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死刑とは 社会のお約束ですから。

「こういうことをしたら死刑』って前提がお約束としてある社会だから、そう言う納得の上において社会全体が維持されてます。 それから、死にたいと思っても死刑に成るために誰かを殺す・・・なんて人は少ないと『思います』。 皆さんはどう思いますか?

みんなの回答

  • kohichiro
  • ベストアンサー率21% (306/1447)
回答No.3

>こういうことをしたら死刑』って前提がお約束としてある社会だから お互いにこういう法律を守ろうという約束で日本国民になっているということでしょう。もちろん全員の名前の契約書は存在しませんので、不満があれば法律の管理者に訴えればしかるべきリアクションはあるでしょう。そういった動きがなければ、全員が納得しているということでいいのではないでしょうか。 >そう言う納得の上において社会全体が維持されてます。 その認識でいいと思います。 >にたいと思っても死刑に成るために誰かを殺す・・・なんて人は少ないと『思います』。 皆さんはどう思いますか? 少ないと私も思います。でも皆無ではありません。なのでそういった吉外はことをおこすまでにみんなで察知してとりおさえるかして病院へ収容しなければなりません。それは可能です。社会、地区住民、となりぐみパワーの必要性があるということです。そういう認識が日本を平和にしているのです。

回答No.2

しかし、仇討ちは、自然に発生します。お礼参りなどがそうですね。そして自然に処刑されてゆきます。

luna_mond
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 >しかし、仇討ちは、自然に発生します。 いや、仇討ちには返り討ちもありますから、結局、弱い意人間は淘汰されるでしょ。

  • hekiyu
  • ベストアンサー率32% (7193/21843)
回答No.1

”「こういうことをしたら死刑』って前提がお約束としてある社会だから、  そう言う納得の上において社会全体が維持されてます。”      ↑ 質問者さんは、理論が好きなようですから、ちょっと 反論してみます。 約束といいますが、そういう法律が作られたのは 明治40年です。 ワタシはまだこの世に存在していませんでした。 存在していない人間に対して、お約束だ、という のは納得いきません。 何故なら、お約束というのは、意思の合致が前提と なるからです。 存在していないのに意思の合致などあり得ません。 明治40年以前に生まれた人はほとんどあの世です。 従って、今の時代の人間に、お約束だ、という 理屈は通りません。

luna_mond
質問者

お礼

回答ありがとうございます。

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