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福留繁中将の真珠湾攻撃の謎
海軍乙事件で有名な、元連合艦隊の参謀長、福留繁中将の「 史観 真珠湾攻撃(自由アジア社)」を読んでいるのですが、海軍大学を首席で卒業した人だけに、非常に細かい所まで踏み込んで説明してあり、時として、この情報はどうやって入手したんだろう、と何回も思いました。というのは、この本は昭和30年に刊行されているので、少なくとも、昭和29年頃までには原稿は出来上がっていたのではないかと思われるのですが、例えば「11月27日、(米軍の)作戦部長は、戦争警告と呼ばれる左のような電報を送った。「対日交渉は既に終わり、日本側の攻撃行動は数日間内に起こされると予期される。…」」 このような情報はじめ、米軍の対日戦略に関する内容や命令など、実に細かく記載されているのです。当時は当然、インターネットもなく、戦後、わずか数年の状況でどうやって情報を入手したのか、非常に不思議です。どう思われるでしょうか?
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>戦後、わずか数年の状況でどうやって情報を入手したのか、非常に不思議です。どう思われるでしょうか? GHQの戦史室調査に協力(強制された?)したからでは? ⇒有名どころだと大井篤大佐(海上護衛戦を上梓)や千早正隆中佐(戦史作家)がいらっしゃいます。 なお、GHQは終戦直後に幣原喜重郎内閣下で設立した戦争調査会を廃止させた事からも分かる様に、日本独自の戦史研究を許可しませんでした。 (極東軍事裁判の判決結果の否定に繋がると見られていた。) なお、日本独自の戦史編纂「戦史叢書」は、米国からの資料返還や元軍人からの資料提供があった事から、1966年頃(20年以上経ってます。)より本格化します。 ちなみに福留繁中将は、終戦直後は戦犯として抑留(禁固刑の実刑)されており、個人としての戦史研究は非常に不利です。 ただ、彼は戦後に野村吉三郎大将を中心とした旧海軍高級士官グループに参加し、米国と協調した上での再軍備(自衛隊の創立)に尽力しており、自衛隊設立後は防衛庁の顧問に就任していることから、米国とのコネクションは相当強いものと思われます。 (アメリカ対日協議会とかCIAとか、その手の陰謀論が大好きな方が注目する組織が目白押しなグループです。)
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- kouki-koureisya
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福留繁中将の真珠湾攻撃の謎 2024/03/24 20:50 海軍乙事件で有名な、元連合艦隊の参謀長、福留繁中将の「 史観 真珠湾攻撃(自由アジア社)」を読んでいるのですが、海軍大学を首席で卒業した人だけに、非常に細かい所まで踏み込んで説明してあり、時として、この情報はどうやって入手したんだろう、と何回も思いました。というのは、この本は昭和30年に刊行されているので、少なくとも、昭和29年頃までには原稿は出来上がっていたのではないかと思われるのですが、例えば「11月27日、(米軍の)作戦部長は、戦争警告と呼ばれる左のような電報を送った。「対日交渉は既に終わり、日本側の攻撃行動は数日間内に起こされると予期される。…」」 このような情報はじめ、米軍の対日戦略に関する内容や命令など、実に細かく記載されているのです。当時は当然、インターネットもなく、戦後、わずか数年の状況でどうやって情報を入手したのか、非常に不思議です。どう思われるでしょうか? 私は、秦郁彦氏の「陰謀史観」(新潮新書2012年2月初刊)を愛読しています。 第二次世界大戦ではいわゆるガセネタが横行していますが、ガセネタを一つ一つに根拠を示して批判しています。 一部抜粋:連合艦隊、とくに空母機動部隊が気軽に「無電封止」の命令を無視し、南雲長官自らごく軽い内容の連絡発信を何度も繰り返している傍受史料や、機動部隊が日付変更線を越えハワイ近海に至るまでアメリカ側がほとんど連日、「今日はここまで進んだ」と逐一地図上で全く手に取るように日本艦隊の航行を把握していた、という米軍情報史料を読まされると、日本人として何とも言えない哀感を禁じ得ない。以下略。 とにかく、びっくり仰天の新史料が発掘されていますね。
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- 4017B
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自分もガチ勢では無いので、うろ覚えなのですが…確かいわゆる真珠湾攻撃に関する歴史的な事実等に関しては、米軍側手動で公式の報告書が製作公表されており。 - "真珠湾公式報告書 海軍側": https://search.showakan.go.jp/search/book/detail.php?material_cord=000015900 少なくとも終戦直後から1980年代くらいまでは、旧日本軍を批判する内容であれば、米政府側もかなり寛容に積極的に情報公開してたので。ネット時代の現代と違って、公式資料請求などの手間暇は掛かりますが、まあそれなりに熱意と殺る気さえあれば、むしろガセネタやAIフェイク情報が飛び交って玉石混交の今の時代よりも、実地での一次資料や二次資料に直に触れる事が出来た時代背景だったので、逆に「歴史の真実」により肉薄した記事が書けたのではないでしょうか。 後、これもうろ覚えで恐縮ですが…真珠湾攻撃に関する公式査問会が米国で何回に分けて開かれており(確か全9回だったような)、その中で米軍側の旧日本軍の暗号をどの程度まで正確に解読して動き等を事前に把握していたのか~等々の話が出ており、それらの議論や報告が公文書として記録公開されていたはずなので。それらを戦後に取材したんだと思います。
お礼
- EXIST2090
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>この情報 電報の内容をはじめ >米軍の対日戦略に関する内容、命令など、細かく記載されていた >当時インターネットもない戦後、どうやって入手したのか? 憶測ですが、10年期間が空いたので その期間で関係者へ聞き込みして裏を取ったのでは?と考えました 終戦が1945年、で10年後に出版してるので調査の期間は十分あるし その10年間 出版社から米軍関係者へ取材して事実を取った… なら辻褄も合います。 軍事機密なら軍に聞くしかない→なら取材したのでは…としか考えつきませんでした
お礼