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則天去私について
則天去私とは「天にのっとり、私心を去ること」ですが、 私は、天にのっとり、私心をわすれるというのは、自分らしく、 「自分」持って生きていけないのではないだろうかという考えなのですが 皆さんは「則天去私」という言葉をどう考えますか? この言葉は、良い意味で使われるのでしょうか?それとも、人それぞれなのでしょうか?
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「この大自然の雄大さに比べればなんと自分は矮小な存在だろう。なにをくよくよ悩む必要があるのか」 肯定的に解釈するとこんな感じですかね。 私はこの言葉を道教の根幹思想である「無為自然」を漱石流にアレンジしたものだと解釈しています。 ”天”というのは神様とは少々異なり善悪を超越した絶対的な力の象徴です。 人は努力してもどうしようもない運命に翻弄されるときがあります。 そんなときに、自分の力が足りないと自己嫌悪に陥ったり人のせいにして誰かを恨むよりは、 「運命なんだからしょうがない、これは全部天が決めたことだ」 と割り切ったほうが前に進めることもあります。 そういった意味での「去私」であり普段から人任せに生きるという意味ではないと思います。 で、これをさらに現代風に解釈したのが”let it be ”である・・・、というのは曲解ですかね
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NO.1さんと似ていますが、私の解釈では、 鴎外が晩年に至ったとされる心境(諦観、あきらめ)にやや似た、達観したような「個人の能力や思いを超えた天命に則って、はかりごとなく私心なく生きる」のが良いという天才らしい境地のように思いますが… まったくの私見です。
- jakyy
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夏目漱石が晩年の心境を語った有名言葉ですね。 「則天」は、天の法則という意味です。 「去私」は、私事を捨て去るという意味です。 「天に則り、私心を捨て去る」という事です。 jakyy流に解釈しますと、 「すべては天(神)の思うままにして下さい」 つまり私の心境は、磐石で私心では動かないという意味だと思います。 良い意味でなく、秋のような風の吹く山のなかにいる、 やや寂しい気持ちの入り混じった言葉でしょう。
夏目漱石が指す「則天私去」と同じようなことを 言っているのかなと思ったことがあります。 ドキュメンタリー映画『ベルリン・フィルと子どもたち』 を見たときのことです。 ダンスを知らない子どもたちに熱血指導する 振付師ロイストン・マルドゥーム氏が言うには 「心を開いていれば、計画は要らない。」 正確な言葉はもう少し違うかもしれませんが、 このような内容でした。この映画の文脈からは、 環境(社会、人間関係)に謙虚に自分の身を置けば、 自ずとやるべきことが見えてくる。 そして、相応しい道で自分を活かすことができる と解釈しました。
- kochory
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私心というのは、辞書によれば「自分だけの利益をはかる心」のことですね。 「自分を持って生きること」とはぜんぜん別のことだと思いますが。 良い意味・悪い意味といった問題ではなく、人が生きていくうえでの あり方の一つを言葉にしたものですね。 ものすごい低いレベルで考えれば「わがままを言わない」 ということで、これはまあ一般的に良いことと言えますね。 ですが漱石がこの言葉を使ったときの意味としては、 「自然の流れに身を任せて無駄なあがきはしない」ぐらい のことになるでしょうが、ここまでくると良い悪いの 問題ではないですよね。 それぞれの人がどういう生き方をよしとするかという 人生観・価値観の問題になりますから、単純に良い悪いで 片付けられるものではありません。
- BLUEPIXY
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自分の個性を捨てるというより、 私欲を捨てる、私のために行動することを止めるといった意味合いではないかと思います。 概ね、良い生き方といった意味合いで使われるのではないでしょうか。 心の欲する所に従えども矩を超えずとも似ているかも。