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一面ではない、歴史のひとたち

 先日、台湾最大の暴力団ということばで「竹聯幇」のトップ、陳啓礼氏の葬儀が報道されました。梁山泊とか、義賊とか義士とかいろんな人や集団がいて、普通の人がしないことをしております。品行方正しかない善良で小心の庶民には、小沢さんを招いた人も、おかしな事をする人たちだと、思います。  アルカイダと知り合いの鳩山さんも小心な庶民ではない。犯罪を犯すことも、そういう人を受け入れる人もおります。これは本当に社会の裏というのでしょうか。私達にはとても不思議です。そして鳩山さんや小沢さんを招いた人は別にしても、裏街道にいて、それがはっきりしていても、ちゃんと表札を掲げ、市民や国民で居られるのです。陳啓礼氏や梁山泊の人は英雄でもある。  歌舞伎でも反社会的な人が主人公になっている。  白川静さんの本では、孔子の時代は、日本で言う服ろわない人がたくさんいて、孔子もその一人だとの事。それを賊というのだそうです。  歴史学では、国家や社会というものと、裏街道世界というものをどう評価したり、観念を持ったりして、いるのでしょうか?  変な話で、私達にはどうも理解、飲み込めないことです。  そういう人(ちょっと漠然なのですが)は表とはどんなかかわりがあり、社会的に表の顔ももっていられるのでしょう。  なんでもいいので、こういうことについて、ご存じの事や、お考えのことがあったら、どうかお教えください。さっぱり判らないのです。

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  • tanuki4u
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回答No.1

だれが正統性もっているか?ということと、正統性が時代によって揺らぐこと。その正統性を誰が記述したか、ということかと。 楠木正成は、「悪党」であり、それは、御家人でなかったというその一点から説明できます。そして、後醍醐天皇に従うことで、尊皇家となりました。 武士も平安貴族から見れば、土地の横領者です。

krya1998
質問者

お礼

 有難う御座います。  頭が固いと何がなんだかわからないことばかりで、正統性というカテゴリーがございますか。  これも歴史学の尺度では相対的なものだとすると、人間の歴史や人生とは何なのか考えてしまいます。  有難う御座いました。

krya1998
質問者

補足

すごい言い方です、とてもそういう見解が表現になるとは思いませんでした。  権力、勢力と悪党、犯罪とはいったい何ののでしょう。  考えさせられてしまいます。  武士が土地の横領者ですか。武士はクシャトリアで、選良だという思いでしたが。武士道の主挌が時の情勢と動きの中での行動が横領者の道をいくことになるのですね。そういう配役を演じていくのですね。  難しいことです。  忠臣楠正成の歌。変人といわれる後醍醐天皇との関わり。  正統せいは時代により、正統性は誰が記述するか。そんなものでしたか。

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  • gungnir7
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回答No.3

>すごい言い方です、とてもそういう見解が表現になるとは思いませんでした。 失礼ながら、そのような観点を持てないことに驚きます。 現在ではテレビから漫画本に至るまで歴史ものに溢れております。 そういうことを見聞きしていけば中学生でも理解できることです。 力の強い者が支配するのは子供の遊びから既に経験済みのはずなのですが。 国の頂点に頭が良ければ立てるのは近代になってからです。 それ以前は力の強いものが正義。負けたものが悪になるのは当然。 明治期以前ですから殺しも謀略も何でもあったことでしょう。 ただ全ての階級において力が正義になっては秩序も何もないので 上流階級が法をつくって下流を支配したまでのことです。 孔子の話もそうですが時代が時代ですから普通に産まれれば極貧なわけです。 そういう世界でのしあげっていくには力が必要です。 それを求めるには平凡に人生を送っていては無理というものです。 孔子の場合は頭脳と処世術で人材として台頭できたのです。 一般的にはその力がアンダーグラウンドに向かったとき裏社会といいます。 ただ、裏社会といってもそこは一般人との交わりがなければ滅びます。 また、裏社会がうまく仲介することで機能する世界というものもあります。 ですから裏社会といっても末端は庶民とそう変わりません。 少し質問内容が手広すぎてまとまりがなくなってしまいましたが、 国にせよやくざにせよ、あるいは企業にせよ上に立つには力が必要であり、 必然的に同程度の力を持つ裏社会との接触が増えてくるのは確かでしょう。

krya1998
質問者

お礼

 有難う御座いました。  私の幼友達が、ダフ屋というのを仕切っていまして、独特ないいまわしでお話しするのですね。端末だか末端だかは、定かではないのですが、何か私達とはすこしやはり違います。同じ庶民ではありますが。  親玉になると、もっと庶民ではなくなるのでしょうね。  武士の頭領みたいな感じで、もっと鷹揚になるのでしょうかね。  有難う御座いました。

krya1998
質問者

補足

>すごい言い方です、  これは質問本文の内容ではなく、ご回答へのお礼・補足のコメントでしたね。お礼の気持ちの流れの中で発したことばですので、これ以上の再コメントは控えさせていただきます。  孔子様が頭脳と処世術。というのはそうだな、と判ります。白川さんの推量でも、巫祝、巫覡の母と下級武士との私生児らしいとのことですね。下村湖人のご著書でも、小さい時から、生活のために何でもしてきて、世の中の事はよく知っていた、苦労人だったようですね。ご本人も述懐してますし。そういう≪頭脳と処世術≫のいきかたであれば、嫌う人もたくさんいるでしょうね。  老子(普通名詞でないとして)も本当にあっていたら、やはり批判するところは有るでしょうね。老子を知ったら、孔子様を好きになれない人もいますよね。私は両方大好きです。未熟者ですから。  裏社会の大物と末端というのは、面白いですね。古今東西、人間の社会にはなくなるものではないようで、私もある機関での仕事では、外部でそういうことをうまく取り運んでくれる方にずいぶんお世話になりました。どうしても必要なんですよ。  質問がこなれてないということと、やはり広範な側面のことに関心がいってしまって、気持ちが中々収まらないないのです。何でも聞きたいのです。よろしくお願いします。    裏社会ですが、お話にはつまり、幕末、幕政と新門辰五郎の関係なども入るのでしょうね。どうしてもそうしますね。  正規・正統の統治権の下、統治高権を揮るうにも当然、いわゆる正義や理念、継続性を一面に持つ法的安定性だけではなく、秩序を力で決め、保ち、もたらす実力、平和を与えるという決定力は不可欠ですからね。それがなければ法律条文だけの国家は存立できませんよね。  そのためには、裏社会を完全にはシャッタウトは不可能でしょうね。  あたまも顕在意識と潜在(sub)意識の関係にも似ていないでしょうか。 有難う御座いました。

  • tanuki4u
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回答No.2

梁山泊は 宋の時代 960年~1127(北宋)でございます。 一方 明の朱元璋は元末の白蓮教徒の反乱の中から頭角を現し皇帝になりました。梁山泊の首謀 宋江 と一緒です。 違いは、皇帝に着いたかどうか、成功したかどうかです。 レーニンも革命が成功していなければ、国家転覆を謀ったテロリストです。レーニンの兄は、皇帝暗殺未遂で絞首刑になっていますし。 武士階級の発生というのは、世界中でいろいろあるわけで、クシャトリア自体も、アーリア人のインド侵入で、少数派(アーリア人)による多数派(ドラヴィダ人)支配を合理化するためにあるようなもんです。 日本の武士も 開発地主発生論:地主が自衛のために武装化した。 職能武士起源論:中央から派遣された下級貴族が、自分の手下を「警察が私設ガードマンをやとう」ような感じで発生した。 などいろいろ説がありますが、どちらにしても、時の正統な政権によって公式に作られたモノではなかったわけです。 明治維新の薩長にしても、将軍に逆らった犯罪人です。

krya1998
質問者

お礼

 謂われてみれば、はっと気づく、反論できないご指摘です。    遅れました。  有難う御座います。  平将門もそういう中に入るのでしょうね。運命の転回が、かの方にとっては、狂っていったようですが。  有難う御座いました。

krya1998
質問者

補足

 ご提示の事例は倶に天を戴かず。という関係の特徴がありますね。  でもまた、やくざや、アウトローのかた、アウトサイドの方。  口利きさんなどは同じ統治権の中で、表の顔もしていますものね。    孔子の遍歴時代も、どこの国の保護もない、いわゆる賊という集団だと、白川静さんは仰っていますが、こういうありようというのは、西洋近代法制度の、国民国家体制下ではないことでしょうね。  すくなくとも表向きは。建前も。  ありがとう御座いました。