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忠臣蔵、切腹

自分で腹、切って死ねますか、大石の息子など、16、17才で自分の腹を、刺せないでしょう、横に居てる、刀を構えた役人に、首を切られたのでしょうか、切腹って自分で死ねるとは思わないのですが、皆様はどうお考えでしょうか

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  • Broner
  • ベストアンサー率23% (129/554)
回答No.1

 その通り。 切腹で、死ぬには、時間がかかる。 介錯人が、苦しむ時間を少なくするため、首を切る。 そう習いました。

その他の回答 (8)

回答No.9

そうですね~ 8月15日の早朝、阿南陸軍大臣は割腹自殺 しました。 2時間だったとのことです。

noname#247736
noname#247736
回答No.8

自分で腹、切って死ねますか、……私にはできません。 大石の息子など、16、17才で自分の腹を、刺せないでしょう、……どのくらい「刺す」のか???ということにもよると思います。 刀を構えた役人に、首を切られたのでしょうか、切腹って自分で死ねるとは思わないのですが、皆様はどうお考えでしょうか……手段はどうでもよいと感じます。要は「死ぬ覚悟」があったかどうかということだと思います。「死ぬ覚悟」のなかった武士もいますし、昭和の戦争の時代までは、庶民にも「死ぬ覚悟」というのがあったように感じています。

  • oska2
  • ベストアンサー率44% (2301/5116)
回答No.7

>自分で腹、切って死ねますか 最後の切腹は、明治初年。 外国人が見学する中で、士族4人が「腹十文字に切って+内臓をわしづかみにして」切腹しています。 当時の政府(今もそうですが)は、外国人領事・大使に弱いですからね。 「腹きりが見たいです」という要望で、見学を許した様です。 一人目の切腹を見た外交官は、口から汚物を吐いて「もういい!」と席を立った様です。 実際、切腹は「自らの潔白を証明する」「自ら命で償う」事を意味します。 平常心で無い状態では、出来るのではないでしようか? 切腹した士族も、旧藩法によって外国人を殺害したに過ぎません。 武士の面目を潰した外国人を、許せなかったのでしよう。 「何故、切腹しないと駄目なんだ」 憤慨の頂点だったのでしよう。 >横に居てる、刀を構えた役人に、首を切られたのでしょうか、切腹って自分で死ねるとは思わないのです その通りですね。 史実で言うと、47人のうち「間新六」ただ一人だけが切腹して果てています。 大石内蔵助など他の浪士は、誰一人として切腹をしていません。 ですから、遺体は腹に傷はありませんでした。 じゃ、どうしたのか? 1.使者に礼をつくす。 1.三宝に座る。 1.前傾姿勢で、首を前に出す。 1.短刀若しくは扇子を、腹に接触する。 介錯人は、短刀若しくは扇子が腹に接触した時点で首を刎ねる。 フィクションの忠臣蔵の影響で、赤穂浪士全てが切腹した様に考えている方が多いですね。 広義の解釈では、この方法も作法に則った切腹です。 切腹場所・処刑場所を、血で汚さない意味もある様です。

noname#242178
質問者

お礼

ご回答有り難うございました、強烈、想像してしまいました、忠臣蔵、質問、検索やめます、大好きな、忠臣蔵、美談でおさめます

  • notnot
  • ベストアンサー率47% (4900/10358)
回答No.6

最初のころは、自分で本当に切っていたらしいです。すぐに死ねないので、苦しい。なので、介錯というのがあって、合図して首を切って楽にしてもらいます。 江戸時代になると、形式化して、小刀をおなかにあてたタイミングで、介錯されるらしいです。 浪士たちも、切り開いてはいないと思います。

  • SPROCKETER
  • ベストアンサー率26% (2125/7983)
回答No.5

 実際には大石内蔵助は幕府から嬲り殺しにされたようなのですが、体面を繕う為に切腹したという事にしてあるようです。歴史的事実が曲解されて伝えられるのは珍しい事ではありません。  大石内蔵助の一同がどういう殺され方をしたのかはわからないでしょうね。切腹ではなくて、縛り上げて置いて首を跳ねただけだったかもしれません。幕府の役人や首切り役人が大石達にどういう暴言を浴びせたのかも伝わっていませんからね。  外国でゲリラの兵士やテロリストを虐待して嬲り殺しにする映画がありますが、あれと同じだったのではないかと思います。幕府への反逆者として扱われた可能性が大きいです。嬲り殺しにして置いて、全員切腹したと伝えて体面を繕った可能性もあります。人間がやっている事ですから、真実はわからないでしょうね。  もっとも、当時の日本の平均寿命は20歳です。16~17歳と言えば立派な大人です。子供がいても良い年齢です。30歳過ぎれば老人だった時代です。若くして死んだのではなくて、中年ぐらいで決起したと考えた方が良いでしょう。今とは人生観が全く違うのですね。  いかにして人生の最後を迎えるかが人生訓だった時代ですから、赤穂浪士は見事な最期だったと評価されるのもわかりますけどね。実際は惨い死に方だったのかもしれません。

noname#242178
質問者

お礼

ご回答有り難うございました、私は忠臣蔵大好きで、昔からよくみてますけど、このご意見は初めて聞きました、大石がどのように、亡くなったのか、ここは切腹以外私の頭になかったです、吉良の首をはねたように、跳ねられた、あり得ます、当時の平均寿命は産まれたばかりの、赤ちゃん、子供が沢山亡くなったので、平均寿命がさがったと記憶しております

  • ponyo7
  • ベストアンサー率18% (134/724)
回答No.4

いろいろな話が残っていますね。 理想の切腹は腹を十文字に切り裂くというもので、中には自らの内臓を取り出し見届け人に投げつけたという話も残っています。 近年では三島由紀夫が切腹し、介錯人が首を切り落とそうとしたがなかなか切り落とせず刀が曲がる程たたきつけ、三島由紀夫はその苦しみに我慢できず舌を噛み切ろうとしたといわれています。介錯人が変わりやっとの思いで首を切り落としたらしいです。

noname#242178
質問者

お礼

三島由紀夫の切腹は私も知っていますが、その後、のご回答、強烈ですね、首を切れず、、、

  • rikimatu
  • ベストアンサー率19% (629/3297)
回答No.3

人間。腹を切って死にますよ。自分でやれと言われてもやりません。 切腹だけだと死ぬのに時間が結構かかるうえに結構痛いので首を切って(介錯)もらって早く楽にしてもらうらしいです。 切腹も時代が後の方も腹を切るふりをして首を切ってい貰っていたみたいですよ。

  • kurione
  • ベストアンサー率53% (858/1598)
回答No.2

今の感覚では到底理解する事は無理だよね。ただ切腹は厳密には自殺ではなく、死までの激しい痛みを我慢することで武士なりの名誉と尊厳を表す行為とされていたから。因みにこの場合の首切りは介錯と言ってむしろ長引く苦痛への温情で、斬首とは全く意味が違う。まあ大石主税は赤穂藩が改易時数えの14歳。元服前なので 武士がどういうものかという理想像を教え込まれ(いわば洗脳)純粋に信じていたので、出来たのでは? でもね、赤穂浪士討ち入りは、美談としてもてはやされていて芝居から始まって、テレビや映画で潔い最期となっていますが、正確にはどうだったかは分からない。でも幕府としても本来は公儀に対する当てつけなのに 、外様大名や民衆の反感を買うのを怖れて、美談を美談のままにして放置したのは事実。本当は泣き叫んだかもしれない。それは分からない。

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