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罪の大きさによって量刑の軽重が決まるべきです。
法律は弱者や被害者の為に必要なものであって、強者や 加害者を守る為のものではないと信じています。 殺人という重い罪を犯した人間を死刑に出来ないのであれば 被害者家族は浮かばれません。 人間の感情を机上の論理で無視するのは間違っています。 個人的意見ですが、死刑廃止派は偽善者だと思っています。 死刑制度については10代の頃から考え始めて数十年に なりますが、今も変わらず必要だと確信しています。 命は重いものであり、その命を奪ったのであれば、命で償うべきです。 みなさんも そう思いませんか?
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例えば交通事故。 自転車と自動車がぶつかったとして 実際には自転車の無謀運転の結果であり 自動車に過失が無かったとしても 交通弱者保護・過失相殺の観点から自動車には大きな過失が課せられますし(保証・賠償) ウン十万もの罰金がかけられます。 罰金は国庫に納められますし年間の罰金最低徴収額は予め決められています。無論予定徴収額を上回る事は問題にされません。 罰金刑で結審する事例には結審が早く、国庫に金の入らない事例はなかなか審議の順番が回ってきません。 何が言いたいのかと言うと法の裁きというのは弱者や被害者の為にあるのでは無く国の利益の為にあるのです。 ですので企業裁判等は国の利益になれば企業が勝ちますしならなければ企業は負けます。 国や自治体を相手取った裁判でも同様です。
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- Alpha-900
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おおむね同意です。 例えば殺された場合。 死んだ方から見れば、 刺殺されても、自動車で轢き殺されても、銃で撃たれても、過酷な労働を強いて精神的に追い詰め自殺させても、 殺されたことは同じです。 このように、何をしたかでなくて、どうなったのかという視点からも刑罰を考えるべきだと思います。 刑罰は漢の高祖の法三章くらいに、簡易にすべきだと思います。 現在の法令はあまりに大量複雑すぎて、全て覚えている人など日本に何人いるのやら?という感じです。 殺人は死刑、窃盗は賠償、傷害は相応の罰、でいいんです。
- kanstar
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「殺人」は必ず重い罪であるという決めつけはどうかなと思っています。 まあ、「殺人」と言う行為は重大な行為だと思いますが、その犯行を起こした背景を検証をして量刑を決めるべきだと思います。 例えば、「介護」苦にして介護していた親を殺害してしまったとか、また、難病で苦しんでいる「親族」から生前に「自殺」を幇助することを依頼されていたとか。 そもそも、「殺人」と言う行為だけで量刑を決めるというのは、裁判制度の否定だと思われますし、起訴される過程で自白の強要や物証の改ざんがあったとかだと、「無実」の人物を「死刑」にしてしまう可能性があると思われます。(代表例:広島家族3人放火殺人事件) これが、人間を殺すことに快楽を感じて「殺人」を行った場合には現実に死刑判決は出て刑が執行されています。(代表例:東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件)
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回答ありがとうございます。
- rokutaro36
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(Q)みなさんも そう思いませんか? (A)思いません。
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回答ありがとうございます。
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