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「外交」における朝廷と幕府の関係
- 鎌倉時代から幕末期にかけて、「外交は朝廷の仕事だった」と言われていますが、本当でしょうか?
- 鎌倉幕府は地方政権であり、朝廷との関係は軍事的なものでした。
- 幕末期には井伊直弼が朝廷に相談せずに開国したことがありますが、外交は朝廷の役割でした。
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>幕府の対応の仕方によっては、「もしかしたら元寇は避けられたのではないか???」という感想を持ったからです。 そういった疑問とはわかりませんでした、これは外交能力以前の基本的な政権の思想や性格ではないでしょうか? 歴史上中国皇帝と外交関係を築くという意味合いをご存知でしょうか? 中国は中華思想ですので天の下にただ一人の天使(皇帝)が君臨し、その臣下として所属の王を認めるといった形です。 (冊封体制) そして時代背景としては宋(南宋)が文化的に経済的に栄え鎌倉幕府はそちらと関係をもち私貿易や文化の移入を行っていたが、軍事的に優越した騎馬民族が北部から侵略し最後には宋を滅ぼした形です。 つまり鎌倉幕府にとって価値があったのはもともと南宋なんですよ。 もちろん宋の知識からしたら元は悪しき野蛮な侵略者であり、鎌倉幕府もそういった印象をもっているでしょう。 元の時代は必ずしも厳格な冊封体制ではないのですが、軍事政権たる鎌倉幕府がこの背景で元と国交を持ちたいとおもうでしょうか? ちょうど鎌倉幕府の力が隆盛してる時代ですし、相手が頭を下げて台頭関係を求めてきたのならともかく、高圧的に服属を求めてきたら武士なら当然に撃退を考えるでしょう。
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- SPS700
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#2です。 1。1 日本政府(=朝廷)という見方は、平安時代で終わっていると思うのですが??? 政府は政治をする機関で、日本式の政治の考えは「まつりごと」で、神との話し合いをするのが主、人間と話し合うのは、朝廷から委託されたものたちです。 2。「外交は朝廷の方針に従い幕府が遂行する」というのは、どこに根拠があるのですか??? 日本伝統の考えで、今も天皇制に続いています。 3。徳川幕府が「鎖国」を決めたのも、「朝廷の方針」だったのですか??? と言うよりは、日本の政府にではなく、ローマ法王に従う様子が見られたからでしょう。 3 誰が実権を持って政治を行っているのかとか、誰が外交を担っているのかということとは、連動しないと思う。現在だって、「天皇は形式的な国事行為として内閣総理大臣を任命する」ことになっている。 現在でも、外務省の人が、俺たちはプロの嘘つきだ、と言っています。 古くから神との交渉は続いているが、人との外交は、あまり信頼できないように思います。
お礼
ありがとうございました。 何度か読み返してみましたが、まだまだ勉強不足のようで、私には理解できませんでした。
- eroero4649
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1 他の方がよい説明をされているので割愛。 2 ペリーとの交渉のとき、こんなことが起きました。交渉がまとまって、さあ署名という段階になって幕府はこんなことを言い出しました。「一応朝廷から許可を貰うから、ちょっと待っててね」と。 ここで慌てたのはアメリカ側です。説明を求めたら、幕府より立場上上位に朝廷があるから朝廷の裁可が必要とのことでした。だからアメリカ人らしく合理的にこう考えました。「じゃ、その朝廷と直接交渉する。だってそっちのほうが偉いんでしょ?」と。 ここで慌てたのは幕府側です。そうなると外交交渉で幕府が関与できなくなります。いいや我々が委任を受けているんだとかなんだかんだと必死に説明して、なんとかアメリカ側を納得させました。 そしてアメリカ人は当然の感想を抱いたのです。「で、幕府と朝廷と、どっちが偉いの?」って。「一番偉いのは大統領」であるアメリカ人にはそりゃ理解しがたいですわな。 3 別に不思議なことでもなんでもないですよ。「本社の裁可が必要」「取締役会で認められることが必要」「会長に許可を頂かないとダメ」そういうことですよ。 日本の大きな組織なら、名目上は経営から退いていてただの名誉職であるはずの「名誉会長」を通さないで大きな決断は許されないなんて、よくある話じゃないですか。そしてそういう会社で「これは名誉会長案件です」といったら絶大な影響力がありますよね。「それはもう、絶対にやらなければならい案件だ」ってなるじゃないですか。
お礼
ありがとうございました。 2 「一応朝廷から許可を貰うから、ちょっと待っててね」……いかに対処すべきか、苦悩してたんだと想像します。時間稼ぎもしたかったのかも???……時間を稼いだからといって、苦悩を解消できる問題ではなかったと思いますが。 「で、幕府と朝廷と、どっちが偉いの?」……個人的には、「幕府のほうが偉かった。」と感じていますが、「幕府と朝廷の関係」というのは、これから幕末、否、幕末期も含めて、中世・近世の日本史を学ぶ上で、キーワードの一つのような漠然とした思いはあります。 3 別に不思議なことでもなんでもないですよ。……不思議だと思っているわけではないのですが、「通商条約の締結」が、「天皇案件」だったのか???という疑問もありますし、それじゃ、「鎖国政策は天皇案件ではなかったのか???」と、素人にはますます迷宮の世界に迷い込んでしまいます。だから「その根拠、あるいは経緯は何でしょうか??? 」という疑問になるのです。「不文律みたいなものはある」ということであれば、なんとなく理解できるような、できないような。笑
- SPS700
- ベストアンサー率46% (15297/33016)
1。鎌倉時代、「外交は朝廷の仕事だった」のでしょうか??? 外交は日本政府(=朝廷)の仕事でした。幕府は、元は、征夷大将軍(東日本担当軍司令の事務所、ですが、日本政府全般の事務の代行をするに至っていました。 2 幕末期においても、「外交は朝廷の仕事だった」のでしょうか??? はい、外交は朝廷の方針に従い幕府が遂行することになっていました。 3 私自身は、「そんなことはないだろう、幕府を甘く見ちゃいけないよ。ただ、鎌倉幕府の外交はお粗末すぎる。」と感じているのですが、上記のように、鎌倉時代、江戸幕末期において、「外交は朝廷の仕事だった」としたら、その根拠、あるいは経緯は何でしょうか??? 幕府の長、(征夷大)将軍は、朝廷の長、天皇が任命したからです。
お礼
ありがとうございました。 1 日本政府(=朝廷)という見方は、平安時代で終わっていると思うのですが??? 2 はい、外交は朝廷の方針に従い幕府が遂行することになっていました。……このことが知りたかったのです。「外交は朝廷の方針に従い幕府が遂行する」というのは、どこに根拠があるのですか???徳川幕府が「鎖国」を決めたのも、「朝廷の方針」だったのですか??? 3 幕府の長、(征夷大)将軍は、朝廷の長、天皇が任命したからです。……「天皇が任命したから」というのは、「官職を付与する」という形式的な制度の問題であって、誰が実権を持って政治を行っているのかとか、誰が外交を担っているのかということとは、連動しないと思う。現在だって、「天皇は形式的な国事行為として内閣総理大臣を任命する」ことになっている。
- jkpawapuro
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1遣唐使の時代は天皇が冊封を受けています。足利義満は自らが冊封 を受けています。鎌倉時代でも前半は地方政権に過ぎませんが承久の乱以降は鎌倉幕府の支配権は全国に及んでいます。 前例主義に基づけば外交を朝廷の仕事とするのは間違いではありませんが、その気になれば鎌倉幕府が直接外交を担うことも可能だったでしょうからその一言で片付けるのは乱暴に思えます。 2朝鮮通信使等は将軍に送られています。外交が朝廷の仕事だから井伊直弼は独断強行だったのではなく、当時幕府は朝廷から攘夷を命じられていたにもかかわらずそれに逆行したので反発を買ったと言えます。 3鎌倉幕府はお粗末だったのでしょうかね? 当時幕府の力は朝廷を優越しており、朝廷に断らせることは可能だったでしょう。自らが断るより朝廷に断らせたほうがもし本土決戦となった場合朝廷の力をフルに利用できるようにも思えます。鎌倉のほうが京より奥地ですし。 また外交能力については、当時の鎌倉には南宋より渡来した高僧蘭渓道隆がいます。おそらくは彼の影響が元との対立の道を選ぶきっかけとなったでしょうが、対立を前提とするなら十分な外交能力はあったといえるでしょう。
お礼
ありがとうございました。 1 納得です。 2 孝明天皇は、かなり偏屈な攘夷派だったようですが、朝廷が、攘夷で動いた経緯はかなり複雑なようで、私は、まだ理解していません。それと「いつから、朝廷が、幕府に命令することができるようになったか???」という新たな疑問も生じました。 3 蘭渓道隆が元との対立の道を選ぶきっかけとなったのか、どうかは私にはわかりませんが、興味深いご回答です。スパイの嫌疑をかけられたようですが。 対立を前提とするなら十分な外交能力はあったといえるでしょう。……意味を理解できませんが、私が、「鎌倉幕府の外交はお粗末すぎる。」と感じたのは、幕府の対応の仕方によっては、「もしかしたら元寇は避けられたのではないか???」という感想を持ったからです。歴史にIFは必要ないかもしれませんが。
お礼
ありがとうございました。 「当時の鎌倉には南宋より渡来した高僧蘭渓道隆がいます。おそらくは彼の影響が元との対立の道を選ぶきっかけとなったでしょうが、」ということの意味が理解できました。 「冊封」……時々、目にしています。なんとなくわかっているつもりでしたが、もう一度調べてみます。笑 質問は、「鎌倉時代、江戸幕末期において、「外交は朝廷の仕事だった」としたら、その根拠、あるいは経緯は何でしょうか???」ということです。 お礼の成り行き上、「幕府の外交」に疑問があったので、ついつい感想を述べてしまいました。 高圧的に服属を求めてきたら武士なら当然に撃退を考えるでしょう。 ……たしかに、元からの文書には、「威嚇的な表現」もあったようですが、元が日本に対して、最初から、「武力による侵略ありき」だったのか???もう少し「外交で探ってみる」という方法はあったのではないか、という印象は持っています。