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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:「この中身は食べられません」 )

この中身は食べられません

このQ&Aのポイント
  • 「この中身は食べられません」という文の意味について疑問があります。
  • 質問に対して、「食べられない」という表現は可能用法だと思いますが、回答者は「この中身は」という文節が主語になっており、それが「食べる」という動詞の主語になることはできないため、「食べる」という動作が受け身になっていると考えざるを得ない」と回答しています。
  • 質問者は回答者の意見について理解ができていないため、みなさんに意見を聞きたいとしています。

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • momordica
  • ベストアンサー率52% (135/259)
回答No.5

こんにちは。 今回の問題は2点に整理すべきだと思います。  (1)この文で「この中身は」は主語(部)に当たるのかどうか  (2)もし主語に当たるのなら、この文は「受身」だということになるのか まず一点目ですが、私は「主語である」「主語でない」どちらの解釈もどちらも可能で あると思います。 随分いい加減なようですが、これは日本語において「可能態」では二通りの格支配が 並行して使われており、この例文ではどちらか判別できないということです。 主語とは何かという、より根本的な問題もありますが、とりあえずここでは、文中で 「が」格であらわされるもの、あるいは、文脈上それに相当するもののこととします。 「私はピーマンを食べる」  (A) 私にはピーマンが食べられる  (B) 私はピーマンを食べられる (A)型では「ピーマンは」が主語であり、これは元の文では「を」格であったものです。 それに対し、元の文で主格であった「私は」の方は可能態では「に」格に変わります。 なお、「私には」は「私はピーマンが食べられる」のように「私は」となる場合もあり、 この場合、これ単なる主題提示という性格が強く、格支配ははっきりしなくなります。 一方、(B)型では格支配は元の文と全く同じです。 さらに、副助詞「は」を用いた  「私はピーマンは食べられる(がネギは食べられない)」 のような文になると、これが(A)型であるのか(B)型であるのかは判断できなく なります。 (A)型であれば「ピーマンは」が「食べられる」の主語ですが、(B)型ならば「私は」が 主語になります。 なお、どちらであるとしても、文の表す意味は全く同じです。 今回の例文「この中身は食べられません」も、どちらであるか判断はできません。 次に問題の2点目ですが、これについては、例え「この中身は」が主語であったとしても、 この文が「受身」であるという証拠には全くならないと考えます。 一般に、助動詞「れる・られる」には「受身」「自発」「可能」「尊敬」の四つの意味が あるとされ、このうち「尊敬」だけはちょっと毛色が違うのですが、残り3つはかなり 共通点が多いことが分かります。 <受身>  「犬が人をかむ」→「犬に人がかまれる」 <自発>  「(私が)故郷のことを思い出す」→「(私には)故郷のことが思い出される」 <可能> ((A)型)  「私がピーマンを食べる」→「私にはピーマンが食べられる」 3つとも格支配の変化が全く同じであるのがお分かりになるでしょうか。 どの場合も元の文で「を」格だったものが「が」格(主語)に変わり、元の文で「が」格 だったものは「に」格に変わっています。 つまり、格支配だけでは、どの用法であるとも言えないのです。 助動詞「れる・られる」の本来の働きは「SがOを~する」という文に対して、文の 目的語であったOの方を主体にして述べる表現に変えるということ、言い換えれば 「他動詞の自動詞化」だと考えられます。 (対となる「自動詞の他動詞化」の働きを持つ助動詞は「せる・させる」です) 「れる・られる」が「受身」「自発」「可能」のどれに当たるのかは、ニュアンスの 違いでしかないと思います。 「SがOを~する」を「Sに(は)Oが~される」と変えた時、この動作を起こす イニシアチブがSの方にあれば「受身」ですし、Oの方に変わるなら「自発」と なります。 英語の受動態などではSからOへの視点の移動のみが起こり、上述のような イニシアチブの移動などは起こらないので「受身」の意味にしかなりませんが、 それを日本語にそのまま適用するのは間違いだと思います。 「れる・られる」の「可能」用法でも、上のように主格がSからOに変わる「(A)型」 の格支配が元であったと考えられます。 前のご質問の話題に戻ってしまいますが、このように「れる・られる」は動作の 客体を主にして述べる言い方であることから、元々「状況可能」に向いている 表現なのです。 後に、この格支配になじまない自動詞などへ拡張使用されたりなどする中で Sをそのまま主格とする「(B)型」の格支配が生まれ、定着していったのでしょう。 また、可能動詞を使う可能表現についても、「れる・られる」と全く同じく、 (A)(B)型のどちらの格支配もあります。 可能動詞が「切れる」など、他の自発動詞からの類推で生まれたものであるなら、 当然元々は(A)型の格支配であったと考えられますし、もし「連用形+得る」が 縮まったものであるなら、(B)型が元の形であった可能性もあります。 以前の回答で、この辺りのことについて書いたつもりだったんですけどね。 http://okwave.jp/qa/q6537930.html

hakobulu
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 >私は「主語である」「主語でない」どちらの解釈もどちらも可能で あると思います。 : そうかもしれません。 「主語が何であるのか」に拘る必然性が今回の場合はないということですね。 >つまり、格支配だけでは、どの用法であるとも言えないのです。 : 明快にお答えいただきありがとうございます。 例もわかりやすかったです。 若い頃の不勉強が祟って、文法にはアレルギー反応を起こしてしまいがちなのですが、 猫に小判、豚に真珠、馬の耳に念仏とならないよう、可能な限り努めてまいります。 (今、ちょうど国会中継を見ているので、つい、こういった表現になってしまいました) 色々と大変参考になりました。   

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その他の回答 (6)

  • SPS700
  • ベストアンサー率46% (15297/33016)
回答No.7

 次のような重なりでしょう。 1.大骨:甲が、乙を、丙した(シッポを含む)。 2。シッポ:助動詞の繋がり、可能+打ち消し=禁止 3。甲 = (省略)主語   乙 = この中身 目的語   丙 = 食べる 主動詞(+可能+否定) 4。格助詞の「が」、や「を」は主題の副助詞「は」が付くと消える、(「(あなたがは)この中身をは」、とは言いませんよね) 5。出来上り:この中身は食べられません。  

hakobulu
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 このように考えることもできるのですね。 大変参考になりました。   

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  • cxe28284
  • ベストアンサー率21% (932/4336)
回答No.6

お邪魔させていただきます。 この中身はの「は」は係助詞で話題の取り立て、対比の意味の「は」で、 次にくる言葉はそれを説明するので、主語とは考えにくいですね。 この中身は犬に食べられました。だったら被害の受け身です。 自分の勉強のための確認です。すみません。

hakobulu
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 ご見解を参考にさせていただきます。

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回答No.4

>「この中身は食べられません」  これは「食べてはいけない」という禁止表現です。 可能表現の否定⇒禁止 です。 「ここは通れません」、「こどもさんは入れません」・・・こんなのも同じです。 否定ではなく肯定形にすると 「この中身は食べられます」  「ここは通れます」、「こどもさんは入れます」 ・・・となって、可能表現の肯定⇒許可 に近い意味になります。 受身?・・・・そんなことにはなりません。 「~することができない」と同じです。 主語?・・・・禁止の対象者です。

hakobulu
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 >受身?・・・・そんなことにはなりません。 「~することができない」と同じです。 主語?・・・・禁止の対象者です。 : はい。 よくわかりました。 大変参考になりました。    

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noname#160411
noname#160411
回答No.3

日本語について非常によくある勘違いなのですが、「は」は主格を表す格助詞ではありません(たまたま主格を表していることもありますが)。主格を表す格助詞は「が・の」です。「は」は「提題」という用法を持つ係助詞であり、言い換えると「~について話をすると」という意味を持ちます。 「この中身は食べられません」を言い換えると、「この中身についていうならば、(人がそれを)食べられません」ということで、主語は省略されている「人、もしくはそれを食べようとする主体」です。ですから >此の文章では、「この中身は」という文節が主語になっていますので という主張は誤りです。 「象は鼻が長い」という文についても、かつては「象は」が大主語、「鼻が」が小主語、などと解説されていましたが、現在では 「象について話をすると、その鼻が長いこと」という意味で、「象は」が題目、「鼻が」が主語(部)ということに落ち着いているはずです。

hakobulu
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 食べるという動詞、 長いという形容詞、 この品詞を形成する主体を主語と考えると良い、ということですね。   

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  • marisuka
  • ベストアンサー率39% (671/1704)
回答No.2

>「この中身は」という文節が主語 この前提が誤りである、と私は考えます。 この文の主語は(省略されていて書かれていませんが)「あなたは」です。「購入者は」でも「人は」でもいいですが。 「この中身は」の「は」は格助詞ではなく、副助詞です。主語を表していると受け取るのは早計です。 たとえば「いいや、リンゴは食べなかったよ。」ならリンゴが何かを食べたのでしょうか? 「俺はリンゴについてだけ言えば、食べなかったよ、他のは食ったけどね。」と言っているのです。 「あなたは…食べられない」という主-述なので、やっぱり「可能」ですね。

hakobulu
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 >たとえば「いいや、リンゴは食べなかったよ。」ならリンゴが何かを食べたのでしょうか? 「俺はリンゴについてだけ言えば、食べなかったよ、他のは食ったけどね。」と言っているのです。 : 非常に明快な例を出していただきました。 大変参考になりました。

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noname#194996
noname#194996
回答No.1

あくまで私見ですが、 #8様の考え方は 「Aは食べられません」 「A=この中身」をあくまで主語と考えようとする論理で、しかし 「この中身」が自分自身を食べるということは不可能なので、そこは(自分が他の何者かに)食べられるという設定(受身)にして、それを否定したということなのでしょう。 「この中身が食べられることは(ありえ)ない」 という意味であると仰っておられるように思います。 スタートがA=主格 と言う考えだからこうなるのでしょうが、全体として >『考えざるを得ない』 とするには、私もちょっと弱いかな、と思います。これでは禁止、警告といったニュアンスが希薄になりますね。 検討違いでなければ幸いです。

hakobulu
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 >「この中身」が自分自身を食べるということは不可能なので、そこは(自分が他の何者かに)食べられるという設定(受身)にして、それを否定したということなのでしょう。 : そういうことなんですね。 よくわかりました。 >これでは禁止、警告といったニュアンスが希薄になりますね。 : そういう気が私もします。 彼もそれはおそらく承知の上で、結局、可能にしようと思ってもできない、ということを主張していたようです。        

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