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エゴの脱却
人はそれぞれにいろんな生活と思いで暮らしていますね。 だから仮に“エゴ”といっても実際の内容は様々でしょうね。 でも住み慣れたエゴの仕方,あり方を去ったり捨てる(則天去私)って一面寂しいとか辛いというのは共通でしょうか?
質問者が選んだベストアンサー
「則天去私」についてはよく分かりません。 しかし、「住み慣れたエゴを捨てた寂しい一面」については なまじ真実を知ったが為に失った心の平安、所謂、「知の悲しみ」を連想します。 ただ、「エゴ」を、「物事の感じ方、捉え方、そして、そこから帰結する願望等が複雑にからまりあった得体の知れない塊」だと捉えますと 住み慣れたエゴから離れ、今まで見えなかった地平が開け、たとえ僅かでも得られたものがあれば、寂しさもあながち無駄とは言えないように感じます。
その他の回答 (1)
- kaitara1
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回答No.2
ずれるかもしれませんが、自分が始めた何かがうまくいった時、これは自分がうまくやったからではなく、うまくいくようにこの世の中ができているのだと自然に思えれば、自己から脱却しているということではないでしょうか。
質問者
お礼
成程。 そうですね。 ありがとうございました。
質問者
補足
偶々ではなく、そうなるように物事を進めていった。 そしてまぁ期することが成った。 嬉しいことですね。 ありがとうございました。
お礼
あぁそうですか。 悟りの一つですね。 ありがとうございました。
補足
その通りですね。 素晴らしいご回答をありがとうございました。