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パブロ・ネルーダ:英訳された詩の翻訳・理髪店の香り

The smell of barbershops makes me break into hoarse sobs. The only thing I want is to lie still like stones or wool. The only thing I want is to see no more stores no gardens, no more goods, no spectacles, and no elevators. (パブロ・ネルーダの詩Waking Aroundより。 スペイン語はhttps://www.neruda.uchile.cl/obra/obraresidencia2c.htmlで全文が読めます。英語はRobert Bly訳を引用しましたhttps://poets.org/poem/walking-aroundで全文が読めます。。) 拙訳: 理髪店の香りが、涙をさそう。 ただそれが欲しい、石や羊毛のような安らぎ。 ただそれでいい。、デパートも、庭園も、売り物も、 眼鏡も、エレベーターも見えぬこと。 ネルーダの絶妙な言葉使いが簡単そうで、翻訳を超難しくしています。 皆様の翻訳例をおしえていただけませんか? 宜しくお願い致します。 (翻訳作品の優劣をつける事は私には無理なので、BAは選びません。)

みんなの回答

  • Nakay702
  • ベストアンサー率79% (10082/12630)
回答No.5

再度の「お礼コメント」をありがとうございました。 >Nakayさんから背景解説が入って「そういう背景でしたか!」と勉強になる事が多いです。 ⇒ありがとうございます。 今回はその背景を全然知りませんで、ちょっと恥ずかしい…。 >私がイチャモンを付けたくなるのは、同じ詩のもうちょっと後の方なんですが、 un cuchillo verdeをa green knifeと訳した箇所です。正しい翻訳なんですが、un cuchillo verdeなら(独り善がりの解釈ですが)新緑を象徴したナイフぽくて「冬のなか新緑を叫んで死ぬ事を選ぶ」みたいな場面が思い浮かぶのですが、a green knifeだとなんか心に響きません、となんとなく思えるのです。 ⇒そうですね。このcuchillo verdeは、 「新生を切り開くためのナイフ」を象徴しているような感じがありますね。 >No quiero seguir siendo raíz en las tinieblas,も >I don't want to go on being a root in the darkも正しい翻訳だと思いますが、英語版を読んでも、詩のそれまでの箇所と言葉選びの雰囲気が違い過ぎて合っていない気がします。 ⇒なるほどですね。このくだりを意訳するとすれば、 「いつまでも暗闇の中で地面を這いつくばっていたくはないのだ」 とでもすれば、もう少し文脈に合うかも知れませんね。 以上、簡単ですが、お礼まで。 今後も、「翻訳遊びをする者この指とまれ」にとまります! 引き続き、よろしくお願いいたします。

lived_in_room13
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 >「新生を切り開くためのナイフ」を象徴しているような感じがありますね。 そうなんですよ。 本当に前置修飾か後置修飾だけかの違いなんですけど、歯車が一つ狂うだけで詩はなんだか別物になってしまうというのを、このa green knifeという訳にすごい感じます。 >「いつまでも暗闇の中で地面を這いつくばっていたくはないのだ」 >とでもすれば、もう少し文脈に合うかも知れませんね。 そうなんですよ。  それを英訳文から感じられるかと言うとちょっと微妙ですよね。 いつもお付き合いいただきありがとうございます。 今後とも、どうぞよろしくお願い致します。 (来週から、またネルーダに戻りますが、今週は別の作者の一節です。)

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  • Nakay702
  • ベストアンサー率79% (10082/12630)
回答No.4

「お礼コメント」を拝見しました。 >実はネルーダの別の詩集に「浮気」をしております。 ⇒さすが読書王、どんどん「浮気」を勧めちゃいます! 他方、私は「浮気」はおろか、「本気」もろくに進みません!! →「片足棺桶」の句:「彼岸より 鬼の呼ぶ声 聞こゆれど 友の手たぐりて 此岸へ戻りぬ」(お粗末)。 >この質問文につかいました詩は、1925-35年にネルーダが書いたと言われるResidencia en la tierraから選ばれて収められたようです。まだ共産党が違法になっていないので逃亡生活を始める前だと思われます。 >今後は、質問する時に年代も入れて質問しますね。 ⇒時系列のご教示、ありがとうございました。また、「質問する時に年代も入れて」とのご配慮も恐縮です、痛み入ります。 ただ、私は、文藝評論の類が苦手で、詩などの文学作品を見ると、その背景等を無視して勝手に連想を膨らませて楽しむ癖があります。作品は特定の人が特定の時や状況下に物したには違いありませんが、それを切り離して、というか、それに関知せず、作品が一人歩きしているように感じ、扱ってしまうのです。そして、その作品の世界に没入して、空想を膨らませて遊ぶのが好きなんです。 >私は「この社会がおかしい」とネルーダがおもって思想を重ねた。Nakayさんは「疲れ切って」【理想の探求】をもとめた。ということで結局はにた解釈という事ですね。 お互いの解釈を共有できて楽しめました ⇒こちらも大いに楽しませていただいてます。お互い、いや私が、勝手に「作品の世界に没入して、空想を膨らませて遊んだ」ことが、結果として、お互いの詩の世界観について「当たらずとも遠からず」の関係であったことは嬉しい限りです。 ところで、蒸し返しになりますが、 Sólo quiero un descanso de piedras o de lana,を The only thing I want is to lie still like stones or wool. とした英訳はいいと思いますが、 sólo quiero no ver establecimientos ni jardines,は、「会わないことを望む」わけですから、 The only thing I want is to see no more stores no gardens,とするよりは、 The only thing I want is not to see stores nor gardens, とでもすべきところではないかと思います。 ni mercaderías, ni anteojos, ni ascensores.もその続きですから、 no more goods, no spectacles, and no elevators. とするよりは、 nor goods, nor spectacles, and nor elevators. とでもすべきところではないかと思います。 お互いの解釈の違いも、一部、このあたり(準拠した言語の違い)に遠因があったかも知れませんね。もちろん、これは主張や説得のためでは、豪も、ありません。(ただ、元の英語翻訳に対するいちゃもんに過ぎません。) ということで、僭越なことを申してどうも失礼しました。ともあれ、いろいろ楽しませていただきました。今後ともどうぞよろしくお願いいたします。

lived_in_room13
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 >どんどん「浮気」を勧めちゃいます! 「Grape and the wind」をシリーズ物で質問していこうと初めの質問に「1」とか番号を付けておきながら、二つ目からは「浮気」作品を質問してしまいました。 寛大なお言葉に感謝いたします。 >「彼岸より 鬼の呼ぶ声 聞こゆれど 友の手たぐりて 此岸へ戻りぬ」 やっぱりNakayさんは文章の天才ですね! 私は、英語の詩と和歌が大好きなんですが、どっちも書けません。インプットしたらアウトプットもしたいんですけど、、難しいです。 >私は、文藝評論の類が苦手で、詩などの文学作品を見ると、 >その背景等を無視して勝手に連想を膨らませて楽しむ癖があります。 私もそうですよ。私の場合は作品だけ楽しみたいという怠け者だからですが、、、。(それでNakayさんから背景解説が入って「そういう背景でしたか!」と勉強になる事が多いです。) >結果として、お互いの詩の世界観について「当たらずとも遠からず」の >関係であったことは嬉しい限りです 結局はほとんど同じ解釈でしたし、やはり詩の解釈を一緒に楽しんでもらえるNakayさんがいて私も毎回楽しませてもらっています。いつもありがとうございます。 >ただ、元の英語翻訳に対するいちゃもんに過ぎません。 実は私もこの英訳にはイチャモンつけたくてうずうずしておりました。 なまじスペイン語が英語に近いので辞書を引き引きレベルの私でも、「なんだかスペイン語と雰囲気が違う。」と言いたくなってしまいます。(そんな事いえるレベルじゃないのに。) >The only thing I want is to see no more stores no gardens,とするよりは、 >The only thing I want is not to see stores nor gardens, >とでもすべきところではないかと思います。 全く同意です。 別の箇所についてもその通りだと思います。 しかし、ここはまだいい方でして、私がイチャモンを付けたくなるのは、同じ詩のもうちょっと後の方なんですが、 un cuchillo verdeを a green knifeと訳した箇所です。正しい翻訳なんですが、un cuchillo verdeなら(独り善がりの解釈ですが)新緑を象徴したナイフぽくて「冬のなか新緑を叫んで死ぬ事を選ぶ」みたいな場面が思い浮かぶのですが、a green knifeだとなんか心に響きません、となんとなく思えるのです。 No quiero seguir siendo raíz en las tinieblas,も I don't want to go on being a root in the darkも正しい翻訳だと思いますが、英語版を読んでも、詩のそれまでの箇所と言葉選びの雰囲気が違い過ぎて合っていない気がします。もとのスペイン語のように雰囲気を統一して訳してほしいと思います。(私はイチャモンだけつけても、自分だったらどう訳したらよいかは分かりませんけど、、。) ネルーダの詩は一見誰にでも書けそうなくらいの簡単な言葉を絶妙に組み合わせて書かれていますから、翻訳最難関かもしれませんね。 以前お伝えしましたが、確かに英訳者どうしで舌戦をしたくなる気持ちが分かって気ました。 それだけネルーダの詩が素晴らしく、翻訳に誰もが満足するものに訳すのが難しいのでしょうね。 今回もありがとうございます。 今後とも、詩の翻訳遊びをよろしくお願い致します。

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  • Nakay702
  • ベストアンサー率79% (10082/12630)
回答No.3

「お礼コメント」ありがとうございます。 >今回はだいぶ解釈が割れましたね。詩の解釈は一つではないという事を再認識しました。 ⇒これもまた楽しからずや、ですよね。 >私は人間でいることが嫌になった。吸水性の高いフェルトの中で、自分は水の吸えないフェルトの白鳥という解釈からはじまっていますので、「休みたい」というよりも、何物にも依存しない石や羊毛の個としての「安らぎと静けさ」に憧れると解釈しました。 ⇒作者ネルーダは今、おそらく逃避行で疲れ切って、髪もボサボサになって理髪店に入り、理髪台(椅子)にぐったりと座っているのだと思います。理容のためもあるでしょうが、それより「休みたい」気持ちが先行しているような状況なのだろう、と私は読みました。 ですから、前便の「慟哭の涙」は、一息つける状態にたどりつけたことに対する安堵感から来る、半分「うれし泣き」でもあると思いました。 >>安住の邸宅や庭園に囲まれていたい、というのでもない。 >仕立て屋、映画館、理髪店、そのどれも気に入らない。さららに気に入らないものの列挙でエレベーターまであるとなるとデパートのようなものを思い浮かべました。 ⇒スペイン語のestablecimientosには「安住の地」というような意味があるようですが、正直、よく分かりません。文脈や状況に即して推測するに、(軍部に)追われる身となって疲労困憊気味のネルーダとしては、理髪店の椅子に座って「安住の邸宅や庭園などと贅沢を望んでいるのではなく、休ませてもらいたいだけなのだ」というような気分になっている、と見るのが自然かなと考える次第です。 >それどころか、卑近な必需品の類がなくても不満は言わない、とにかく休息が欲しい。 >小物、眼鏡、椅子の可動装置、そんなものは何も要らない。 >ascensoresの「椅子の可動装置」とはと思って、検索してみました。Sillas Ascensor para Escalerasと言う階段を上下する椅子の装置が出てきました。 これの事ですかね? ネルーダの時代にあったのでしょうかね? ⇒「椅子の可動装置」の件は穿ち過ぎでしょうかね。ともあれ、上述のとおり、「ネルーダは今床屋の椅子に座って瞑想している」という勝手な場面設定に引っぱられているかも知れません。この際、「リフト」でごまかそうかな。 私訳第2弾(若干手を加えた前回分を含む): ふと、人間稼業に飽きが来て、 それでふと、仕立屋に立ち寄り、映画館に入った。 それでも依然このオレは、干からびて、  生気のないフェルトの白鳥の体(てい)で 命の復活と蘇生を求めて、大海原へと漕ぎ出した。 ――この復活には、秘かに理想の探求の意も含めたい。 理髪店の香りは身にしみて、涙があふれる。 石や羊毛、いずれ風でもよい、ただ骨を休めたい。 邸宅や庭園に囲まれてみたい、などと望む気もなく、 小物類、眼鏡、リフト、そんなものも一切要らない。 ――とにかく今のオレには、ただ休める場(椅子)があればよい。

lived_in_room13
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 >作者ネルーダは今、おそらく逃避行で疲れ切って、髪もボサボサになって理髪店に入り、 すいません、実はネルーダの別の詩集に「浮気」をしております。 と言いますのも、あまりにも簡単な文章でネルーダが詩を書きますので、うん十年前に三日坊主で終わっていたスペイン語学習を再開しようとツンドク状態だったスペイン語ー英語辞書を取り出しながら新たにスペイン語と英語のバイリンガル版の詩集を探して購入しました。 現在読んでいますのは、I explain few things. Selected poems(バイリンガル版)でして、この質問文につかいました詩は、1925-35年にネルーダが書いたと言われるResidencia en la tierraから選ばれて収められたようです。まだ共産党が違法になっていないので逃亡生活を始める前だと思われます。 今後は、質問する時に年代も入れて質問しますね。 >⇒これもまた楽しからずや、ですよね。 そうですね。ネイテブ相手でも詩集だと解釈が分かれます。 これが、抽象画や詩の楽しみ方なのだと思います。 >私訳第2弾(若干手を加えた前回分を含む): これはありがとうございます。 たまたま今回は解釈が割れましたので、Nakayさんの解釈でどういう世界観の詩でしたのか、ちょっと気になっていました。 このような世界観の詩と読めば、確かにそのようにも解釈できますね。  解釈は異なりましたが、私は「この社会がおかしい」とネルーダがおもって思想を重ねた。Nakayさんは「疲れ切って」【理想の探求】をもとめた。ということで結局はにた解釈という事ですね。 お互いの解釈を共有できて楽しめました、ありがとうございます。 また、よろしくお願い致します。

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  • SPS700
  • ベストアンサー率46% (15297/33016)
回答No.2

 床屋の匂いを嗅ぐと声を枯らして泣きたくなる  ただ石や布切れのようにじっとしていたい  店や庭も見る気がしない  物も、見世物も、釣り籠も  

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質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 > 床屋の匂いを嗅ぐと声を枯らして泣きたくなる ここ難関でした。 一応ただ「泣きたくなる」ではないと分かっているのですが、兎にも角にも言葉が出てきませでした。。 > ただ石や布切れのようにじっとしていたい 個人的には「これだ!」と感じました。ネルーダは素朴な言葉で絶妙な比喩を用いるので、文章自体は簡単でも翻訳は超困難でして、、、。ご回答を見た瞬間に「じっとしていたい。」とはなんてきれいな表現だろうかと思いました。(普段日常会話で使うぶんにはそうでもないのですが、ここでの使い方が絶妙でした!) > 店や庭も見る気がしない この箇所は、いつもながら「ずるい!」と思いました。相田みつをのような計算された素朴さなのでしょうが、、私が考えても考えても、どうしても訳せなかった文章がこんな普通な表現で、これほどまでに見事に翻訳されるとは!!! > 物も、見世物も、釣り籠も 私は物を見やすくする眼鏡かと思いましたが、「見世物」であった可能性は十分ありますね。どっちだったんでしょうね? エレベーターを「釣り籠」と訳したのはお見事ですね。 SPSさんのお訳はすべて情緒を感じていいですね。 毎回いったいどうやって米国で日本語をそもそも維持しているだけでもすごいのに、日本語を磨いているのだろうと思います。  今回もありがとうございました。 また、宜しくお願い致します。

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  • Nakay702
  • ベストアンサー率79% (10082/12630)
回答No.1

楽しいお話の続きをありがとうございま。 まず、原文(文字化けを修正して)・英訳・お訳の順に併記して、比較しながら考えてみます。なお、スペイン語の原文は文字化けがありましたので、修正して提示します。 >El olor de las peluquerías me hace llorar a gritos. >The smell of barbershops makes me break into hoarse sobs. >理髪店の香りが、涙をさそう。 ⇒理髪店の香りに、慟哭の涙を抑えられない。 llorar a gritosの「大声で泣く」に対して、break into hoarse sobsは「しゃがれ声ですすり泣き始める」ですね。ちょっと違いが…。その点、「涙をさそう」はいかように取ることもできて、いいですね。 >Sólo quiero un descanso de piedras o de lana, >The only thing I want is to lie still like stones or wool. >ただそれが欲しい、石や羊毛のような安らぎ。 ⇒石のようでも羊毛のようでもよい、ただここで体を休めたい。 コチコチでもふんわりでもいいから、「とにかく休みたい」わけですね。 >sólo quiero no ver establecimientos ni jardines, >The only thing I want is to see no more stores no gardens, >ただそれでいい。、デパートも、庭園も、売り物も、 ⇒安住の邸宅や庭園に囲まれていたいと言うのではない。 そんな「高望みはしない」と言いたいのだと思います。verは英語のseeですが、この場合、「見る」というより「経験する、~という環境にいる」といったニュアンスではないかと思います。 >ni mercaderías, ni anteojos, ni ascensores. >no more goods, no spectacles, and no elevators. >眼鏡も、エレベーターも見えぬこと。 ⇒小物、眼鏡、椅子の可動装置、何も要らぬ。 それどころか、卑近な必需品の類がなくても不満は言わない、とにかく休息が欲しい。それほどに「心身ともに疲労困憊している」、という状況を示唆するくだりと推測されます。 ということで、私訳: 理髪店の香りに、慟哭の涙を抑えられない。 石や羊毛、いかようであってもよい、ただ休みたい。 安住の邸宅や庭園に囲まれていたい、というのでもない。 小物、眼鏡、椅子の可動装置、そんなものは何も要らない。 *何の変哲もない、ただの散文になってしまいました! ああ、お粗末。

lived_in_room13
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 今回はだいぶ解釈が割れましたね。詩の解釈は一つではないという事を再認識しました。 >コチコチでもふんわりでもいいから、「とにかく休みたい」わけですね。 >石や羊毛、いかようであってもよい、ただ休みたい。 Nakayさんの解釈ですと、もともと活力を求める旅でしたものね。 私は人間でいることが嫌になった。吸水性の高いフェルトの中で、自分は水の吸えないフェルトの白鳥という解釈からはじまっていますので、「休みたい」というよりも、何物にも依存しない石や羊毛の個としての「安らぎと静けさ」に憧れると解釈しました。 >そんな「高望みはしない」と言いたいのだと思います。 >verは英語のseeですが、この場合、「見る」というより「経験する、~という環境にいる」 >といったニュアンスではないかと思います。 >安住の邸宅や庭園に囲まれていたい、というのでもない。 私の場合は、Waking Aroundしながら見て回ったが見たくなかったと解釈しました。establecimientosは、辞書によれば「店」とも英語のestablisjhmentの意味にもとれるようでして、それならば邸宅と解釈するのも場合によってはあるでしょうけど、仕立て屋、映画館、理髪店、そのどれも気に入らない。さららに気に入らないものの列挙でエレベーターまであるとなるとデパートのようなものを思い浮かべました。 >それどころか、卑近な必需品の類がなくても不満は言わない、とにかく休息が欲しい。 >小物、眼鏡、椅子の可動装置、そんなものは何も要らない。 ascensoresの「椅子の可動装置」とはと思って、検索してみました。Sillas Ascensor para Escalerasと言う階段を上下する椅子の装置が出てきました。 これの事ですかね? ネルーダの時代にあったのでしょうかね? 私の場合は、本来吸水性が高いフェルトの中で、自分は水が吸えないフェルトの白鳥だとしたうえで、人が普通に楽しむ映画館も仕立て屋も(社会的に身だしなみを整えるための)理髪店もなみだしか誘わない。 店もほかのもろもろも見たくないと解釈しました。 >スペイン語の原文は文字化けがありましたので、修正して提示します。 すいません、私のPCでは文字化けしなかったのですが、わざわざありがとうございます。 また、私とは別の視点での解釈ありがとうございました。

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