家臣全員。参加しなかった人含めて。
殿のキレ易さは大内さんも知ってて再三注意してたらしいし。
職場がなくなったら、転職なんてないから、江戸末期の落ちぶれ貴族みたいな扱いになる。
大内さんはぎりぎりまで京都の遊郭で遊んで金なくなったから、その間に動いてた同僚と合流してやる気出したみたいだけど、自暴自棄にはなっていたみたいだね。
ただ、大名間では代々、嫌み合戦は時代構わずあったから、刀抜いたほうがバカだな。
同じ頃。生類憐みの令の・・・犬将軍に対して、平然と犬の毛皮送ったり、手紙で○○が美味しいと将軍が殺しちゃダメって言った対象動物(魚だったかな?)を送ったり。
言葉遊びと知恵比べは江戸時代は必ず会話にあったからね。
「お前、幾つだ?」「鼠の年になります」って答えるのが礼儀。相手はじゃあ、俺が〇年生まれだから、引き算して・・・ああ、21か。とか。相手に考えさせて、理解させるのが礼儀とされていたし。
廊下でクソジジイに合ったら、それなりの返しができなかった。暴力に訴える。家臣なんて考えてなかった殿様が一番悪い。巻き込まれて浪人になった家臣たち全員被害者。
お家下がりさせられて、尼になった奥様惨いです。
ただ、一度、忠臣蔵の墓場・・・ 泉岳寺 (東京)に行きました。入り口で線香100束が100円ぐらいで売ってて、首を洗った場所を横目に、高台にある墓場見たときは、整然と並ぶ墓石見て泣けた。
ひとつひとつに名前が掘ってあって、誰だろうが、こんなに死んだんだって。並んでる数だけ死んだんだって。
それで殿が悪い!って思ったな。
頭がおかしいと言われていた薩摩藩士ですら、水戸さんのご自慢の庭見せられた時、意味がわからないけれど、とりあえず池で泳いで「素晴らしい水でごあーた」なんて言って、相手は「うむ!」で流したりしてたからね。
血気盛んとはいえ、上に立つ者の教育受けていただろうに・・・
それ無視した殿は墓場見て許せなくなったな。
被害者は藩に属してた侍と言いたいかな。