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上野戦争後の彰義隊隊士のその後

彰義隊が上野戦争の敗戦後、身分を隠して江戸の各地などに落ち延び、身分を隠して身を隠したと聞いたことがあるのですが、事実でしょうか? それとも皆、函館戦争などに転戦したのでしょうか? 何かご存知のことはありませんでしょうか?

質問者が選んだベストアンサー

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  • oska2
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回答No.3

>身分を隠して身を隠したと聞いたことがあるのですが、事実でしょうか? 事実でしようね。 「勝てば官軍・負ければ賊軍」 戦闘の後の「敗者残党狩り」は、厳しいですからね。 また、討幕軍に参加した下っ端兵士の多くは「残党狩りで、金品を奪う」のは公然の秘密でした。 もし敗軍と分かれば、金品だけでなく若い女性も暴力を受けます。 先の大戦でも、日本の敗戦で「朝鮮半島から日本へ引き上げる婦女子は、朝鮮人に性的暴行を受けたり金品強奪を受けたり悲惨な被害」に遭っています。 ※韓国の正しい歴史には、一切記述はありません。 ※立憲民主党・国民民主党・共産党・社民党も、これらの事実を認めていません。 まぁ、どの時代・地域でも「敗者は、悲惨な運命」なのです。 >それとも皆、函館戦争などに転戦したのでしょうか? 全ての隊員が、函館に向かった訳ではありません。 戦線離脱をした隊員も、いた様です。 彰義隊は、一種の義勇軍ですからね。 「これが、最後の戦い」と、挑んだ隊員もいました。 幕府側の拠点である江戸・江戸城が、既に官軍から攻撃を受けているのです。 「勝てる」と思った隊員は、いなかったでしようね。 武士の意地!です。

krya1998
質問者

お礼

素晴らしいご回答ありがとうございました。 彰義隊のお江戸の武士たちは刀を一度も抜くことなく、大川(隅田川)などを渡った地域に入り、身分を隠して稲荷社や蓮池の作業員ないなって地域の大地主の庇護に入ったなどと聞いております。裔の風貌や品格からさもありなんと理解しております。

その他の回答 (2)

回答No.2

>身分を隠して江戸の各地などに落ち延び、身分を隠して身を隠したと聞いたことがあるのですが、事実でしょうか? 上野で勝敗が決した後で散り散りになりましたので彰義隊士だったからどうのとは一概に言えません。 函館や水戸へ向かった人達もいれば江戸の街で潜伏していた人達もいました。 薩長軍は彰義隊狩りと称して江戸市中の民家へ押し入りましたので身分や氏名を隠して潜伏していた人もいました。 >それとも皆、函館戦争などに転戦したのでしょうか? 函館へ向かった彰義隊士は180人前後と言われています。 彰義隊というのは元々は慶喜の縁で一橋家に勤めていた幕臣によって結成されたものです。 慶喜が上野を退去して水戸へ退いた後は出身がバラバラの混成部隊になって上野での戦闘に臨んだ人達でした。 詳しくは下記のような書籍があります。 彰義隊遺聞 森まゆみ著 新潮文庫 彰義隊士直系のご遺族などからも取材しています。

krya1998
質問者

お礼

ありがとうございました。 彰義隊のお江戸の武士たちは刀を一度も抜くことなく、大川(隅田川)などを渡った地域に入り、身分を隠して地域の大地主の庇護に入ったなどと聞いております。裔の風貌や品格からさもありなんと理解しております。

  • stss08n
  • ベストアンサー率16% (454/2764)
回答No.1

内実は、まだまだ”徳川幕府への恩恵が、捨て難し:武士は、生きていく叫びを あげていました。・・・行く先などは、歴史に残らずが、真実なのでしょう。

krya1998
質問者

お礼

そうかもしれませんね。

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