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近代日本史に詳しい方
今でこそ外国人が日本で仕事をしているのは普通ですが、19何十年あたりから観光や仕事で多くの外国人が日本に来るようになったのでしょうか? 最初は外国語教師ぐらいしかなかったのでしょうか?
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- jkpawapuro
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すでに出てるように一番最初はお雇い外国人の教師・軍人および技師、それと貿易商ですね。 19○○とあるのでその次の段階だとこれになるかと。 http://www.interq.or.jp/white/ishiyama/column17.html 以下上記ページより抜粋 1896年3月、日本政府は「航海奨励法」と「造船奨励法」を制定して、積極的に海運・造船を奨励し始めた。日本郵船は政府の後援の 下、「ヨーロッパ航路」、「北米(シアトル)航路」、「オーストラリア航路」の3航路を一挙に開設して、大量の新船を発注するという思い 切った決断をした。国の補助を受けていたとは言え、船舶の建造費だけでも資本金の1.5倍以上に達する大事業であった。 日本郵船と三菱の競争の時代なのですが、この二社が定期航路を作ることにより、欧米から日本に用があれば、あるいは観光に(費用さえあれば)気軽に日本に訪れることのできる時代がやってきます。
- oska2
- ベストアンサー率44% (2301/5116)
>19何十年あたりから観光や仕事で多くの外国人が日本に来るようになったのでしょうか? 幕末からですね。 政商で死の商人であるグラバーは、南北戦争で不要になった二束三文の銃を100倍の値段で(海援隊を通して)薩長に売却しています。 薩摩藩には、多くのイギリス人政商・技師が働いています。 幕府側は、多くのフランス人政商・技師が働いています。 幕府で有名なのは、横須賀製鉄(造船)所ですね。 明治政府も、この事業を引き継いでいます。(現、在日アメリカ海軍横須賀基地) 最近まで、鎖国という言葉が一人歩きしていました。 が、実は「鎖国」という言葉は「明治政府が作った」言葉に過ぎません。 元禄時代でも、出島を通じてイギリス人・オランダ人・ドイツ人など各国の政商・外交官・旅人が国内を旅しています。 ペリー来航も、オランダ国王の親書で幕府に2年前に伝えられていました。 >最初は外国語教師ぐらいしかなかったのでしょうか? 幕府と諸外国の関係があったので、明治政府も直ぐに海外に出かけていますよね。 討幕の時は、「攘夷をしない幕府は倒せ」と戦争までしたのですが・・・ 政権を取ると、掌を返して「脱亜入欧」。(笑) 明治初期は、日本の産業革命なんですね。 製鉄・造船・鉱業・鉄道・農業・土木・医学など、様々な分野で技術者が来日しています。 確か、日本人の10倍の給料だった様です。 教育では、英語教師ですね。同志社大学・フェリス女学院が有名。 農業では、北海道大学のクラーク博士が有名。 明治時代には、多くの外国人が仕事・観光に来日しています。
- tzd78886
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1990年に入管法が緩和されて日系人が工場労働者として多数来日したのが始まりだと思います。
- rikimatu
- ベストアンサー率19% (629/3297)
質問的にちと理解が出来ませんが もし質問者さんが明治とかそこら辺の事を言っているのであれば外国語教師もそうですが鉄道や土木や軍事などの技師もありました。 最近ならば工場などが多いと思います。 で、外国人旅行者に関しては1914年で約2万人は来ていたみたいです。でその消費額は約1300万円というデータがあります。