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なぜ5月5日の子供の日に柏餅とちまきを食べる文化が
なぜ5月5日の子供の日に柏餅とちまきを食べる文化が日本で生まれたのですか? いつから食べるようになったのですか? なぜ2種類の餅に分裂した?
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柏餅は関東から、チマキは関西からと言うのが正しいようです。 柏餅の葉は古代には神様へ御供えするための器として用いられ、 柏の木は神聖な木として大切にされていました。柏の葉は冬を過 ぎても葉を落とさず、新芽が出るまで葉が落ちないと言う事から 跡継ぎが途絶えないと言う事で、子孫繁栄に繋がる意味があると 言われてました。柏の葉が使用されたのは高意味があります。 柏餅が作り出されたのは何時かは分かりませんが、広まり出した のは江戸時代からで、参勤交代で広まった説があります。 チマキは関西で食べられていました。平安時代に中国から伝来し たと言われています。チマキには邪気を払うとか厄払いの力があ ると言われる伝説があります。その伝説を元にして生まれたのが 端午の節句と言われています。 何時から分裂したのではありません。元々関東と関西では違った 物を食べていました。関東では柏餅、関西ではチマキを食べてい ました。端午の節句が広まったのは関西のようですから、もしか したら参勤交代で江戸に向かう途中に関西に立ち寄った大名が、 その文化は良い事だと考えて江戸に到着してから広めたとも考え られます。ただ関東では柏餅を食べていましたので、当時の江戸 ではチマキは食べられていなかったと推測します。 恵方巻だって関西が発祥と言われてますよね。これと同じと考え れば納得が行くかも知れません。
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柏餅 柏の葉は、新芽が出るまで古い葉を落とさないため 「子供が生まれるまで親は生き続ける」 「跡継ぎが絶えない」 という意味合いが込められており子孫繁栄の象徴として 縁起ものということです 粽 ちまきも同様な意味合いがありますが こちら話大阪関西方面です 中国から大阪の入ってきたのは奈良時代と言われています 関東に入ってきたのは江戸時代、入ってきた時期が違ったということですが なぜ、粽が、柏餅になったかはよくわかっていません。 それから「柏餅」「粽」を食べる文化は「こどもの日」が制定されてからでなく 昔からあった5月5日の「端午の節句」男の子の成長を願う行事です。 「端午の節句」の日をこどもの日に当てたものです。 こどもの日の定義(祝日法2条) 母に感謝する日「「こどもの人格を重んじ、こどもの幸福をはかるとともに、母に感謝する日」こどもの日は=母に感謝する日です。(1948年制定)
- citytombi
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主に東日本では柏餅、西日本ではちまきを食べます。 由来も含めて、詳しくはこちらです。 https://www.olive-hitomawashi.com/column/2018/05/post-2218.html
お礼
みんなありがとう