私は思います。 「多数派が正しい」と言う古い価値観に、ずっと違和感を覚えて生きてきました。 が・・・ 「良い時代になったなぁ~」と、生きているうちに、少数派も認めてもらえる世の中になりつつある事が嬉しくもあります^^。 情報過多の時代ではありますが、いずれもメリット・デメリットがあります。 皆、自分に都合の良い(興味のある)情報を無意識に搾取し、己が納得する「オチ」に辿り着けば満足するのです。 「受け入れる」事と「認める」事も似ているようで全く違う。 世の中の人は、他人の心に自分を写す。 それはまだ、自分自身が「自分を理解できていない」からに過ぎないのに・・・ 「自分を解って欲しい」故に、泣いたり怒ったり、悲しんだり・・・色々な感情を外へと吐き出す。 「解って欲しい」 この欲求を捨てさえすれば、 身体にメスを入れたり、頭を混乱させたり、心に傷を作ったりしないのに・・・。と私は思います。 「私」が「私自身」を解っていれば、それでいいのです。 便利な言葉が出来ました^^。 私は「Xジェンダー」です、たぶん^^。 何かの参考になれば幸いです。
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- sutorama
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いえ・・と言いますか 例えばですが、原発賛成・反対の話です ・・・原発反対派の人たちが足並みをそろえているかと言えば、そうではなく、それぞれいろいろな考え方で、相容れない関係です しかし、原発賛成派からしたら彼らは同じ反対派で、ちょっとそっち側でまずは話をまとめてくれや・・・と、なりますが、まとまるわけはありません つまり、性自認(の話)を望んでいない人たちが多くいることを無視しての未来を語る方向に世界は動いていないのです ※政治(家)の話ではありません(そもそもカテが違います) なので、先だっての回答の通り、男性・女性という区別なく、社会は同性同士の婚姻を含む特異な関係性を容認する流れであるわけです つまりは、上記の例のように性自認に徹して話を進めることは、対象者(の人たち)にとっては邪魔な発想であるのです
補足
でも現に「差別」はあります。というかまだまだ差別は続くでしょう。ずーっと長い間差別されてきたのがLGBTであったりするわけで、中でもトランスジェンダーは理解され難いものとしてずっと差別されてきたのです。端的に言って、傷つくのです。昔は笑われる存在だったし気味悪がられたり気持ち悪がられたりしてきて、精神病になったり自殺者だっている。性自認を認めない人たちによって、です。真の性別はあくまでも生物学的性であり、自認など戯言だ、だなんて言う人までいて、存在を否定された気持ちになる。 難しい問題だというのは、まぁ解っているのですがね。でも「差別」は現にあるのです。原発運動の話とは全く違うのです。それらは意見を変えることが出来ます。でも性別は変えることが出来ないのです。自認を変えることが出来ると思ってる人がまだいるようですが、そんなの昔から無理だってわかってる話なのです。
- sutorama
- ベストアンサー率35% (1689/4748)
特異?な例でいうと、お金も地位もある人が、あえて性転換手術を検討しなければ、社会的性別区分?に左右されない生き方をされている人たちが多くいます 自分は男性(女性)であることを自覚し、同性が好きで、心は女性(男性)であるが、今持っている機能のままで同性を愛したい・・・・って人が多いのです でも、婚姻は認めてもらいたい そのためには、社会的性別区分?に沿った主張をしなければ(流れに乗らなければ)いけない・・・ってこともあるわけです つまりは、総じて語るのは難しく、そのような人たちにとっては同じに見られたくないでしょうし・・・ なので、生殖機能?を含めての結論は・・・ないと思います 逆に、日本は置いておいて、世界の流れは、同性同士でも婚姻できることを希望する流れのほうが強いので、手術したいしたくないの話でもなく、生殖機能とかでもなく、ましてや性の自認さえも関係のない話になっていくのでは?と思います
補足
問題は、「差別」問題が生じていることなのです。世の中がマジョリティの方ばかりに合致していて、マイノリティについては理解しない方向にどうしてもなりがちで、とくに性的な事柄についてはいわゆるヘテロ的な関係しか正常ではないと見る空気が社会に根強い。これが非常に大きな問題としてあるわけです。だから杉田水脈などの頑迷な保守復古主義的な連中が平然と差別発言をする。だから、性自認をもっとはっきりと正当化出来ないものなのであろうかと。誰にでもそれはあるものだと、立証できないのかなぁと思ってるわけです。性別は自己決定されるべきものなのだ、そう思うのです。日本でも実は江戸時代までは性の自己申告は寛容だったようなのですよ。
補足
自認については「自己決定権」だと思っています。自分の性別は自分で決定し得るのではないかと。これは自由に選択できるという意味ではなく、社会から割り当てられるものではない、という意味です。ところがそうはなっていません。それが戸籍制度だったり、或いは世間の一般常識だったりするわけです。本来自己決定権で考えるべき「性の自認」を主張するとそうした社会に対して反抗的な態度に見えるので、過剰なまでに反発が起こる。様々な仕組みまで崩しかねないからですね。それが女性専用スペースを巡る論争などによく現れているのですよね。私は「解って欲しい」は必要だと思いますよ。やはり社会の側が理解しないと、差別が無くならないからです。