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らしい人」と「らしからぬ人」 どちらが好きですか
弁護士・郷原信郎氏が今渦中の黒川氏を評して「検察官らしくない、人間臭い」と、いつもの権力に切り込む厳しい姿勢とは違って「郷原氏らしくない」コメントしていました。彼は検察官らしくない黒川氏に好感を持っているようでした。 私は検察官は、検察官らしい方が好きですね。ルイ14世やジョンロックに言及するような学究肌の、冗談も通じないような毅然とした生き方をしている人を求めたいし、そういう人なら悪に対しても敢然と向かって行ってくれるだろうなと期待できます。現実には検察の横暴などもあったのですが、兎に角検察官には検察官らしい人がいいですね。 寿司職人-----今でも私が想像するような「寿司職人」って存在するのでしょうか? 50年前の大阪ですが、寿司屋から出て来た直後の会話でしたが「あの兄ちゃん、如何にも寿司屋の兄ちゃんって感じでなかなかいいねえ!」と誰かが言ったのに私は同意していました。 「職人気質」と言いますが、黙々と仕事に打ち込む姿が魅力的で、職人が自画自賛してペラペラ喋っては魅力が半減します。 お寺の坊さんも、最近"くだけた"人が多過ぎて、もうちょっと親鸞や道元を彷彿させる坊さんがいないものかと不満です。 50年前のロンドンには「イギリス紳士」がコウモリ傘を持って普通に街を歩いていました。道を尋ねるとサッと立ち止まり丁寧に教えてくれ、最後に必ず「オーライ(All right)?」と温かい微笑をたたえて、私が理解出来たのかどうかを確かめました。私は、これがイギリス紳士か、と道を訊ねるのが楽しみになったほどです。 現在のイギリスにはもう「イギリス紳士らしい紳士」は殆どいないとのことですが・・・ 「日本女性」もあります。私の母が明治の女性であったので、大体、感じが分かります。尽くすのは夫にだけではなく、子供にも尽くします。私は母にも好物があるなんて考えもしませんでした。いつも、家族の好むものばかり考えて料理していました。つい最近読んだ金田茉莉さんの「夜空のお星さま」の母親もそんな母親の1人ですね。自己主張は一切なく滅私に徹している。私にとって母親は聖母マリアのイメージでした。そうです、そんな女性が父という男とセックスしている、そんなことはとても信じられませんでした。 西洋史家・会田雄次氏は著書「日本人の忘れ物」でそれを日本女性には「後光」があったと書いていました。 そういう日本女性像が欧米に伝わり、今でも欧米では日本女性に憧れる男性が一杯います。現代日本の日本女性に「後光」などとっくに無くなったにもかかわらずです。 「らしさ」を求めるのは、人間を型にはめようとするものだ、として女性などからの反発が強いですね。女性は結婚して子供を産むものだ、と言えば大臣を辞任しなければなりません。「女性は結婚して子供を産むものだ」が間違っている考えなら、世界中の女性が「私は子どもを産まない」と宣言して実行しても、反対できないことになります。当然人類は滅びます。我々人類は、女性の人権はたとえ人類が滅亡しても守らなければならないのか、ということになります。「そうだ」と言うなら、それはそれで筋の通った考えだと思います。否定はしません。 イタリア人の陽気さ、ドイツ人の几帳面さ、アメリカ人の屈託のなさは今でも存在します。これらの「らしさ」は国民性であり、それを否定することは「国民性」などなくてもいいという主張と同じになります。 「女性らしさ」を求めるなという主張は、世の中に女性らしさが無くなってもいいということになります。女性らしさを求めるなという人は、男に「男らしさ」を求めないのでしょうか? 日本社会で生きて来て、私は「らしからぬ人」というのは実際には見たことがないのですが(テレビドラマには頻繁に登場します)、「らしい人」は時々見て来ました。そしてそういう人を見るのは気持ちのいいものでした。 貴方の意見をお聞かせ下さい。
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- eroero4649
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私はそういう「大量生産の既製品」になることに常に反発してきた人生だったので、規格品になるのは真っ平御免ですね・笑。 女性に「明治の母」の姿を求めるなら、自分自身は「明治の父」であるべきでしょう。自分にも他人にも厳しくあり、子が間違っていれば厳父となって仮借ない体罰を与え、子が世の荒波に耐えかねれば慈父となってその広い胸で抱きとめる。男は、父は、かくあらねばならないでしょう。日本の女性に後光があったなら、日本の男性の後光はどうなったのでしょうか。 黒川氏の人となりがどのような人物なのかは存知ないので、そちらのほうへのコメントは差し控えます。 しかし氏が検察庁の人物であれ、そうではないのであれ、自分だけ法を曲げてまでの依怙贔屓を受け入れるのは「らしい」「らしくない」の話とは別に「人としてどうか」と思います。
- KoalaGold
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らしい人がわかりやすくて好きです。 警察官らしい警察官、泥棒らしい泥棒、痴漢らしい痴漢、学生らしい学生、子供らしい子供、などです。 こちらからは一瞬の判断で避けるか逃げるかする判断をするわけですから。ここで時間がかかったりどんでん返しがある場合詐欺に引っかかります。 敵は敵、味方は味方、店員は店員、乗客は乗客。かなり見た目で判断しているわけです。それに合わせて制服を着用してくれれば判断が非常に楽です。 ロンドンの紳士もそういう服装でわかりやすく、家に帰ったらメロメロのいいおじいちゃんだとしても、自分の役割を服装と態度で表してくれると助かります。そこを混ぜ混ぜにしてしまって「どっちが裁判官だか容疑者だか」と言われるようでも困ります。それはドラマの中だけにしていただきたい。
職業によっても違うかな?・・・と思いました。 例えば キャバクラ嬢らしからぬ嬢は好きだけど 警察官らしからぬ警察官、ならば信用できない。 確かに 昔は らしい人 がいっぱいいて 学校の先生なんて、どう見てもらしい人でした。 らしい人は、不器用な人か?・・・潰しのきかない人か? と考えると、なにか違うような気もします。 結局は らしい と らしくない を使い分ける時代なのか? とも感じておりまして 私個人的には らしい人 が好きです。