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(道徳的に)正しいとは何かを考えてみた 決定版です

皆さん、自分の考えは正しいと思って発言、投稿されていると思います。それでは「正しいとは何ですか?」と聞けば、皆さん「正しいなんて決まってないよ、人それぞれだろう」と答えます。 しかし「正しい政治」が人それぞれの正しさの政治では国民が困ります。私は「何かみんなに共通する正しさがあるはずだ」と考えて「(道徳的に)正しいとは何か?」を考えてみました。どこか論理的に間違っているならご指摘願います。私はただ論理的に考えればこうなると主張しているのです。ですから否定するなら私の推論のどこに瑕疵があるのかを指摘してください。結果が自分の考えに沿わないからダメだ、などの意見は必要ありません。推論のどこに瑕疵があるのかを指摘してください。瑕疵がないなら、これが論理的に正しいとなります。 まず、正しいとはなぜ必要かと言えば何か問題があるからです。何も問題がないなら正しい、正しくないなんて必要ありません。そうでしょう?その問題とは社会的問題です。数学的などの問題ではありません。また問題には答えがあります。 ですから「正しいとは○○である」とは「ある社会的問題において正しい答えとは○○である」と言う意味なのです。これが私の大きな気づきでした。 また考えてみれば、あらゆる社会的問題は「みんなの為」でなければなりません。そうでしょう? みんなの為にならない答えなど、そもそも答えとは呼べません。ですから、あらゆる社会的問題の正しい答えは「みんなの為」である、となります。 家族の問題であれば家族みんなの為の答えが正しいとなります。町の問題であれば町民みんなの為の答えが正しいとなります。また国の問題であれば国民みんなの為になる答えでなければなりません。 つまり何か問題が起きれば、全体的な利益である「みんなの為」に合致するような答えをみんなで決めることが正しい事なのです。 そしてまた、あらゆる社会的問題において正しい答えは「みんなの為」ということは、あらゆる社会的問題において唯一無二の正しい答えは「みんなの為」ということになります。つまりあらゆる問題において唯一無二の答えは「みんなの為」ということになります。これはつまり「みんなの為」であれば「すべてが正しい」と言うことになります。 私たちがただ単に「正しい」と言っていることは「ある問題において正しい答えである」という事だったのです。そしてあらゆる社会的問題において唯一無二の正しい答えは全体的な利益である「みんなの為」だったのです。 これを基に考えれば「あらゆる社会的問題」は全体的な利益である「みんなの為」に合致する答えを見つければ良いと言うことになります。 例えば死刑問題について考えれば、いろいろ長らく議論されていますが、まだまだ結論は出ないようです。ある人たちは人権こそ正しいのだ、人権に合致しないから死刑は反対であると主張し、ある人たちは人の命は命で償うしかないそれが正しいのだと主張していて決着がつかない状態です。しかし「あらゆる社会的問題」は全体的な利益である「みんなの為」に合致することが唯一の正しい答えなのですから、死刑問題の正しい答えは「みんなの為」に合致するような答えこそが正しいと言うことになります。 何故、いろんな社会的問題に対してなかなか結論が出ないのかと言えば皆さんが「正しいは人それぞれなのだ、それが正しい」と考えているからではないでしょうか。つまり「本当に正しい事」とは何なのか?が分かっていない為ではないでしょうか。あらゆる問題の唯一無二の正しい答えは全体的な利益である「みんなの為」に合致することが唯一の正しい答えなのです。これさえ分かれば多くの難問もやがて解けるのではないかと思うのです。 難問と言われている死刑問題やトロッコ問題もこの唯一無二の正しい答え「みんなの為」に合致するように、みんなで考えればやがて正しい結論が出るのではないでしょうか。

みんなの回答

  • stmim
  • ベストアンサー率24% (57/236)
回答No.14

正しいか正しくないか難しくないですか? 例えば、次の例だとどう考えますか? アベンジャーズという映画の中でサノスという悪役が出てきます。 もはや宇宙に生命は増えすぎたとして、人類を含めた宇宙の生命の半分を消し去ろうとします。「こうすることによって持続的に生命を永らえることができる」という使命感を持っています。彼は自分のことを正義と考えています。 これは正しいですか? 森林に生息する野生のシカが増えすぎてしまうことがあります。放置すると森の木々の芽を食べつくしてシカの群れが全滅してしまいます。こうした時、シカを間引いて殺して、シカが全滅しないようにすることがあります。(シカのために)これは正しいことでしょうか?

shinwood
質問者

お礼

>これは正しいですか?  彼は自分のことを正義と考えています。< これは全宇宙のみんなの問題なのですから彼が増えすぎたから殺すと勝手に決めてはなりません。これを相対主義というのです。自分には自分の正しさがあってもいいじゃないか。正しいはその問題に関係しているみんなで考え決めなければなりません。 >(シカのために)これは正しいことでしょうか?< 放置すると森の木々の芽を食べつくしてしまうと言うのは人間にとっても困った問題です。ですから絶対的に、唯一正しい事は「みんなの為」ですからこれに合致する答えをみんなで話し合って決めればいいのです。あなたも、もう答えは分かっているでしょう。 また人間に関係のない森の奥での事なら自然に任せるのがいいでしょうね。また人間たちが鹿を絶滅させるのは忍びないとしてその問題に首を出すなら理性のない鹿たちよりも理性のある人間の考えが善いと思います。

  • stss08n
  • ベストアンサー率16% (454/2764)
回答No.13

修身極むれば自ずと自我謙遜こそ極楽なりや

  • g27anato
  • ベストアンサー率29% (1166/3945)
回答No.12

改めて確認します。 質問の本題、及び主旨は何でしょうか?

  • g27anato
  • ベストアンサー率29% (1166/3945)
回答No.11

あくまでも「人それぞれ」でしかない。 皆が質問者と同じにはならない。

  • g27anato
  • ベストアンサー率29% (1166/3945)
回答No.9

「皆さんは人それぞれだから~」 …そのとおり。 一人だけが正しい答だと思っても、皆に通用するかは別。

shinwood
質問者

お礼

>「皆さんは人それぞれだから~」…そのとおり。一人だけが正しい答だと思っても、皆に通用するかは別。< 何の根拠があってそう考えるのですか? 

  • eroero4649
  • ベストアンサー率32% (11074/34518)
回答No.8

>消防隊が拒否するのが正しい?そんなはずないでしょう。 残念ながら、それは現実に起きた出来事なのです。 https://news.livedoor.com/article/detail/5061213/ アメリカで2010年に起きました。市(消防隊)側の判断が正しいのか、間違っているのか、あのマイケル・サンデル教授の授業の題材にもなっていますね。 >また子供に権利があるはずないでしょうが。 子供にも権利があるのは、国連でも決められておりますです、ハイ。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%90%E7%AB%A5%E3%81%AE%E6%A8%A9%E5%88%A9%E3%81%AB%E9%96%A2%E3%81%99%E3%82%8B%E6%9D%A1%E7%B4%84 質問者さんの「みんなの為」のみんなに子供が入っていないことは分かりましたが、それが本当に「みんなの為」なのか、甚だ疑問でございますね。日本における14歳以下の人口は全体の約12%。12%もの人々を「みんなには入らない」とはおかしなことでございます。これを世界に広げると、先進国と発展途上国ではだいぶ開きがありますが、平均すればおおよそ25%くらいは14歳以下です。全体の25%の子供たちをみんなに入れないなら、世界的に見て10%以下の65歳以上の高齢者もみんなに入れないでいいですよね?子供より数が少ないのですから。そうなると質問者さんのおっしゃる「みんな」は、全体の65%くらいになります。何らかの独特の価値観を持つマイノリティもみんなから外れれば、そのくらいの数字になってしまいます。おそらくLBGTも質問者さんのいう「みんな」からは外れるでしょうからね。 他の方も、質問者さんの意見に賛同されている方はおられないご様子です。どうでしょう、ここはひとつ「みんなの為」にその御説を引っこめるというのは。 もし「誰がなんといおうと俺はこの説を曲げる気はないのだ。これが唯一にして絶対の正解なのだ」とおっしゃるなら、その「みんなの為」ってのは全然みんなの為になってないじゃないかなーと思う次第でございます。 っていうか、「子供に権利があるはずがない」って言ってる時点で論理が破綻しちゃってますけどね。全然みんなの為になってないじゃん。

  • eroero4649
  • ベストアンサー率32% (11074/34518)
回答No.7

>結果が自分の考えに沿わないからダメだ、などの意見は必要ありません。 揚げ足取りみたいになっちゃうけれど、そういう論理展開に瑕疵があるんじゃないですかね?だって、「俺の意見に合わないからダメだというのは受け入れない」って言っている時点で「そういうあなたも自分の意見に合わない意見は受け入れないといっているのでは?」となってしまいますものね。 まあ、ここは本筋ではないのでここで議論するつもりはないです。ただ、ここの時点でそういう議論が発生してしまいますよ、ということが言いたかったのです。 あと質問者さんのいう「みんなの為」っていう「みんな」ってのはどこまでを指すのでしょうか。歪んだ思想の持ち主のサイコパスも「みんな」に入れていいですか。私有財産を一切認めない共産主義者も「みんな」に入れていいですか。死刑囚は「みんな」に入るでしょうか。その死刑囚に家族を殺された人は「みんな」になるでしょうか。 またこれまた揚げ足ぽくなりますが、質問者さんは「みんなの為に自説を引っ込めてくれ」と「みんな」からいわれたら、今回の説を引っ込めますか。働いている先から「ウチはサービス残業だ。みんなそれを納得している。俺も残業代が出ない」といわれたら、もらえなくても納得しますか。もし、どこかの会社でもらえる人がいたらそれはどうなりましょうか。 「みんなの為」がなかなか上手くいかないのは、社会主義や国家主義がなかなか上手くいかないことで明らかだと思います。社会主義や国家主義というのは、いうなれば「みんなの為」ですよね。理屈の上では、あまり差別がない「みんなの為」の社会になるはずです。でも、だいたいどこも失敗しました。北朝鮮のように個人崇拝になってしまうことが多かったですね。 「じゃあお前は正しいというのをどう考えているのか?」と問われたら「ある立場に立ったときにそれが正解だとされること」だと答えます。「哲学上の、相対性理論」ですね。どの場所に立つかである対象物の速度が変化するのが相対性理論です。それと同じで、どの場所に立つかで対象の正しさは変化するものだと思います。 一例をあげるなら、「市民税を納めることを拒否した家で火事が発生したとき、消防隊はこの家を消火することを市民税を意図的に拒否してきたことを理由に拒否した。消防隊のこの行動は正しいか?」に対して、消防隊及び市の立場からすると「正しい」となりますが、その家の子供などからすると「税金の支払いを拒否していたのは親であり、自分ではない。自分の権利も失うのはおかしい」というのはまた「正しい」ものだと思います。 質問者さんとしては「この世に絶対に正しいは存在する。それは『みんなの為』だ」といいたいのですよね?

shinwood
質問者

お礼

>一例をあげるなら、「市民税を納めることを拒否した家で火事が発生したとき、消防隊はこの家を消火することを市民税を意図的に拒否してきたことを理由に拒否した。消防隊のこの行動は正しいか?」に対して、消防隊及び市の立場からすると「正しい」となりますが、その家の子供などからすると「税金の支払いを拒否していたのは親であり、自分ではない。自分の権利も失うのはおかしい」というのはまた「正しい」ものだと思います。< 消防隊が拒否するのが正しい?そんなはずないでしょう。また子供に権利があるはずないでしょうが。

回答No.6

長文を解読せずに回答して、ごめんなさい。 >(道徳的に)正しいとは何かを考えてみた 決定版 判断基準を何にするか。 「みんなの為」に合致すること、とする。 それに反論できなければ決定しても良い。   とのお考えですね。 間違っていないと思います、いや、いません。w さて、その理由です。 >「みんなの為」に合致すること、とは? 進化した動物は、テレトリーを作って有利に遺伝子の残す種が多いのですが 人(ホモ属)は、遺伝子よりも"文化"を残して、次の環境で生き残ってきました。   (古くからの戦争ツールをイメージしましょう) その文化で、革や布、箸やフォーク、石室や高床、  各種の 言語、文字、概念、宗教、を創造してきました。 地域毎に違いがあるのは当然で、人は家族の中でさえ違いがあります。   ∵同じ考えだと、パニック行動で全滅するからです。 問題は、創られた文化への固執が、どんどん強くなることです。  銘銘膳とか、食べる時に音を出さないとか、マナー違いで嫌悪さえします。   ∵ひとの食べ物を略奪する動物的遺伝子が残っているからです。 そのレベルですら解決できないので  紛争や地球環境の国際的な合意に、期待する方が愚かとさえ感じます。 文化の選別基準  宗派は多いが、応用すると楽勝する再現性の高い科学(派)。  数世紀の温暖化は確実なので、環境変化を見越した国家関係の構築。  二酸化炭素よりメタンガスの脅威に対処。プラゴミや石炭の有効利用処理。  迎撃の非効率性と先制攻撃の有効性。5Gを牛耳る組織への対処。  AIに頼った結果のパニック売り大恐慌への準備。 >決定版 遺伝子よりも文化 と 再現性、を意識しましょう。

shinwood
質問者

お礼

何を言いたいのか分かりません

  • sutorama
  • ベストアンサー率35% (1689/4748)
回答No.5

哲学ですね 哲学はあなたの中の答えですから、それを否定することも瑕疵を見つけることも正直、他人には関係ありません 正義という言葉があります 貴方のその長たらしい哲学は「正義と大義の合致を求めている」という言葉だけで表現できます その点から「弱い者の排除」「必要のない者(物)の淘汰」「誰も興味がないものには関心を寄せなくてよい」を目指すことになることに気づくと良いと思います 死刑制度は、もうどうしようもない者をこの世からなくす制度です 貴方の哲学でいう「みんなのため」です しかし、興味のない人・関係のない人にとっては、思考も働かせません みんなのために肖像権・プライバシー権を大切に思う人は、多いです しかし、全ての街角・商店・教室・社内・家庭に監視カメラがつけば、パワハラ・モラハラ・いじめ・虐待などは一気に解消され、みんなのためになります このようなことも残念ながらその哲学では解決できません 正しい正論をみんなで考える そのようなことは長らく、ずっと長い歴史でしてきていると思います しかし、あくまでも貴方の哲学です その答え(思考だけ)は貴方のものですから、あとは行動で体現されていくこと願います

shinwood
質問者

お礼

>このようなことも残念ながらその哲学では解決できません< ですから私が考えたのです。あなたは絶対善は絶対的な答えを出すものと勘違いしている。そうではなく最も正しいことを最も正しい方法で考えみんなで答えを出すことなのです。勿論、人間ですから間違うこともあります。しかし最高の方法で考え続けるしかないのです。それが最も正しい答えに辿り着けるのですから。

  • alterd
  • ベストアンサー率23% (137/595)
回答No.4

社会的問題は「みんなの為」に合致するように考えるべきではないかという推論に瑕疵はありません。 しかし、死刑問題、原発問題、安保法制等で、それぞれ、「それがみんなの為になる」と考えている人間同士において鋭く対立する意見が存在するのが問題なのです。 極論すれば、「みんなの為の意見」が一致した者たちだけで社会を作るべきなのでしょう。

shinwood
質問者

お礼

>しかし、死刑問題、原発問題、安保法制等で、それぞれ、「それがみんなの為になる」と考えている人間同士において鋭く対立する意見が存在するのが問題なのです。< ですからそれがいけない、自分の考えが正しい。そうではなくまず自分の考えを少し抑えて「まず、みんなの為になるには?」と考えるのです。それが私が言っていること。あなた達は相対主義。絶対善は「まずみんなの為」と考えることなのです。自分の意見をまず忘れて「本当にみんなの為になるには」とみんなで考える。絶対的に正しい事は「みんなが安心して幸せに暮らせる事」これが最高の目的。そのためには私欲を抑えてみんなで妥協してこれが一番いいだろうと言うものをみんなで考えることです。

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