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フランスの名誉革命
名誉革命では一人も人が死ななかったというのは本当ですか?あと、革命も戦争に入るんですか?
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>フランスの名誉革命 イギリスの「名誉革命」の間違いでは? イギリスの名誉革命なら、 1.議会の抗議を無視し、カトリック教徒を要職に就け、常備軍設置により専制政治を行なおうするジェームス2世に対し、 2.議会はジェームス2世の死後に即位するであろう、ジェームス2世の長女で新教徒のメアリ(2世と夫であるオレンジ公ウィリアム(後のウィリアム3世))や同じく新教徒の次女アンに望みをかけていたのですが、 3.ジェームス2世に男子が生まれ、その望みが絶たれる(イギリスの王位継承は年下でも男子の方が優先される)と、 4.議会主導による革命を企図し、オランダに嫁いでいたメアリと夫ウィリアムを招き、 5.夫妻は兵を率いてイングランドに上陸、 6.形勢不利を悟ったジェームス2世は戦闘をあきらめて、フランスに亡命し、 7.革命は成功しました。 清教徒を中心とする市民や自営農民による「清教徒革命」が、国王派と議会派による内戦や国王チャールズ1世の処刑という流血を見たのに対し、この革命は、流血の惨事を見ることなく、無血により行われたことから、特に「名誉革命」と呼ばれます。
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- been
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名誉革命はイギリスのできごとですよ。 イギリス人は清教徒革命によって絶対王政を打倒(国王チャールズ一世を処刑)しましたが、軍事独裁の行き過ぎもありクロムウェルの死によって王制が復活しました。支配者に返り咲いた国王ジェームズ二世は革命前と変らない絶対君主として振舞ったため議会の反発を買いました。議会の要請を受けた国王の娘メアリーとその夫ウィリアム三世(オランダ総督)が兵を挙げてイギリスに上陸すると、ジェームズは戦わずして亡命しました。即位したウィリアム三世は議会が要求する権利章典を認めたため、ここに無血革命(名誉革命)が成功したのです。 革命と戦争の関係ですが、これは目的と手段の関係にあります。 一般に、戦争は「血を流す政治」といわれています。政治目的は交渉や脅しで達成するのが普通ですが、これらを駆使しても目的を達成できない場合は、最期の手段として兵力に訴えます。革命は、既存の体制を転覆して別の体制を築くことを目的とする政治闘争ですから、多くは戦争(内戦)を伴ないます。名誉革命は、戦争を伴わうことなく成功した稀な例といえるでしょう。
お礼
革命と戦争の違いも詳しく書いていただいたのでとても参考になりました。 ありがとうございました。
お礼
はい、イギリスです! ずっとフランスだと思ってました(笑) 順序だてて説明していただいたのでとてもわかりやすかったです。ありがとうございました。