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宗教の極貧についてです。
宜しくお願い致します。仏教には極貧の修行があると思いますが。神道にもあるのでしょうか。極貧な修行とはどのような修行(仏教と神道で)なのか知りたいです。
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本来の神道には教義も無ければ生活上の制限も一切ありません。ですから「修業」などと言う概念は初めから存在しません。何でもかんでも「やってはいけない」ことになっているエルサレム系の宗教とは対極にあるものです。せいぜい「けがれたこと」「そうで無いこと」の区別がある程度です。そもそも、宗教として認識されたのは明治維新以降に「神仏分離政策」が進んでからです。西洋文明が全て「キリスト教」を基にしていることを知った政治家たちが、キリスト教に代わるものとして類似的に天皇を絶対の神とする「国家神道」を作り上げたのです。キリスト教は明治維新までは禁止されていたくらいなので、今更導入するのは不可能だったからです。つまり、本来の神道とは全くの別物で、人工的に作り上げたものなのです。
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- akaiyubi
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回答No.2
俺たち人間は動物であるが、動物ができないことはなんだ? 人間にできることはなんだ?動物は憎むことができる 人間も憎むことはできる でわ、祈ることは⁇動物にはできるのか?これは人間にしかできないことだ! これを会得し信じてみようと心が現れるむ 難しい問題じゃない あんたに必要なことはコレだよ
お礼
回答ありがとうございました。