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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:【日本の農業の水田の歴史】 農林水産省が作った「)
日本の農業の水田の歴史
このQ&Aのポイント
- 日本の水田は小作農民の名残りで、納税のために小作人が土地を借りて水田にしました。
- 水田が普及した理由は収穫量を増やして納税するためで、効率よりも収穫量が重視されました。
- 日本の水田はエネルギー効率ではなく小作農民の奴隷制度の残骸と言えます。
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質問者が選んだベストアンサー
農林水産省は、土地を畑ではなく水田にしたのは、エネルギー効率が良かったからと言っているのに、あなたは大きい水田と小さい水田の話にしている。話がすり替わっています。 なぜ小さい水田が数多くあるかと言えば農地改革のせいです。
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- DAMSAREX
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回答No.2
凸凹の多い島国だったのと、小さい田んぼのままにしておくことで税を取り立てる側のメリットが増していたのでは。 小田んぼ一枚毎に人を割り当て、何らかの手数料を取る方式にすると、大田んぼにした方が収量は確かに上がるものの、税を取り立てる側は確実に利益が出せることになるし、大田んぼだと複数の家での共同作業になるため分け前で酷く揉める(大して働いてなくても子供が多い家には分配を多くしないといけなくなる)んじゃないでしょうか。 田んぼ一枚から毎年これだけ払うと決めて代々引継がせる方が責任は曖昧にならず、確実に搾取しやすかったのでしょうね。
- eroero4649
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回答No.1
質問者さんのお説に従うと「まず小作人がいて、その後に稲作が広まった」ってことになるのではないでしょうかね。 弥生時代の社会制度がどうなっていたかは分からないことだらけですが、まだその頃は小作人のような存在はいなかったんじゃないかなと思います。 質問者さんがいっていることは「まずサラリーマンがいて、その後に会社というものが生まれた」ということになってしまうのでは。
お礼
みんなありがとう