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歴史上、任侠(相互扶助)精神で活躍した人って。
みなさま。 初めまして。 古代中国および、日本で、犯罪集団ではなくて、 本当の相互扶助の任侠で活躍した人っていますか?。 古代中国や日本で…。
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- eroero4649
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古代の王様なんて、任侠の親分と同じですよ。自前の軍隊は子分と同じですし、ある地方を支配してそこに相互扶助の名目でみかじめ料(別名税金)を払えば子分たちがそこの住民を保護してくれるわけですからね。 戦国大名もある種の任侠の親分ですね。戦国大名の中には斎藤道三や豊臣秀吉などの非常に身分が低い人から成り上がった人たちもいます。戦乱の中をのし上がっていますから「仁義なき戦い」と何も変わらないですよ。
- Mock_Hatter
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前漢の朱家なんかは有名です。史記の「游侠列伝」に、そういった侠客の伝記が載っています。 また、陳舜臣『中国任侠伝』(正・続)が、そういった古代中国の侠客について、史書から小説風にリライトしています。
- oska2
- ベストアンサー率44% (2301/5118)
>歴史上、任侠(相互扶助)精神で活躍した人って。 清水の次郎長親分でしようね。 幕末から明治にかけての任侠人ですが、清水港開港・学校の設立など色々な事業を行っています。 討幕軍との戦いで死んだ徳川幕府側戦死者の遺体を、埋葬して供養しました。 当時は「討幕軍との戦闘で死亡した遺体は、そのままに打ち捨てる」のが討幕軍の命令でした。 が「死者に討幕佐幕の区別は無い」として、次郎長親分は遺体をまとめて供養しています。 余談ですが・・・。 阪神淡路大震災では、山口組・会津小鉄組が食糧・資金援助を行っています。 「食糧・お金は、暴力団も一般員も関係ない」 「例え必要でも、暴力団からの援助は受けるべきではない」 色んな意見がありましたよね。 今の暴力団では、考えられない事でした。
林忠崇。将来は幕府の閣僚と言われた文武両道の上総国請西藩の殿様でしたが、戊辰戦争で旧幕府軍に助勢請われると殿様自身が脱藩して旧幕府軍に加わり、会津、仙台が新政府に降伏した後も戦いましたが、徳川家存続と決まるや戦争の大義名分が果たされたと新政府に降伏し、家禄を35石に減らされ、農家をやったり商店の番頭をやったり困窮しました。明治26年になって旧家臣の運動により華族に復しました。ご本人はさぞご満足な人生だったろうと思います。