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B・ムーア『独裁と民主政治の社会的起源』について

農業に関する就業形態についてご存知の方にお聞きしたいです。 今B・ムーアさんのいう方の『独裁と民主政治に関する社会的起源』を読んでいるのですが、日本の農業に関して、近代化とともに大土地保有制から地主・小 作人制度に移行したとの記述があります。そしてその原因は労働賃金が上昇したためだと。 なぜ労働単価が上昇すると地主・小作人制度の方が(近代産業社会に?)適合的になるのでしょうか。大土地保有制度ではやっていけないものなのでしょうか?

みんなの回答

  • g27anato
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回答No.2

コメント拝見しました。 19世紀末ということですから時代考証は江戸末期から明治の事だろうと推察したのですが、 日本の江戸時代は土地所有の概念が無かった筈なんです。 幕府によって配分された◯◯万石という収穫量に換算された土地を藩が支配管理していた筈なんです。 それを更に区分けして管理者を置き、年貢制の下に「百姓」と呼ばれる農民が土地を預かって農作に勤しんでいたというのが、当時の農地制度だったかと思います。 明治になって藩政が廃止されたことで、農地を個人所有させて納税義務を負わせたのが、地主と小作人という制度の始まりだった筈です。 …ですから、その論説自体に時代考証の誤りと日本の賃金制度に対する誤解が有るようなんです。 納税制に移行したあとも暫くは地主が収入を掌握していて、小作人は何の権限も与えられず賃金制でもなく、地主から預かった農地で細々と自給自足の生活を強いられていたようです。 件の論説は、その後の変遷と混同してるのではないでしょうか。 実は…「たわけ」という言葉を知りませんか? 「田圃を分ける」…「田分け」です。 …これがカギかと思います。 農家の「本家」と「分家」の話も、ここから始まります。 江戸時代は親から長兄だけに引き継がれていた農地が、 明治以降は地主である親が我が子に土地を分け与えたところから、所有地が分割され親の居地が「本家」、子供の居地が「分家」と呼ばれるようになりました。 (「本家、分家」は、地主と小作人の関係ではなく、親子の関係を指しています。) 所有地が分割されたことで農家の収入も減ることになり、後々の時代世代へと繋がることになるのです。 以上から、 件の論説は欧米人の概念に基づいたことによる考証の誤りから、当時の賃金制が存在しない日本の農家の実態とは違い、 本末転倒とも言える展開となっているため、なにかピンと来ない内容となってるのではないでしょうか? その論説に記された時代には「田分け」という所有地分割によって、大土地保有制は既に崩壊していただろうと思います。 追加回答が遅くなりましたが、参考にしてもらえれば幸いです。

  • g27anato
  • ベストアンサー率29% (1166/3945)
回答No.1

大土地保有、地主小作制 …その時代の日本農業には、賃金という概念は無かった筈です。 制度が移行する前は税制が「年貢制」 であり、収入は「金銭」ではなく「作物」つまり「現物」でした。 そこに西欧の金銭による労働と報酬の概念を持ち込み、賃金が介在してると誤解したのではないでしょうか。 元々存在してない賃金を論説の根拠にしてると思われるので、内容そのものが間違った前提によるものと考えます。 金銭による収入形態が発生したのは、 年貢が廃止されて土地が個人の所有に移管し、税制が施行されてからの話です。 小作人と賃金と、時代の順序が逆に考証されてるようです。 賃金という概念の介在しない「年貢制」の時代から、 「税金」という概念を導入して土地の個人所有に移行した時代の話でしょうから、 論説自体が誤認に基づく考証によるものと言えるし、 質問自体も事実として成立しないと言えそうです。

7348hhhh
質問者

お礼

私のおおざっぱな質問に丁寧に指摘してくださってありがとうございます。 >論説自体が誤認に基づく考証によるものと言えるし、質問自体も事実として成立しないと言えそうです。  たぶん私の読解力が追いついていないので、考証の誤認よりも質問の不適切だったのだと思います。勉強不足です。私がこんな筆問をしたのはムーアさんのこんな箇所を読んだからです。 「その間に経済の発展は、小土地保有農家を従えた大土地保有農家という伝統的体制の変化に広汎な影響を与え、伝統的な体制に代わって、自作農と地主・小作人集団とを生み出した。その根本的な原因は、農業労働力の不足が著しくなったことであった。農村商工業が発達したため、大土地保有者が従属的な小土地保有者を、都市の牽引力に逆らって引きとめておくためには、より多くの土地を与えねばならなかったのである。(中略)一般的傾向として(19世紀末には)従属的小土地保有者は独立した分家という地位に昇った。そしてほんの一部は自作農に、大部分は小作人になった」  つまり(1)経済の発展→(2)農業労働力の不足(これを労働賃金の上昇と勝手に解釈したのは私です)→(3)大土地保有農家+従属的小土地保有農家の体制→(4)地主・小作人体制へ という流れだと。このうち特に(3)→(4)のところが理解できていないのだと思います。  ご指摘を踏まえて読み直したいと思います。

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