- 締切済み
~兵衛
助兵衛、飲兵衛、何の何兵衛など、男のことを~兵衛というのは、なぜ? 昔、そんなに男性名によく在った名前が~兵衛だったのでしょうか? (~太郎の方が多い気がしますが、助太郎、飲太郎とは言いません。不思議です。)
- みんなの回答 (3)
- 専門家の回答
みんなの回答
- -ruin-
- ベストアンサー率31% (239/770)
悪太郎、吝太郎、馬太郎、与太郎、プウタロウ 実は言葉としては太郎のほうが多いのかもしれません。 名前からではなく、兵衛はもともと役職を表す意味の言葉で助は好きから変じたものなので、好色役、呑み役みたいな意味合いだったのでは?
- ichikawa2017
- ベストアンサー率54% (452/836)
兵衛は元々は古代朝廷の警護を受け持っていた兵衛府という役所の役人のことでした。 御質問の兵衛のように多かったものに左衛門もあります。 これも左衛門府という役職の名前に由来します。 忠臣蔵の大石内蔵助の内蔵も内蔵寮という役所の名称からきたものです。 日本には古くから人の名前を呼ぶことはその人を支配するという考え方があって正式な名前を避けて役職などが代わりに使われていました。 紫式部も式部という役所に所属する女性という意味の言葉でした。 結果として源氏物語の作者である紫式部の正式な名前は分かっていません。 枕草子の作者である清少納言も同じように正式な名前は分かっていません。 太郎というのは長男を意味する言葉でした。 男の子には太郎、次郎、三郎などと生れた順番に名前をつけていました。 太郎を一郎とはしなかったのは家督を相続する人という意味の言葉だったことに由来します。
お礼
長男は一人。 子だくさんの永かった時代では、確かに命名比率が低いですね。
俺は朝廷の直属の武士だぞ、と兵衛(ひょうえ)の官職を僭称して田舎で箔をつけるために大部分は勝手に名乗りました。ということは武士の名ですから、明治の初めには刀も俸禄もあらゆる特権を失った武士にちょっとでも元気になってもらおうと平民が武士風の名を付けることが禁じられた時期がありました。領地の大きな武士は上総之介などと国持ち大名を僭称することさえ流行りました。
お礼
朝廷の役職名だったのですね。
お礼
いま、珍地名のTV番組で、やっていました。 「江戸時代に、<好き兵衛(好色、平安時代は風流好み)>がよくある名前・助兵衛と合体していった」 と解説していました。 好色役、飲み役って、面白いですね。