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月に兎がいるという日本の文化が生まれたのはいつの時
月に兎がいるという日本の文化が生まれたのはいつの時代ですか? 誰が言い始めたのですか?
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中国が打ち上げた月面探査機「嫦娥」シリーズに搭載された月面探査車の名前が「玉兔」であることが示すように、「月にうさぎがいる」という伝説は昔の中国にありました。日本をはじめアジア各国にもありますが、中国が発祥の地で、それが他に伝わったものとは限りません。 というのは、インドの仏教説話でも「月にうさぎの姿がある」とされているほか、「月のうさぎ伝説」はアジア以外のアメリカ先住民やメキシコなど遠く離れた地域にもあるからです。常識的には月の模様を見た世界中の人々の中に「うさぎ」の姿を連想した人が少なからずいて、各地で自然発生的に同様の伝説が生まれたと考えられるでしょう。十分な夜間照明がある現代とは異なり、大昔は月、特に満月は暗い夜を煌々と照らしてくれるありがたい存在でしたので、月の模様を見る機会も多かったと考えられます。 日本では平安時代末期の「今昔物語集」にこのインドの仏教説話を基にした「月のうさぎの話」(「三ノ獣菩薩ノ道ヲ行ジ、兎身ヲ焼ケル語」)が載っています。サル・キツネ・ウサギが老人のために食べ物を探しましたがウサギだけは見つけられず、思い余ったウサギは自分の身を食べてもらおうと焚火に飛び込んだ。…その時この老人は帝釈天となり「此ノ兎ノ火ニ入タル形ヲ月ノ中ニ移シテ、普ク一切ノ衆生ニ見シメムガ為メニ月ノ中ニ籠メ給ヒツ。」人々に感心なウサギのことを思い出してもらおうと月の模様とした…今でも昔話として知られている話です。 少なくとも平安時代の終わりには「月のうさぎ」は広く知られていたと想像できますが、どこまでさかのぼれるのでしょうか。日本最古の刺繍とされる飛鳥時代の「天寿国繍帳」(国宝)には「月のうさぎ」がはっきり見えますので、聖徳太子が亡くなったころにはすでに都の知識人には知られていたのでしょう。
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- ichikawa2017
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>月に兎がいるという日本の文化が生まれたのはいつの時代ですか? 月に限らず「文化が生れたのはいつか」というのは非常に難しい御質問です。 月と兎を結びつけたものとしては622年に聖徳太子が無くなった後でお后の橘大郎女が作らせた天寿国曼荼羅繍帳の中に月に兎の刺繍があるのが最も古いとされています。 月に兎がいるという伝承で最も古いのは古代インドでつくられたジャータカという書物に記載されたお話です。 今昔物語にこのお話が載っています。 一方中国にも月には嫦娥と呼ばれる女神がいて兎に不老長寿の薬を臼で搗かせているという道教の説話が伝わっています。 おそらく日本へはこの嫦娥の話とジャータカの話が仏教とともに伝えられたと考えられています。(年代不詳) 古代中国には満月の日に月餅を食べる習慣がありました。 この習慣が日本では村上天皇の時代に宮中のお月見の行事として執り行われたことが知られています。(966年?) 日本で最も古い説話に竹取物語があります。 その中で月には不老長寿の国があるとされていますが恐らく古代中国の道教の影響と考えられています。 宮中のお月見の行事が庶民にまで広がったのは江戸時代からだと言われています。 日本では中国とは違い月の兎にお餅を搗かせているのは満月を望月というのを転嫁した洒落だと考えられています。 蛇足 日本人は月を題材とした竹取物語を生み出したり名月として俳句の題材にしたりお月見を楽しんだりと月夜に良いイメージを持っていますが欧米人は孤独、狼男、魔女などと余り好ましいイメージは持っていないようです。 アメリカ人などは「外を歩いていれば見えるのに、どうしてわざわざ月見をすの?」という乱暴なことを言う人もいるそうです。 一方満月の月面の模様を バケツを運ぶ女性、 本を読む女性・カニなどと見立てています。 you tubeに世界の人達が見立てた動画があります。 題名:【月の中に何が見える?】~世界で違う月の模様~ 投稿者:ya1964ma
月に兎、で検索すればいいだけの話
月の影の模様が兎に見えることから、「月には兎がいる」という伝承は中国です、兎の横に見える影は臼(うす)であるともされる。この臼については、中国では不老不死の薬の材料を手杵で打って粉にしているとされる。 アメリカ合衆国でもこの伝承は知られ、人類史上初の月面着陸をする前にアポロ11号の宇宙飛行士とNASAの管制官が月の兎に言及した記録が残っている。 日本に伝承されたのは飛鳥時代(7世紀)に製作された『天寿国曼荼羅』の月に兎が描かれたものなどがある。
お礼
みんなありがとう