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どちらが正しいのでしょうか?について
QNo.960762(http://okweb.jp/kotaeru.php3?q=960762)の結果について疑問に思ったので、次の考え方でよいかどうかご意見を下さい。 「覚ます」が他動詞であって、使役の意味を持っていたとしても1、の文の場合、そうさせたのは「僕」であって××ではありません。なぜなら、「目を覚ます」のは自分であって他人や他の物ではないからです。 2、の場合、「目が覚める」とは言えるけど「目を覚める」とは言えないから「僕の目を覚めさせたのは××だった。」とは言えないという考え方ですが、2、の文で見た場合「目が覚める」ようにさせた主体が××になっているのですから、××から見て「目」は主語から目的語に変わっています。 ですから、「××が僕の目が覚めるようにさせた。」と言い換えることができます。 それと同じように1、を言い換えると、「××が僕の目が覚ますようにさせた。」ではおかしく、「××が僕に目を覚ますようにさせた。」となり、1、の場合では「覚ます」という動作の主体はあくまで「僕」なのです。 従って1、の場合「僕に目を覚まさせたのは××だった。」なら正しいと思います。 ですから××が目覚めを起こさせる主体とする文である以上、2、が正しいと言えると思うのです。 が、どうでしょう?
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質問者が選んだベストアンサー
私も、先ほど質問の回答を作成中にその回答を見て、ちょっと違うと思って文章を付け加えていたところ、回答直前に締め切りをされたようで、ちょっと残念に思っていたところでした。おっしゃるとおり、私も「僕の目を覚ました」主体が××であれば、2の方が正解だと思います。 以下、大変失礼ですがお許しください。 QNo.960762で回答しようとした文をそのまま掲載いたします。 ponkiejpさんにもご意見をいただければ幸いです。 ************************************************************************ 「覚まさせる」と「覚めさせる」、両方の使い方があると思います。 「覚める」と「覚ます」は自動詞と他動詞の関係にあり、他動詞は「(自動詞)の状態にする」という意味があります。つまり、 「覚ます」=「覚めた状態にする」 ということです(その他「立てる」=「立った状態にする」、「並べる」=「並んだ状態にする」など)。 また「させる」は使役を表す助動詞ですが、 (ア)誰かに対して動作をしかけるように他にしむける。 (イ)動作をするように、誰かにしむける。 という別の意味があります。(下記参照) http://www.nifty.com/cgi-bin/dic_search.cgi?book=3&word=%82%B3%82%B9%82%E9&mode=1&page=0&item=P0%3D3%26P1%3DMAIN%2CNODE%2C154502 「覚まさせる」は、「第三者に命じて、相手の目を覚めた状態にさせる」という意味で使用し、この場合の「させる」は上記の(ア)の意味になります。例えば、 「彼に命じて、僕の目を覚まさせたのは××だった。」 というような使い方ができると思います。 つまり、他動詞の使役形を使って 「○○の××を(他動詞)させる」という場合、「○○以外の者に働きかけて、○○に対して××が(自動詞)の状態になるようしむける」という意味になると思います。(「立てさせる」「並べさせる」などの場合も考えてみて下さい) 一方、「覚めさせる」、「眠っている相手に働きかけて、その目を覚めた状態にする」という意味で使用し、この場合の「させる」は上記の(イ)の意味になります。 つまり、自動詞の使役形を使って、 「○○の××を(自動詞)させる」という場合、「話し手自らが○○に対して××が(自動詞)するようにしむける」という意味になると思います。 おそらくご質問されたのは後者の意味だと思いますので、そうであれば、「覚めさせる」が正解だと思いますが、場合によっては、前者を取る場合もありうるということで回答をさせていただきました。 回答を投稿しようとする前に#5さんの回答がありましたので、拝見しましたが、 >「目を覚ます」とは言いますが、「目を覚める」とは言いません。 >ですから、「目を覚まさせる」が正しく、「目を覚めさせる」はおかしい という部分は少し違うように感じます。 確かに自動詞は目的語を取りませんので、「~を+自動詞」という形は取りませんが、「~を+自動詞の使役形」という形は取りうると思います。 例えば「浮かぶ」(自動詞)と「浮かべる」(他動詞)の場合、 「海に舟を浮かばせる」=「(話し手自らが)舟を浮かんだ状態にする」 「海に舟を浮かべさせる」=「(誰かに働きかけて)舟を浮かんだ状態にさせる」 の両方とも正しいと思います。
その他の回答 (5)
- s_yoshi_6
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#1(#4)です。 あ~あ、自己嫌悪。訂正の訂正です。 >「覚まさせる」「覚めさせる」ともに「さ」は活用語尾で、「覚まさ・せる」「覚めさ・せる」となりますので、 「覚めさせる」は「覚め・させる」ですね。何か関係ないところでばたばたして申し訳ありません。 >主体が対象に対して間接的に使役しているということなのですね。 はい、私はそういうことでいいと思います。
お礼
ありがとうございました。
補足
koga_sさん。ご覧になっていたら、ここでの質問・回答とQNo.960762での質問・回答をもう一度じっくり読んでみて判断してください。
- Quattro99
- ベストアンサー率32% (1034/3212)
> やはり二重の使役表現になってしまうということでしょうか。 二重ですけど、回答したような意味であれば使役の主体・対象が違うので、二重敬語のようなまるっきりの誤った二重ではないと思います。 例えば、 「母が次男に長男の目を覚まさせた。」 なら、おかしくはないと思います。でも、1、では「次男に」の部分を省略していることになってしまい、そんなふうに「次男に」を省略して言うような状況がありえるのかどうかが疑問ですけど。
お礼
再度ありがとうございます。 s_yoshi_6さんも指摘されているように、主体が第一の対象に働きかけ、第二の対象を目覚めさせるようにした、という表現なら「目を覚まさせた」という表現でもおかしくないということなんですね。
- s_yoshi_6
- ベストアンサー率73% (1113/1519)
#1です。 細かいところで本筋には影響しませんが、私の回答を一部訂正します。 >また「させる」は使役を表す助動詞ですが、 「覚まさせる」「覚めさせる」ともに「さ」は活用語尾で、「覚まさ・せる」「覚めさ・せる」となりますので、 >また「せる」は使役を表す助動詞ですが、 の方が正しいです。 >QNo.960762の質問者のkoga_sさんが「公的な場所に文章を出そうとしているので…」とおっしゃっていたので、あえてこの質問を出してみました。 ponkiejpさんの気持ちがうまく伝わって、先ほどの質問者さんがこの質問をご覧になるといいですね。 P.S. #3さんの補足欄、 >ということは、やはり二重の使役表現になってしまうということでしょうか。 については、私は、 「覚まさ・せる」の「覚まさ(-す)」は「第三者が私を目覚めさせる」 「せる」は「××が第三者に働きかけて、目覚めさせるという行為をさせる」 ということで、主体も対象も異なりますので、重複にはならないと思います。
お礼
再度ありがとうございます。 「二重の使役表現」というのは重複しているということではなく、主体が働きかける対象が二重になっている、というか、主体が対象に対して間接的に使役しているということなのですね。
- Quattro99
- ベストアンサー率32% (1034/3212)
「僕の目を覚ましたのは××だった。」 あるいは、 「僕の目を覚めさせたのは××だった。」 なんじゃないでしょうか。 QNo.960762(参考URLに入れておきました)の#1の方のおっしゃるように、「覚ます」あるいは「覚めさせる」を使うことになると思います。 文章を能動態にすれば、 「××が私の目を覚ました。」 「××が私の目を覚めさせた。」 であって、 「××が私の目を覚まさせた」 はおかしいと思います(これも#1の方の解説にある通り)。 ですので、1、か2、かという問いなら、2、が正しいと思います。 「覚まさせる」は日本語としてはないわけではないと思いますが、それは「覚ますことをさせる」という意味になると思います。 ですから、 1、の 「僕の目を覚まさせたのは××だった。」は、 「僕の目を(○○に)覚まさせたのは××だった。」という意味なら、日本語として正しいことになると思います。つまり、目覚めさせたのは××ではなく、××が他の何か(誰か)に僕を目覚めさせたという意味になると思います。
お礼
なるほど。わたしは「目を覚ます」という動作の主体があくまで「僕」であることにこだわり過ぎました。 >「僕の目を覚ましたのは××だった。」 これが一番しっくりくる言い方ですね。 別に「~させた」などという使役的表現を使わなくてもシンプルでわかりやすい表現だと思います。 >「僕の目を覚まさせたのは××だった。」は、 「僕の目を(○○に)覚まさせたのは××だった。」という意味なら、日本語として正しいことになると思います。つまり、目覚めさせたのは××ではなく、××が他の何か(誰か)に僕を目覚めさせたという意味になると思います。 ということは、やはり二重の使役表現になってしまうということでしょうか。
- UKY
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ええ、おっしゃるとおりだと思います。 質問No.960762 の aschenbach 氏の回答(5番目の回答)では「僕に」と「僕の」の違いが曖昧になってしまっていたので、それに関しては補足説明が必要だと私も思っていました。 (投稿前に締め切られてしまったのでいったん諦めましたが) 要するに、正解例は 「僕の目を覚めさせたのは××だった。」 「僕の目を覚ましたのは××だった。」 「僕に(僕の)目を覚まさせたのは××だった。」 ということですね。 (最後の例は aschenbach 氏が正しいとおっしゃっていたものです。個人的には、最後の例だけやや少し不自然に感じます)
お礼
簡潔な正解例を示していただいてありがとうございます。 やはり3番目の「僕に(僕の)目を覚まさせたのは××だった。」は、文法的に正しい感じはしても実際に使う文章としては不自然だと思います。
お礼
なるほど~詳しい説明ありがとうございます。 s_yoshi_6さんは、わたしの回答よりさらに深く掘り下げた解釈をされていると感じました。 つまり表現の仕方、使役の対象如何にによっては、「覚まさせる」もありうるということですね。 私は難しい国語の文法には詳しくありませんが、小難しいことを言わなければ、1、でも2、でもどちらでも構わないと思います。言葉は慣用的に使われていくうちにどれが正しくて、どれが間違っているとは言えなくなってしまいますから。 しかし、私の言語感覚からは1、は不自然に感じたのです。
補足
QNo.960762の質問者のkoga_sさんが「公的な場所に文章を出そうとしているので…」とおっしゃっていたので、あえてこの質問を出してみました。